渚のイヤホン 3
それからと言うもの、壊れたイヤホンでその女性の歌を聞くのが俺の日課になった。
歌声はほぼ毎日。たいていは夜、夕食後の時間になってから流れてくる。歌のジャンルは主にJ-POPで、年代は三十年近く前の歌もあれば、最近流行のものまでバラバラだった。ただ、どのような歌であろうとも、その美声は一寸たりとも揺らぐことは無かった。
この歌声の女性は誰だろうか。最初は聞き入るだけだった俺も、さすがにその疑問を無視できなくなっていった。
だが、想像していた展開とは違って、その疑問はいともあっさりと解き明かされていった。
歌と歌の合間、あるいは一通り歌い終わった後。声の女性はラジオのMCのように雑談めいたものをすることがあった。
もっとも、ラジオ番組のようにしっかりしたものではない。歌声とは裏腹にその喋りはたどたどしく、話の流れも途切れがちであちらこちらに跳んでしまう、素人丸出しのものだった。
話の内容は、その日の天気の話題もあれば、全国ニュースに流れた事件のこともあった。そうかと思えば、飼っているペットのことや家族のこと、挙句の果てには仕事や住んでいる家の場所に繋がることまで。本当にそんなことまで喋ってしまって大丈夫かとこちらが心配になるような内容さえも喋ってしまうことがあった。
そんなこともあり、図らずしも俺はだんだんと彼女の事情に触れることになった。
祖母と海辺の一軒家で二人で暮らしていること。
地元の海が『日本のエーゲ海』という仰々しいキャッチフレーズを名乗っていて恥ずかしいこと。
ペットと言えるかもどうかわからない野良猫を放し飼いしていること。
彼女が中国地方のある島に住んでいること。
島の小さな農園で働いていること。
島から見る星空が綺麗なこと。
歌が大好きなこと。
そして……これが、インターネットを通じた歌の配信だということ。
そう。結局のところ、この壊れたイヤホンから聞こえてきていたのは、ただのインターネット配信だったのだ。
どこに繋がっているかも分からなかったこのイヤホン。現実にはありえない奇跡めいたものを想像することすらあった。
けれど蓋をあけてみればなんということはない。どこの電波を拾ったかは知らないが、このイヤホンがつながっていたのは天国などではなく、現実だった。
俺は少し落胆しながらも、インターネット上の歌の配信を検索してみた。これだけ卓越した歌声を持つ人間が配信しているのなら、きっと多くの人がその配信を視聴しているに違いない。
そう予測して有名な配信を覗いてみる。たが、なかなか見つからない。徐々にマイナーな配信へ検索対象を変えてみるが、どの配信を見ても、あの歌声は響いてこなかった。
終いには視聴者の人数が一桁しかいないものまで探してみたが……それでも、どうしても彼女には出会えなかった。
きっと、俺が知らない配信サイトを使っているに違いない。そう考えた俺は、一つの案を思いついた。
SNS上で、彼女の配信の感想を書いてみることにしたのだ。そうすれば、もしかしたら向こうが俺を見つけてくれるかもしれないと考えた。
もちろん、そんな偶然が起きるなんて本気で信じていたわけではない。ただの思いつき。本当に軽い気持ちだった。
その日に彼女が歌った曲の名前を出して感想を投稿する。その感想も「いい歌声だった」とか「懐かしい歌だった」程度の簡単なもの。投稿頻度だって毎日というわけではない。
彼女の名前も知らず、文才も無く、熱量さえ無い俺ができたのは、せいぜいその程度のことだったのだ。
当然ながら、その投稿に対して反応など無い。あったとしても知り合いが気まぐれにリアクションをするくらいだった。
それでも俺は、細々と投稿を続けた。会社から帰り、ただ漫然と壊れたイヤホンから流れる彼女の歌声を聞く。そこに熱量と言えるものは無かったが……それでも、なぜか。
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