揺らぎ火と飛び火の任務記録Ⅲ

星野 海之助

一章:長く彼女を見守って

 レミが甲板へ上がると、朝日が白く照っていた。海に反射した光が眩い。手すりに腕を置いてその景色を眺める。初夏の潮風を全身で浴びた。

「おはようございます、レミさん」

 振り向くとカナタが立っていた。思い切り伸びをする。

 学問の島として名高いユニガ島で学ぶ権利を得ながら、もっと大事なもののためにそれを手放した少女だった。頭脳明晰さとは裏腹に、活動的な印象の八重歯が可愛らしい。口調はがさつでも、よく気がつく性格だった。

 振り返ってみれば、今回の任務は紆余曲折が激しかった。能力者のスカウトを目的にログロープ島まで足を伸ばしたのがきっかけになった。

 カナタの兄、樋谷紅仁。彼は特殊な能力者だった。

 驚くべきことに、レミと同じく火の力を持っていた。同じ能力の人間が同時代に存在したというのは前例がない。能力者全員に備わっているはずの、能力者同士の気配を察知する力が欠けているのも奇妙な点だった。

 さらに、彼の両親は共生派から姿を消した能力者だった。レミも名前だけは耳にしたことがあった。樋谷勇悟と『無限の闇』のミヨ。ミヨの方は存命だったが、レミが紅仁と出会ったのと時を同じくして統制派の能力者によって命を奪われた。

 引きずってはいられない。戦いに身を置いている者の宿命だった。それでも彼女の死が紅仁にもたらしたものを、レミは気にかけずにはいられなかった。

 素性を知られた紅仁はいつ命を狙われてもおかしくない状況へ陥った。血のつながりがないとはいえ、その妹であるカナタにも危険が及ぶ可能性があった。そういった理由から、彼女をユニガ島へ迎えに行った。

 想定外だったのは、カナタもまた能力者であることだった。

 ほんの数週間ながら非常に密な出来事の連続だった。レミは自分の右の手のひらを見つめる。なんの力にもなれなかったのが歯がゆい。彼らの母親を救えず、復讐を代わりに果たすこともできず、カナタの日常も保てなかった。

「いつも朝は早いんですか」

「日課の鍛錬がありますから」

「さすがに軍人って感じですね」

 率直な感想で他意はなさそうだった。人によってはわずかな血の気配でも、途端によそよそしくなることがある。けれどカナタは違った。自身も能力者だからなのか、ごく自然な態度だった。

「カナタさんはピキャルタ島へ行ったことはあるんですか」

「いいえ、あたしはログロープ以外だと、ユニガとその近くの島に研究で行ったくらいです。兄貴はもっと少ないと思いますけど」

 母親の警戒ゆえか、兄妹とも渡航経験に乏しかった。「なるほど」と応じて、カナタに対して両手を大仰に広げる。

「それでは、ようこそ共生派の拠点、ピキャルタへ」

 遠目には島影が見えていた。レミの育ってきた島、仲間たちの暮らす島、周囲の海域では一番大きい島だった。


 交じり合う島、ピキャルタ。

 中央、北東、南東、北西、南西のほぼ五つの海域に分けられる世界で、南東海域の二番目に大きな島だった。中央海域への玄関口としての役割も担っており定住者も流浪者も多い。

 この島の大きな特徴は共生派の存在感だった。政府が公に共同戦線を宣誓している。生活に密接していた。

「というわけで、この島ではおおっぴらに能力者であることを流布しても問題ありません」

 レミは団子を頬張りつつ、空いている手の人差し指を立てた。

 昼前に船を降りた三人は、港町をのんびり歩いていた。商売の声があちらこちらで上がっている。団子はレミのお気に入りで、任務から無事に帰投するたびに買っていた。紅仁が神妙な表情でうなずく。

