第11話 封の壺と、王都からの手紙

 迷い霧の夜が明けて二日。畦も屋根も直し終え、村にようやく笑いが戻った。

 胸の二重環と麦穂が、いつものように朝いちどだけ灯る。――農民SSRの朝ガチャだ。


 薄い金の陣から、ころり、と土間に落ちたのは大人の胴ほどもある陶製の壺。灰釉に麦の意匠。肩口には封蝋のような突起が三つ。


「……でかいな」


 とりあえず一輪車で運び、納屋の隅に据える。

 近寄るだけで、ひやりとした清澄な気配が皮膚に張り付く。肩口の突起に手を触れると、壺の口に薄膜のようなものが張り、空気の匂いがすっと抜けた。


「【SSR:保存壺】、か」


 村の女衆が歓声を上げた。

「これがあれば乳(ちち)を遠くまで運べる!」

「干し肉も穀も、梅雨でも傷みにくいぞ」

 ……たしかに、地味だが強い。俺は頷きつつ、試しに朝搾りの乳を半分、壺に入れて封を作る。口縁の釉薬が一瞬だけ光った。



 正午前、王都から騎馬の一行が土煙を上げて来た。紋章の入った外套――王国役所と神殿の混成らしい。荷車には蝋封の箱が積まれ、長官風の男が前に出る。


「王都内務局・出張監査官のラトルだ。ここに“霧を退ける異常蒸気”があったと報せがある。検分する」


 村長が顔色を変える。俺は前に出て頭を下げた。

「異常蒸気、というよりは……香草粉を鍋で焚いただけです。鍋に多少の“浄め”の性質が」


 監査官は俺の胸の刻印に目を落とし、鼻を鳴らした。

「農民。……報告の信憑性は低いかと思ったが、被害が出ていないのは事実だ。その鍋、王都で調べる。引き渡せ」


 背で村人の息が詰まる音がした。鍋は井戸も霧も救った、村の命綱だ。

 俺は一拍置いて、静かに言った。


「調査自体は否定しません。ただ、貸し出しはできません。代わりに、方法と条件を開示します。香草の量、挽き具合、火加減、焚く位置……全部、記録にまとめて写しを渡す。――それと」


 納屋の隅の壺を指さす。

「保存壺あります。これで乳や蒸気に使った溶液の標本を王都まで持ち込みできます。鍋は村に。標本と手順で代替してもらえませんか」


 監査官は眉根を寄せ、神殿側の若い書記に目配せした。書記は慎重に頷く。

「……実物が無くても解析は可能かもしれません。加護の粒子が残っていれば」

「では条件付きで受理しよう。ただし、今後も異常があれば速やかに報告を」


 緊張がほどけ、村人の肩が一斉に落ちた。

 俺は万能鍋で作った“香草湯”を、保存壺に小分けして封を作り、蝋封の箱に収める。壺の中で湯は静まり返り、まるで時間の外側に置かれたようだ。



 用件が終わると、神殿の書記がそっと近づいてきた。日本語で囁く。

「……白河 澪様(聖女)から伝言です。王都は今、召喚者の遺物と術式を“徴発”する流れが強い。あなたのような“生活の力”は見逃されやすいが、守る意志をと」


 白河澪――王都組の聖女だ。わざわざ日本語を選んだのは、気遣いか、警告か。

 胸の刻印が、微かに熱を帯びた。


 さらにもう一通、封蝋の色が違う紙が手渡される。

 開けば、天宮玲奈の文字。


“霧の共鳴を感じた。こちらでも同時刻に“時の波”が観測された。

近々、学匠院の辺境調査でそちらに向かう。

……あなたの“外れ”は外れじゃない。どうか、身を守って。

追伸:王都の勇者パーティは健在。結衣さんは忙しそう。体に気をつけて。”


 小さく笑って、紙を畳む。

 ――二人の賢者が必要だ、という神の囁きがふと蘇る。玲奈は来る。なら、俺の役目はここを整えておくことだ。



 午後、保存壺で試験をした。

 片方の桶には絞りたての乳、もう片方は同じ乳を保存壺に入れてからしばし置いたものを戻す。

 夕刻、桶の方は表面に薄い膜が張りはじめ、わずかな酸の匂い。壺経由の方は冷たいまま、匂いが立たない。


「これなら、王都まで牛乳が運べる」

「やった! モーモーの出番が増える!」子どもたちが跳ねる。モーモーは小屋で「モー」と澄ました顔。


 保存壺は命を運べる器だ。道具の力は、道を繋ぐ。

 俺は壺の肩口の突起に手を触れて、封膜の張りを確かめた。壺は中身の“時間”を外界から切り離す――そんな手応えが、確かにある。



 日暮れ、監査官の一行が出立する。

 帰り際、ラトルが振り返った。

「君。佐藤悠斗だったな。次に市に出た際には王都にも寄れ。内務局の識別札を出せば研究院に通せる」


「……鍋は置いて行きます」

「分かっている。君の判断でいい。――ただし、神より借りた知恵は返せ。それがこの国の掟だ」


 軽く会釈して、彼らは土埃の向こうへ消えた。


 静けさが戻る。

 屋根の風見鶏は今日は東を指し、棚の砂時計は砂を落とさない。

 俺は胸の刻印に触れる。熱は穏やかだが、どこかせき立てる。


「準備を進めよう。市に出る荷――乳、干し草の束、粉。……あと、壺」


 村の外へ出ることは、村を危険に晒すことにも繋がる。けれど、繋がらなければ守れないものもある。

 道具が道を作り、人が道になる。地味なSSRの網は、少しずつ村の外へ広がるだろう。


 モーモーが横から鼻面で腕をつついた。

「分かった分かった。ご褒美は……干し草増量な」


 笑って撫でる。

 偶然の門は、明日の朝も開く。

 その先に、王都の喧噪と、幼馴染の足音が近づいている気がした。

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