第11話 封の壺と、王都からの手紙
迷い霧の夜が明けて二日。畦も屋根も直し終え、村にようやく笑いが戻った。
胸の二重環と麦穂が、いつものように朝いちどだけ灯る。――農民SSRの朝ガチャだ。
薄い金の陣から、ころり、と土間に落ちたのは大人の胴ほどもある陶製の壺。灰釉に麦の意匠。肩口には封蝋のような突起が三つ。
「……でかいな」
とりあえず一輪車で運び、納屋の隅に据える。
近寄るだけで、ひやりとした清澄な気配が皮膚に張り付く。肩口の突起に手を触れると、壺の口に薄膜のようなものが張り、空気の匂いがすっと抜けた。
「【SSR:保存壺】、か」
村の女衆が歓声を上げた。
「これがあれば乳(ちち)を遠くまで運べる!」
「干し肉も穀も、梅雨でも傷みにくいぞ」
……たしかに、地味だが強い。俺は頷きつつ、試しに朝搾りの乳を半分、壺に入れて封を作る。口縁の釉薬が一瞬だけ光った。
◇
正午前、王都から騎馬の一行が土煙を上げて来た。紋章の入った外套――王国役所と神殿の混成らしい。荷車には蝋封の箱が積まれ、長官風の男が前に出る。
「王都内務局・出張監査官のラトルだ。ここに“霧を退ける異常蒸気”があったと報せがある。検分する」
村長が顔色を変える。俺は前に出て頭を下げた。
「異常蒸気、というよりは……香草粉を鍋で焚いただけです。鍋に多少の“浄め”の性質が」
監査官は俺の胸の刻印に目を落とし、鼻を鳴らした。
「農民。……報告の信憑性は低いかと思ったが、被害が出ていないのは事実だ。その鍋、王都で調べる。引き渡せ」
背で村人の息が詰まる音がした。鍋は井戸も霧も救った、村の命綱だ。
俺は一拍置いて、静かに言った。
「調査自体は否定しません。ただ、貸し出しはできません。代わりに、方法と条件を開示します。香草の量、挽き具合、火加減、焚く位置……全部、記録にまとめて写しを渡す。――それと」
納屋の隅の壺を指さす。
「保存壺あります。これで乳や蒸気に使った溶液の標本を王都まで持ち込みできます。鍋は村に。標本と手順で代替してもらえませんか」
監査官は眉根を寄せ、神殿側の若い書記に目配せした。書記は慎重に頷く。
「……実物が無くても解析は可能かもしれません。加護の粒子が残っていれば」
「では条件付きで受理しよう。ただし、今後も異常があれば速やかに報告を」
緊張がほどけ、村人の肩が一斉に落ちた。
俺は万能鍋で作った“香草湯”を、保存壺に小分けして封を作り、蝋封の箱に収める。壺の中で湯は静まり返り、まるで時間の外側に置かれたようだ。
◇
用件が終わると、神殿の書記がそっと近づいてきた。日本語で囁く。
「……白河 澪様(聖女)から伝言です。王都は今、召喚者の遺物と術式を“徴発”する流れが強い。あなたのような“生活の力”は見逃されやすいが、守る意志をと」
白河澪――王都組の聖女だ。わざわざ日本語を選んだのは、気遣いか、警告か。
胸の刻印が、微かに熱を帯びた。
さらにもう一通、封蝋の色が違う紙が手渡される。
開けば、天宮玲奈の文字。
“霧の共鳴を感じた。こちらでも同時刻に“時の波”が観測された。
近々、学匠院の辺境調査でそちらに向かう。
……あなたの“外れ”は外れじゃない。どうか、身を守って。
追伸:王都の勇者パーティは健在。結衣さんは忙しそう。体に気をつけて。”
小さく笑って、紙を畳む。
――二人の賢者が必要だ、という神の囁きがふと蘇る。玲奈は来る。なら、俺の役目はここを整えておくことだ。
◇
午後、保存壺で試験をした。
片方の桶には絞りたての乳、もう片方は同じ乳を保存壺に入れてからしばし置いたものを戻す。
夕刻、桶の方は表面に薄い膜が張りはじめ、わずかな酸の匂い。壺経由の方は冷たいまま、匂いが立たない。
「これなら、王都まで牛乳が運べる」
「やった! モーモーの出番が増える!」子どもたちが跳ねる。モーモーは小屋で「モー」と澄ました顔。
保存壺は命を運べる器だ。道具の力は、道を繋ぐ。
俺は壺の肩口の突起に手を触れて、封膜の張りを確かめた。壺は中身の“時間”を外界から切り離す――そんな手応えが、確かにある。
◇
日暮れ、監査官の一行が出立する。
帰り際、ラトルが振り返った。
「君。佐藤悠斗だったな。次に市に出た際には王都にも寄れ。内務局の識別札を出せば研究院に通せる」
「……鍋は置いて行きます」
「分かっている。君の判断でいい。――ただし、神より借りた知恵は返せ。それがこの国の掟だ」
軽く会釈して、彼らは土埃の向こうへ消えた。
静けさが戻る。
屋根の風見鶏は今日は東を指し、棚の砂時計は砂を落とさない。
俺は胸の刻印に触れる。熱は穏やかだが、どこかせき立てる。
「準備を進めよう。市に出る荷――乳、干し草の束、粉。……あと、壺」
村の外へ出ることは、村を危険に晒すことにも繋がる。けれど、繋がらなければ守れないものもある。
道具が道を作り、人が道になる。地味なSSRの網は、少しずつ村の外へ広がるだろう。
モーモーが横から鼻面で腕をつついた。
「分かった分かった。ご褒美は……干し草増量な」
笑って撫でる。
偶然の門は、明日の朝も開く。
その先に、王都の喧噪と、幼馴染の足音が近づいている気がした。
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