「そこら中で火を出しても大丈夫ってことだね」

「共生派の本部で、部屋よりも先に独房へ入りたいならぜひそうしてください」

「三食つきならいいかも」

「でもおやつはありませんよ」

「それは頭になかった。くそ、不覚だ」

「馬鹿なこといってないで、さっさとその本部に向かおうって」

 カナタは手元で団子のなくなった棒を弄んでいた。兄たちのやりとりに対し、ため息をつく。

「拠点にはどのくらいで着くんですか」

「何しろ大きな島ですからね。馬車で三時間ほどはかかります」

 レミが応じると「三時間……」とカナタはこめかみを押さえた。長い船旅には慣れていなかったようで、疲れが隠せていない。

「心配しないでください、今日はとりあえずこの街に泊まりますから。ここまで来ればそう危険なことは起こらないでしょうし」

「なんだ、ここで泊まるんですね。てっきりこのまままた移動するのかと思ってました」

 カナタが安堵した表情を見せた。その素直さにレミは微笑む。兄のややこしさに対して、非常に好ましい。

「あら、レミちゃん。帰ってきてたの」

 露店の中年女性が声をかけてきた。レミは団子を飲み込み「さっき帰ってきたんです」と応じる。

「そりゃお疲れ様だったね。そっちの人たちも共生派に入るのかい」

「まあ、そんなところですね」

「あらあら、二人も勧誘するなんてやるじゃないの。頑張ったご褒美に、これ持っていきなさいな」

 売り物のリンゴを差し出された。「そんな」と断ろうとしたが「いいからいいから」と強引に押し切られた。

「いつももらってばかりですみません」

「いいのいいの。レミちゃんはちっちゃい頃から見てきてるし、ある意味で子供みたいなものさ」

「あああ、レミねーちゃんだ」

 手に持たされたリンゴをどうしようか思案する暇もなく。また別の声に名前を呼ばれた。島に住んでいる子供たち四人で、あっという間に囲まれてしまう。「お仕事終わったの?」「また遊んでよ」などと一斉にしゃべりかけられる。

「ごめんなさい、まだ仕事の途中なんです。もし時間が取れたら遊びましょう」

 正直に答えたが子供たちは不満げだった。露店の中年女性が身を乗り出す。

「こら、レミちゃんが困ってるでしょ。忙しいんだから無理言ったらだめだよ」

 彼女が一喝するやいなや「うわ、鬼婆だ」「逃げろ」と、子供たちは笑い声を立てながら駆けだした。去り際に「次のときは遊んでよ、レミ姉ちゃん」と手を振っていった。

「人気者だね、レミ」

 紅仁が目を瞬く。不当な扱いの話ばかりを耳にし、ユニガ島ではそれを実際に目の当たりにしてきたからか、能力者に友好的な態度を見て戸惑っているようだった。

「さすが共生派の拠点だけあって、この島の人はみんな、レミさんたちのことを受け入れてくれているんですね」

「……そうですね」

 レミはすっきりしない返事をしてしまう。今出くわした人々は確かに能力者の存在を受け入れてくれていた。

 それが本当にみんなであれば、どれほどよかっただろうか。

「そういえば、ここで泊まるって言っていたけれど、あてはあるの」

「それは心配いりません。共生派の施設がありますから」

 レミは立ち止まって、串で眼前の建物を指し示した。二階建ての平凡なレンガ造りの建物だった。入口の扉の横では、憲兵のような服装の男がこちらに背を向けて壁に何かをしていた。

