第8話 街道の味は、戸惑いのスパイス
秘境の森を抜けた後は、思ったよりもずっと大変だった。
いや、体力的な話じゃない。私にとってはアイテムボックスのおかげでハイキングみたいなものだけど、問題は隣を歩く元・世捨て人の王子様である。
「……人が、いる」
「そりゃいるでしょ。村なんだから」
十年ぶりくらいに麓の村に降り立ったカイさんは、すれ違う村人の一人一人にビクッ! と肩を揺らし、まるで生まれたての子鹿みたいに私の背後に隠れようとする。いやいや、あなたのそのガタイじゃ隠れきれてませんから!
「落ち着いて。誰もあなたのことなんて気にしないって」
「だが、視線が……」
「気のせい気のせい! さ、行くわよ!」
私は強引に彼の手を引っ張り、人通りの多い道をズンズン進む。森の中ではあれほど頼もしい『師匠』だったのに、文明社会に戻った途端、彼はただのコミュ障をこじらせたデカい男の人になってしまった。まあ、それも無理はないか。何年も獣としか話してなかったんだもんね。
私は露店で買ったフード付きの大きなマントを彼に羽織らせた。顔が隠れるだけで、少しはマシになったらしい。それでも、馬車に乗れば他の乗客の視線を気にして縮こまり、宿屋に入れば女将さんの気さくな声に固まってしまう。 そのたびに私が間に入って、商人ギルドで鍛えたトークスキルを炸裂させ、旅の商人兄妹(という脳内設定)を演じきるのだ。もう、どっちが保護者か分かったもんじゃない。
旅に出て五日目の夜。私たちは街道沿いの大きな街の宿屋に泊まっていた。 窓の外からは、酒場の陽気な音楽や人々の笑い声が聞こえてくる。森の静寂とはまるで違う、生き生きとした喧騒。でも、その音が、カイさんを不安にさせているのも分かっていた。
「カイさん、お腹すいたでしょ? この街の名物、買ってきたわよ!」
私はわざと明るい声を出して、ほかほかと湯気の立つ紙包みをテーブルに広げた。街の広場の屋台で売っていた、猪肉と野菜をコトコト煮込んだシチューと、焼きたての黒パンだ。
「……外で、食べてこなかったのか?」
「んー? だって、あなた一人で留守番させておくのも心配だったし。それに、たまには部屋でゆっくり食べるのもいいじゃない?」
本当は、食堂の喧騒に彼が耐えられないだろうと思ったからだけど、それは言わないでおく。 カイさんはおそるおそる、木のスプーンでシチューを口に運んだ。
「……!」
彼の目が、ほんの少しだけ見開かれる。 森で食べていた、素材の味を極限まで引き出したジビエとは違う。いろんな香辛料が使われていて、野菜の甘みが溶け込んでいて、たくさんの人の手がかかった、ちょっと雑然とした味。
「どう? 美味しい?」
「……ああ。懐かしい味が、する」
ぽつりと呟かれたその言葉に、私は胸が少しだけ温かくなるのを感じた。きっと彼が王子だった頃、城下町でこっそり食べた味にでも似ていたのかもしれない。 しばらく、私たちは無言でシチューを食べ進めた。窓の外の喧騒が、不思議と心地いいBGMのように聞こえる。
「……リナ」
「ん?」
「俺は……森の外では、何もできんな」
自嘲するような、力ない声だった。
「お前がいなければ、俺はあの村で一杯の水を頼むことすら、できなかっただろう」
「まあねー。私の手にかかれば、値切り交渉から宿のグレードアップまでお手の物よ!」
おどけて胸を張ってみせると、彼は困ったように笑った。あの森で見た、一瞬の笑顔とは違う。もっと自然で、柔らかい表情。
「だから、気にしないでいいのよ」
私はパンをちぎりながら、真面目な声で言った。
「森の中では、私がカイさんに何度も助けてもらった。あなたは、あなたの場所で最強だったじゃない? 今度は、私のテリトリー。私があなたを守る番。それだけのことよ。ギブアンドテイクってやつ?」
「……ギブアンドテイク、か」
彼はその言葉を、噛みしめるように繰り返した。そして、ほんの少しだけ、その強張っていた肩の力が抜けたように見えた。
旅は順調に進み、私たちはついに目的の国、商業国家エルドニアの国境を越えた。 馬車の窓から見える景色が、少しずつ見覚えのあるものに変わっていく。そのたびに、カイさんの口数は減り、表情は再びあの秘境の森にいた頃のような、硬いものへと戻っていく。
「……もうすぐ、だな」
夕焼けに染まる王都を遠くに望みながら、彼が呟く。 その横顔は、過去の罪と向き合う覚悟を決めた、王子の顔をしていた。 さあ、いよいよだ。 私はアイテムボックスの中で眠る最高のジビエたちのことを想う。
この旅のクライマックスは、きっととんでもない晩餐会になる。私は彼の隣で、ごくりと喉を鳴らし、静かに覚悟を決めたのだった。
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