心地よい、残り香

お知らせ:

『スリッピンアウト -クラ クラー』

『スリッピンアウト -スパークルー』

に改題します。


“クラクラ”は第一話で回収しちゃってますので(笑)



―――――――――――――




 風呂上がりの火照った体に、乾いたTシャツが心地よい。ソファの背もたれに深く身を沈め、冷えたミネラルウォーターのペットボトルを頬に当てると、火照りがすっと引いていく。


 しばらくそうしているうちに体からは汗が引いてきた。


 みはからったようなタイミングで、新見がバッグからコンビニ袋を取り出してローテーブルの上に置いた。


 ガサリ、と音を立てて中から現れたのは、銀色に光る小袋の束と、プリント柄が可愛らしい巾着式氷嚢。


「ほいこれ。こっちはまあ、見ての通りアイシング用。で、この銀袋は鎮痛消炎剤。薬局でまともに買ったら目玉が飛び出るくらい、高いやつ」


 新見はそう言うと、一枚の小袋をつまんで、ひらひらと振って見せた。


「まあこれは、近所のお婆さんが医者で出されて余ってるのを時々くれるからタダだけど」


「へえ、ありがと。でも、なんでそのお婆さんは貼らないの?」


 真珠が首を傾げると、新見は「それがさあ」と声を潜め、悪戯っぽく目を細めた。


「なんでも、この成分が認知症、つまりボケを助長するって、根も葉もない噂がご近所で立っちゃってさ。それでビビったみたい」


「まじ?」


 純粋な驚きを返す真珠に、新見は「さあ、多分ネット発の噂だからな」と肩をすくめてみせる。


「でも、そんな噂のせいでいりませんなんて、お医者さんには絶対言えないだろ。年寄りは医者大好きだから」


 袋をピリリと小気味よく開封する。新見は真珠にうつ伏せになるように言った。


「シャツ、捲るぞ」


「ん、お願い」


 遠慮のないない手つきでビッグTシャツの裾が肩までめくり上げられ、湯上がりでほんのり上気した素肌が、部屋の照明に白く浮かび上がる。ふわりとシャンプーの香りがした。


「これマジで薄くって、貼るの超むつかしいかんな。練習しとかないと、一人じゃ背中なんて普通にやったら絶対貼れんし」


 新見は独り言のように言いながら、ぺたりと一枚、テープ剤を貼り付けた。そのひやりとした感触に、真珠は「ひゃ」と小さく息を漏らす。


 新見は構わず、空気が入らないよう指先で器用に保護フィルムを抜き取っていく。


「じゃ、どうやるん?」


 真珠が背中を預けたまま尋ねると、新見は「それはだな…」と妙に勿体ぶった口調で続けた。


「保護シートを剥がしたら、そーっと床に置いてだな。その上に、こう…寝っ転がって貼り付ける」


 新見は言葉通りに床へ膝をつくと、テープ剤をそっとフローリングに置いた。そして、後ろを見ながら、ゆっくりと狙いを定めるように上体を傾けていく。そのあまりに真剣な様子が、かえっておかしくて、真珠はこらえきれずに噴き出した。


「……ぎゃははっ!なにそれ、コントか!」


「はいはい。次貼るぞ」


 呆れたように言いながらも、その横顔は笑っている。素っ裸にビッグTだけという無防備な姿の背中に、新見はどこか楽しそうに、けれど丁寧な手つきでテープ剤を貼っていく。


「終わり。後は自分で、さっきの曲芸方式で貼れな」


「はあ……。なんかもう、じんわり効いてきた気がする。すごいね、これ」


 背中に広がる清涼感に、真珠はうっとりと目を細めた。


「ま、なんか巷じゃ“貼る麻酔”って言われてるような代物だからな。あ、これ時間経ったらちゃんと剥がせよ、かぶれるから。風呂ン中だと皮膚がふやけて簡単に剥がせるよ」


 ***


「じゃ、また月曜な!お大事に」


「うん、今日は本当に助かった。バイバイ」


 玄関のドアが、パタンと静かな音を立てて閉まった。


 しん、と静まり返った部屋に一人。真珠はゆっくりとソファに戻ると、背中に感じる確かな効き目と、男の残り香に深く息をついた。


「新見、いいヤツだなあ……」


 ヤることはやるけど、裸見て即、襲ってくるようなこともない。隙あらば触ってくるようなこともなく、自制と節度をもったヤツだと、そんなことを真珠は思って、知らず知らず口元が緩んだ。

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