「あの人も共生派?」

「そうです。ただ、能力者ではありません。共生派の理念に賛同してくれた仲間です」

「何してるんだろう。壁を拭いてる?」

 カナタが口にしたとおり、どうやら彼は壁を拭いているらしかった。それもなぜか同じ箇所を念入りに。近づいて脇から覗いてみると、文字が書かれていた。紅仁がつぶやく。

「島から出ていけ化物……」

 カナタが息を呑んだのが分かった。レミは無意識に歯を食いしばる。これもまた現実だった。

「うわ、なんだ君たちは」

 男が壁から身体を放す。その手には雑巾が握られていた。紅仁たちに驚いてから「あれ、レミさん」とレミに気がつく。

「任務帰りですか。どうもお疲れ様です」

「そちらこそお疲れ様です。その落書きは……」

「いつものですよ。同じ人間相手によくこんなことを言えるもんです」

 男が強く壁をこする。かなり力を入れているが、文字はほんの少し薄くなった程度だった。

「レミ、これは」

 紅仁に尋ねられ、レミは視線を落とした。

「この島は共生派の拠点です。ですから確かに偏見はほかの島と比べればはるかに少ないでしょう。ですが」

 最後までは言わなかった。

 理想にはまだ、ほど遠い。

「とにかく、中へ入りましょう。まずは身体を休めないと」

 レミは返事を待たずに観音開きの扉を開いた。黒で統一した床板や家具に出迎えられる。落ち着いた雰囲気が漂っていた。入口のそばには、腹部ほどの高さのテーブルが置かれていた。受付の女性が「レミさん、お疲れ様です」と笑顔を向けてくれる。それからレミの背後に目をやった。

「ひょっとして、新しい人ですか」

「今はまだ保護対象ですね。統制派に狙われていたんです。まずはバールに会わないとなんとも言えません」

「バール? 共生派の偉い人ですか」

「組織のナンバー2です」

 カナタにそう返した。紅仁が「ふうん」と反応する。

「どんな人なの」

「訊かれたとき用の言葉がありますよ」

 宿泊台帳に名前を書き終え、彼に告げる。

「文武両道、です」

「……キャッチコピー?」

「会ってみれば分かりますよ。これ以上なくバールさんを表した言葉ですから」

 受付の女性へ本部への伝令も頼むと、レミは二人と連れ立ってホールへ足を向けた。隅のソファーに小柄な老人があぐらをかいて座っている。頭は禿げ、身体全体の線は細い。しなびている、といった様相だった。だがよく見てみると、かなりしっかりした筋肉の持ち主であることが分かる。カナタが「あれ」と声を上げた。紅仁は感じ取れないが、彼女は察知できる。紅仁も妹の反応で察したらしく「あの人は?」と尋ねてきた。

「ちょうど挨拶しようと思っていたところです。紹介しましょう」

 ソファーへ近づいていっても、老人はほとんど身動きしなかった。見慣れたレミですら、腹部がほんのわずかに膨張と縮小を繰り返していなければ、意識がないのではと心配になるほどだった。

