18 憧れのパン



 日報を遣いの人に渡し、部屋に帰った後からも大変だった。


 遊んで、寝る、最近発売されたばかりのゲームが二人以上じゃないとできない、寝る、じゃあちょっと前に発売されたゲームに付き合って、寝る、チェスは、寝る。


 何歳のやり取りだ。


 そんなエリエルを振り切って遠慮なしにベッドに潜り込んでやった。


 私は知っている。巷のうら若い女性が好む小説では、こういったシチュエーションに陥った時、


「俺がソファーを使うから、君はベッドを使って」

「いいえ、私が」

「いや、俺が」


 などといった可愛らしいやり取りが定番化しているのだ。

 残念だったな、体を一日酷使した私にそんな桃色展開が訪れると思うな!


 遊べと駄々こねるエリエルを無視して、容赦なくだだっ広いベッドに上がり込んだのだ。


 引っ越してこいって言ったのはエリエルだし、ソファーはなんかよくわからない本で埋め尽くされているし。

 こんなに広いんだから、隅っこ一部貸してよね。


「……本当に寝るの?」

「今日は疲れたんだよー。また明日にしてよー」

「折角面白そうなゲームあるのに……」

「仕事で疲れて休日に寝込む母親に構ってとせがむ子供か、折角一緒にいるのに構ってくれない彼氏に寂しさを訴える彼女か……」

「うわあ……嫌な寝言」

「あんたも寝なよ‼」


 テロンテロンに育て上げた部屋着の安心効果、そして人生初めてともいえる最上級ベットに抗えることは不可能。

 まだ騒いでいるエリエルを無視して、私の意識は暗転した。







「……では以上です、本日も頑張りましょう」

「(お、朝礼終わった)」


 なんとなーくぼんやり聞いていたけど、来客がいつ来るとか屋敷のメンテナンスとか、やっぱり私には関係の無いことだった。





 本日もカンカン照りの良い天気。


 私は手ぬぐいを被り、ブラシを持って屋敷の外に居た。


「今日もハードだぜ……」


 さあ、元気に配水管掃除をやろうじゃないか。


 雨ざらしになっている配管はとても痛みやすい。

 ということで、点検しつつ掃除しろとのことだった。……専門業者呼んだ方が絶対いいと思う。


「っていうか全然痛んでないし」


 流石エバンスドール家、細部に行き渡るメンテナンスも怠りませんってか。

 小さなブラシに持ち変えると、細かな掃除をすることに。


 風で砂埃が舞っているので、点検と言うよりこっちがメインだ。


 ふん、数多の現場を乗り越えてきたこのクローリア・ヴァンクス。

 これしきの汚れでめげるもんか! グッスリ眠れたし、体力は回復してるんだ!


「私って図太いんだな……」


 パイプを磨きながら、昨日の出来事をおさらいすると己の逞しさに拍手を送りたい。


 朝の目覚めは驚いた。

 体の疲れは綺麗さっぱりどこかに行って、質のいい睡眠が取れた。

 隣で丸くなっているエリエルが動く様子はない。

 ……部屋着のままだけど、もしかしてパジャマ兼用⁉︎


 あれからどれくらい起きていたんだろうとか、朝ごはんは食べないのかなとか、色々思うことはある。



 そして今、私は今日あてがわれた仕事に向き合っているのだ。


「まさか朝方に寝て昼まで寝てる……なんてことないよね……?」


 それはそれでちょっと心配なのだが。


 とにかくこの仕事を昼までに終わらせないといけない。

 パイプの角までブラシで擦っていると、後ろで足音が聞こえた。


「やっぱり頑張ってるんだー」

「お、疲れさまです」


 突如知して現れたポプリさんに、思わず身構える。

 急いで立ち上がると、お仕着せの裾についた枯れ草をはらった。


「そこ、蛇がよくいるから気をつけた方がいいよー」

「ぎゃあ‼︎」

「はっはっはー。まだいないってー」


 教えてくれたのはありがたいけど、ちょうど私がそのポイントで作業している時に教えないでほしい。


「これ、あんたに渡そうとしてたんだー」

「なんですか?」

「ちゃんと手を洗ってから中身は触りなよー」


 ポプリさんが手に持っている茶色い紙袋。あれ、見覚えがある。

 昨日ぶつかったときに落としてた紙袋じゃない?


 手を拭って袋を開けると、ふんわりとした匂い。


 こ、これは……!


「パン?」

「そー。あんた昨日晩御飯食べてなかったでしょー」

「えー…っと、はい……」


 良心がちょっと痛んだ。


 実はここの家主にせがまれて共有厨房で食べてましたなんて、言えない……‼︎


「こんだけ仕事押し付けておいて言うのもなんだけどー、体動かしてるんだからどれだけ疲れていても出された物がまずくてもご飯は食べた方がいいよー」

「あ、ありがとうございます」


 しかもこのパン、私が昨日食べた硬いパンじゃない。

 ポプリさん達が食べていた白くてふわふわのパンだ!


「こんないいものもらってもいいんですか⁉︎」

「いいもの……そこまで感動されるほどのものじゃないけどー」

「だってこんないいパン! 街で買おうとしたら芋が三つは買えますよ!」

「あー、まあ換算したらそれくらいかなー?」


 やっぱり屋敷の人たちはいいもの食べてるなぁ……いや、泣かないから。

 私だってがっぽりお金稼いで、家族分買って帰るから!


 パンが傷まないように、いそいそを日陰に避難させる。

 そんな私の後ろ姿を、ポプリさんは腕を組んで見つめていた。


「あんたさー、よく働くよねー」

「どうも……?」

「素直に褒めてんのー。

 仕事も早いしー、どんな量の仕事もこなすしー、腕が二本以上見えるしー、泣き言だってこぼさなかったしー」


 最後のは人前で泣かないだけで、こっそり涙を流しているだけだ。


「あんたなら今まで来たファブラード侯爵からのめんどくさい奴らより少しは長くいられると思うけどー。

 時間の問題だよー」

「の、望むところです!」


 この人、私をいじめてくるいけすかない人かと思っていたけど、案外そうじゃないのかもしれない。

 さっきもらったパンはまだ暖かった。


 思い込みかもしれないけど、ほんの少しだけ人の暖かさに触れられて嬉しくなる。


「私、なんとなくやれる気がしてきました!」

「げぇー……その仕事量でー? あ、被虐趣味かー」

「そっちの趣味はないんですよ」

「大丈夫ー。言いふらしたりしないからー」

「絶対言うつもり……ああ……いい笑顔……!」


 頼むから変な噂だけは流さないでくれ……。

 軽やかに去っていくポプリさんを引き留めたかったけど、初めて見せてくれた笑顔に引き止める術はなかった。



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