「リムリーム」

 呼びかけると、老人の顔がゆっくりと持ち上げられた。広い額と長い耳が特徴的で、とても穏やかな表情をしている。

「お帰り、レミ。息災で何よりじゃ」

「リムリームもお元気そうで安心しました」

「いやいや心はまだまだ元気なんじゃが、身体は駄目じゃ。墓参りに二時間もかかってしまったわい」

「二時間ならまだまだ上々ですよ。普通の人と同じくらいです」

「あの感じで、普通の人が二時間かける道を同じ時間で行けるってすごいんじゃないの。実は変装でめっちゃ若いのかな」

「兄貴はめっちゃ失礼だけどね。口を縫ってあげようか」

 二人が後ろで無駄口を叩いた。平時は常識人のカナタも、兄と一緒だと緊張感がどこかへ出かけてしまう。

「二人も見つけたのか。お手柄じゃの」

「いえ、まだ正式に入ると決まったわけではないんです。統制派に狙われることになってしまったので保護対象として連れてきました」

「統制派に狙われている?」

 リムリームの瞳がわずかに開かれる。彼が持つほかの要素とは不釣り合いなほど、緑色の眼光は鋭かった。

「名前を聞いてもらえれば分かると思います。遅くなってすみませんが、手前の男性が樋谷紅仁、その後ろにいるのが彼の妹の樋谷カナタです」

 予想どおり「樋谷?」とそのファミリーネームに反応した。レミの何倍も古参である彼は、当然紅仁の両親ことを知っている。

「樋谷紅仁です。父親は勇悟、母は弥夜です」

「樋谷カナタです。ややこしいことになりそうなので先にお伝えしておきますが、あたしは義理の娘ですから、血のつながりはありません」

「カナタ」

「いいって。お母さんたちのことを知っているなら、先に言っておかないとややこしくなりそうだし」

「あの二人の子供か。なるほどのお。どおりで共生派に入ると決まったわけでもないのに、保護対象になるはずじゃ」

 リムリームが腰を上げる。しわだらけの右手を紅仁へ向かって伸ばした。

「リムリームじゃ。老い先の短い身じゃがよろしくの」

 二人と握手をかわす。背筋はほんの少し曲がり始めていたが、まだまだ壮健だった。

「しかし、まさかあの二人の子供と生きているうちに再会することになるとはのお」

「再会ってことは、前に会ってるんですか」

「おぬしが赤子の頃にの」

「じゃあ、大事なところも見られてるじゃないですか」

 紅仁がカナタの後ろに隠れる。肘打ちを鼻にくらった。

「いたた。これ大丈夫なの。鼻血出てない?」

「いいんじゃない、血と一緒に変なものも抜けるかもよ」

 例によって兄妹漫才を始める。レミは頭をかいた。

「すみません、ちょっとにぎやかな人たちなんです」

「ほほ、気にするでない。ミヨはおとなしい子じゃったが、あの男はいるだけでもうるさかったしの」

「あの男というと、樋谷勇悟さんですが」

 噂には聞いていたが、共生派の面々はあまり彼について話したがらない。リムリームも例外ではなかった。

「そうじゃ。暑苦しい男での。あやつの周りだけ、マグマが湧いているようじゃったよ」

「それで、どうして母さんは組織を抜けることになったんですか」

 朗らかにそれでいて大胆に、紅仁が突然入ってきた。隙をうかがっていたのは明らかだった。

 レミも尋ねてみたいことではあった。なぜミヨは、ログロープという辺境とも言われている島に逃れていたのか。どうして共生派を辞めたのか。

 その経緯には、どこかきな臭さがあった。

「……それはわしも知らんのじゃ。すまないな」

「そうですか。知らないのなら仕方ありませんね」

 彼はあっさりと引いた。もう柔和な様子に戻っている。リムリームが「ふむ」とあごを撫でた。

「おぬしはどうにも半端じゃの」

「何がですか。おやつの時間を十五時十三分にしていることですか」

「そういうところじゃよ。癖なのか知らぬが、やりすぎて何も隠せておらんぞ」

 再びソファーへ腰を沈める。薄く開いたまぶたから、また瞳が覗く。

「わしは嫌いではないがの」

「それはよかった。おやつは十五時ぴったりじゃなくてもいいですよね」

「……ふむ、おぬしには伝えておいてもいいかもしれんの」

 リムリームが手招きをした。紅仁が素直に耳を近づける。耳打ちがなされた。レミには聞こえなかった。

「老人の戯言と思ってもらってもかまわんよ」

 紅仁は額にしわを寄せていた。

 出会ったばかりのはずの紅仁に、リムリームが伝えるようなことがあるだろうか。まったく想像ができなかった。

「そうじゃ、レミ」

 困惑していると、今度はレミに呼びかけてきた。紅仁から視線をはずす。

「今は心那と清心もおる。あやつにも挨拶していくといい」

「心那さんたちですか。甲はいいですが……」

 紅仁たちの方へ目をやる。彼らに心那たちは刺激的すぎる。会わせるべきだとは思いながらもためらいがあった。

「大丈夫じゃよ。すぐ慣れる」

「そういうものでしょうか」

「噂をすれば、ほれ」

 リムリームがあごで二階を指し示す。ホールから中二階に階段が伸び、そこから左右の個室の並んだ廊下へ分岐していた。噂の人物がいたのは、左側の扉の前だった。

「あら、レミ。ごきげんよう」

 栗色の美しい長髪が翻った。聞いている人間の耳を溶かしてしまいそうなほど、艶やかで甘い声だった。同性のレミですら時に動揺する。動きやすさから、かかとの低いヒールを履いているが、高い靴ならその長身がさらに映えるに違いなかった。落ち着いたベージュ色のロングスカートも決して地味ではなく、彼女の雰囲気作りに一役買っていた。

「リムリームもごきげんよう。今日もお元気そうね」

「おぬしにはとてもかなわんがの」

「またまた。『私たち』よりもよっぽどお元気ですわ」

 階段を降りて、彼女はホールへ降りてくる。「さて」と紅仁たちに視線を投げた。

「初めましてね、能力者のお二人。新しいお仲間かしら。私は心那。共生派の能力者よ。歓迎するわ」

「どうも、樋谷紅仁です。こっちは妹のカナタです」

「……樋谷?」

 彼女もまたそのファミリーネームに反応する。

「実はですね……」

 レミがフォローに入る。二人の出自とここまでの経緯を説明した。

 話し終えたところで「ミヨが……」と心那がつぶやいた。何かを思い返すようにうつむく。

「母さんと何かあったんですか」

 紅仁が尋ねると「昔お世話になったの」と懐かしそうに微笑んだ。

「私たち二人とも、ね」

 その言葉に紅仁は「二人?」と首をひねる。

「ええ、二人。彼にも挨拶してもらわないといけませんわ」

 心那が首をがくりと落とす。「心那さん?」とカナタが不安な声を出した。リムリームが口元に手を当てた。肩が震えている。面白がっていた。レミは額を押さえた。

「樋谷の息子とは、驚いた」

 紅仁とカナタの表情が明らかに引きつる。当然だった。先ほどまで甘ったるい声でしゃべっていた女性が、野太く低い音域を出したからだった。

 心那の身体の首が持ち上がる。その表情を見て、新参二人はのけぞった。彼女の目つきが先ほどまでと打って変わって険しいものになっていた。額にはしわが寄っている。

「心那はいたずらが好きだからな。お前らのそういう反応を見たかったそうだ」

「清心、甲も説明が足りていません」

「説明は不得手だ。お前が変わりに話せ」

「……せめて心那に頼んでくれませんか」

「紹介の間は変わらないそうだ」

「それなら責任を持って甲が説明してください」

「説明と言っても、どこから話せばいいか分からん」

 押し問答の末「仕方ないですね」とレミは折れた。実際、清心は心那以外としゃべるのが得意ではない。

「二人とも驚かれたと思いますが、今しゃべっているのは清心という人です。正確ではないですが、能力で多重人格になっている、と言えば分かりやすいでしょうか」

「多重人格っていうと、一人の身体の中に複数人の心があるっていう奇病ですか」

 カナタが反応する。生物の研究の中で出くわした知識だろうか。レミは「奇病かどうかはともかく」と前置きを入れてから続ける。

「心那と清心は能力でその状態になっているんです」

「能力でってどういうことさ」

「もともと、丙等は自分の身体をそれぞれ持っていたんです。能力を使って、清心の精神を心那の中へ取り込んだんです」

「そういうことだ。『一心同体』……心那の『心』の能力でな」

 レミが大部分を伝えたところで清心が口を出した。このタイミングで介入してくるのなら、最初から説明してほしかった。

「『心』の能力?」

「そう。基本的にはただ触れた相手の心を見透かすことができるだけだが、触れた相手の協力があればもっと特別なことができる。それで俺は、ゆえあって彼女の身体の中に心を移した」

 そこで清心は息を吐いた。ぶっきらぼうに「もういいだろう」と言った。カナタが「えっ、ごめんなさい」と反射的に謝罪する。しかし、彼の言葉の対象は同じ身体に住んでいるもう一人に対してだった。またがくりと肩が落ちる。やがてゆっくりと首が持ち上がった。

「まったく、清心は口下手なんだから」

 元のとおり心那の口調になっていた。クスクスと笑っている。

「心那、初対面の人をからかうのも大概にしてください」

「ごめんあそばせ。あの人、こうでもしないとあいさつするタイミングがなさそうだったものだから」

「清心さんでしたっけ。あなたの心の中に住んでいる、ということでいいんですか」

 紅仁の確認に彼女は「そう」と首肯する。

「私と彼は永遠を誓い合った仲なの。色々あって私の中へ彼を受け入れることになったけれどね。よく愛する人とは一つになりたいというでしょう。きっかけは不慮の事態だったけれど、文字通り一つになったの」

 言葉に熱がこもる。演劇の役者のような様子だった。天井を見上げており、その瞳は異質な光を帯びていた。

「心那、そのあたりにしておけ。ゲストを困らせておるぞ」

 誰も口を出せそうにない雰囲気を破ったのはリムリームだった。年の功のなせるわざに、レミはほっと胸を撫で下ろした。

「あら、ごめんなさい。彼の話になると、つい力が入ってしまうものだから」

 心那が素直に謝った。けれど反省しているわけではない。ああなるのはいつものことだった。紅仁がレミに耳打ちしてくる。

「この人、いつもあんな感じなの」

「大目に見てください。愛が深すぎるだけなんです」

「分かった。適度にいじっていくことにする」

「……なかなかチャレンジャーですね」

 声を抑えてやりとりしていると「そういえば」と心那が二人に視線を向けてきた。

「紅仁くんとカナタちゃんだったわね。あなたたちはどんな能力なのかしら」

「あたしは『細胞』です。直接触らないと何もできないですけど」

「『細胞』? どんなものか分からないわね。リムリームは分かるかしら」

「動物の構成要素じゃったかの。それに干渉できるならば、怪我を治すことも傷を広げることもできるような能力だと考えればよいか」

 リムリームがカナタへ確認する。彼女は「すごい」と漏らした。

「ユニガでも専門が違えばまったく話が通じないのに。よくご存じですね」

「ほほ、長生きしとる分、余計な知識はたくさん持っておるからの」

 彼は明るく笑ってみせてから「あやつらほどではないがの」とつぶやいた。紅仁が「ああやつら?」と聞きつけたものの「こちらの話じゃよ」とつれなかった。誰を念頭に置いた言葉か、レミには想像がついた。

「怪我を治したり悪化させたりか。なかなか珍しい能力ね。お兄さんは?」

「俺はこれですよ」

 紅仁が指先から火を出した。リムリームと心那の両方が息を呑んだ。火の能力に、ではない。カナタと同じ能力であることに驚愕していた。

「これは、たまげたのお。同じ能力とは」

「どういうことなの。二人以上の人間が同じ能力を扱えた事例なんて、過去にあったかしら」

「いいや、わしのほんの少し長い人生のかぎりでは、ない」

 二人が目配せする。レミはわずかに疎外感を覚えた。彼らは家族同然だが、その分子供扱いを受けることも多かった。大人は大人にしか分からないやりとりをする。

「たまたまなんじゃありませんか。俺はまだまだ短い時間しか生きていませんけど、同じ能力を持った人間と会いましたよ」

 紅仁があっけらかんと言い放つ。リムリームはぽかんと口を開けていたが、しばらくすると相好を崩した。

「確かにの。わしも生きたといっても数十年の単位じゃからのお。たまたま会えていなかった可能性も大いにありえるわい。一本取られたかの」

 けれど表情や口調とは裏腹に、含みのある言葉に感じられた。考えを率直に述べているようではない。

「まあそういうこともありますよ。今後、ますます精進してください」

 紅仁は冗談めかしてそう締めくくった。彼もまた、まだ自分のことをさらけ出すつもりはないようだった。

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