23話 修羅場
結局、俺たちの作戦は失敗に終わった。
「で、電話の相手は誰だったのかな?」
まあ元々監視には限界があったので、どっちみち何か別の作戦を立てる必要があるだろう。
「誰か教えてくれないとずっとこのままだよ? それでもいいの?」
しかしまずはこの状況を打破するのが先決である。
「はぁ……」
――ひよどり山公園の入り口付近。
ターザンロープの終点で身動きが取れない一人の男子高校生がいた。もちろん俺である。
放課後、涼とこの公園で待ち合わせをしていたところ、突然背後から襲撃された俺は瞬く間に拘束され、足を紐で縛られるという醜態を晒している。
紐の片方は近くの木の幹に括り付けられていて、足を動かしてもびくともしない。これだけでも十分危機的状況といえるだろう。
しかし不幸なことに、俺の正面にはそれ以上の絶望が広がっていた。ロープが伸びる先、ターザンロープの始点には満面の笑みを浮かべた音羽がいる。
今にもロープに飛び乗ろうとしていて、このまま突っ込んできたら交通事故確定である。
昼休みに知り合いと通話していただけで、まさかここまでの事態になるとは思わなかった。
「行くよ! 全力で受け止めてね!」
内心頭を抱えていると、遠くから音羽の明るい声が聞こえてくる。死刑宣告に等しいそれは、同時に唯一俺が生き残る手段でもあった。
――ターザンロープで突っ込んできた音羽を気合いで受け止める。
抱きしめるでも、体当たりするでもなく、受け止めるのだ。
口で言うのは簡単だが、実際はそんなに容易いことではないだろう。でも体当たりしたらキレられるし、抱きしめたら大変なことになるので、結局道は一つしかないのである。
「いっくよー! それー!」
掛け声とともに音羽がロープに身体を預けた。滑車が派手に音を立て、勢いよく突っ込んでくる。
俺は咄嗟に腰を落とすと、まるで力士のような体勢で待ち構える。そして正面を見据えた。
ロープは予想以上に速いようで、彼女の制服のスカートが風に揺れ、目のやり場に困る状況だった。
「奏太くん、ちゃんと受け止めてよね! 逃げたら許さないから!」
しかし目を離したら大変なことになる。そんな危機感から瞬きすらせずにじっと音羽の姿を捉え続けていた。
「それっ!」
そしてやってきたのは、ドン! という鈍い衝撃。
全身に力を込め、俺は両腕を広げて音羽を受け止める。勢いに押され、後ろに仰け反りそうになるが、すんでのところで踏ん張って堪える。
何とか倒れずに済んだようで、俺はふぅと胸を撫で下ろして力を弱める。
それに対して音羽は、地面に着地した後も俺を抱きしめる力を緩めることなく、むしろ密着度が増していた。
「おい」
「少しだけ、ほんの少しだけだから」
こいつ、ターザンロープで突っ込んできたのにまだ満足してないのか?
図々しいにも程があるだろう。しかし抵抗できない俺にも問題があった。
「ねぇ、奏太くん」
「何だよ? 早くどいてくれ」
「もし奏太くんが浮気してたとしても、さすがにこの光景を見たら諦めるよね?」
「は?」
最初は発言の意図が分からなかった。しかし背後に人の気配を感じた瞬間、嫌な予感が頭をよぎる。
まさかこいつ、涼にこの光景を見せつけるためにわざわざ飛び込んできたのか?
そう思って振り返ると、そこには信じられないものを見る目で呆然と立ち尽くす涼がいた。
少し長めの髪が風に揺れ、長袖で身体を覆っている姿からは上品さが感じられたが、それが霞んでしまうくらい負のオーラを放っている。
「あ……」
「あ、じゃないよ! わざわざ見せつけてくるなんてボクに何の恨みがあるのかな?」
涼は怨念のこもった声音で言う。口角は上がっているのに、目は全然笑っていない。
「いや、違うんだよ。信じてくれ」
「女の子と抱き合ってる状態で信じられると思う?」
「違っ。仕方がないんだよ。ほら、足を縛られてるの分かるだろ? つまり俺は被害者で――」
「そういうプレイなんでしょ? もういいよ。せっかく高峯とは良い友達になれると思ってたのに、こんなことなら誘わなきゃよかった」
――友達。
その言葉に一瞬思考が固まる。内心感じていた期待とそれを失いそうな状況に心が揺さぶられる。
「ぐへっ――」
しかしそんな感情に浸る暇もなく、音羽がギュッと力を強めてくる。彼女の体温と甘い香りが、俺の精神をさらに追い詰めていく。
「や、やめろ」
「幼馴染を差し置いて女の子と待ち合わせをする奏太くんにはお仕置きが必要だよね?」
「だから男だって言ってんだろ。な?」
俺は必死に涼を見る。もしここで否定しようもんならこのままギロチンにかけられてもおかしくはない。
だから頼むから否定してくれ。そんな想いを瞳に込めて祈る。
するとその祈りが届いたのか、
「そ、そうだよ。ボクは男だよ」
「ほら、見ろ。こいつはただの男だ」
「ただの男って言い方は失礼だけどね」
ムッとした様子で涼が言うが、俺は内心安堵する。
「とにかく、これで男って証明できただろ? 早くどいてくれ」
勝ち誇ったようにそう言うと、音羽は至近距離でじっと見つめてきて、
「それとこれとは別だけど、仕方がないなぁ。このまま帰られちゃうのも都合が悪いし」
音羽はようやく俺から離れると、渋々といった様子で俺の足を縛っていた紐を解き始めた。
「さて、まずは自己紹介をしよっか」
「この状況で⁉︎ せめてそれ解いてからにしなよ」
呆れたように言う涼に対して、何事もなかったかのように紐を解く音羽。
「大丈夫。すごく慣れてるから」
「……これ以上言及するのはやめておくよ」
二人がやり取りをしている間に拘束が解けた俺は、足を回して感触を確かめる。よし、これでようやく自由の身だ。
しかし状況は芳しいとは言えなかった。
俺、涼、音羽。というなんとも言えない三人で向かい合うことになってしまい、どうすればいいのか分からなかった。
そんな中、音羽が口を開く。どうやら自己紹介をするつもりのようだ。
「私は宮崎音羽! 奏太くんと同じクラスで、奏太くんと同い年で、奏太くんの幼馴染で、奏太くんと一緒に住んでます! よろしくね!」
あれ? 自己紹介なのになぜか俺の名前の方が多いんだけど?
そんな疑問を抱いたが、それよりも先に訂正するべきことがあった。
「別に俺たちは一緒に住んでないからな。単に家が隣同士ってだけだ」
「でも窓から手を伸ばせば届くよね? もうそれ同居してるようなもんじゃん」
「……確かに」
「ん?」
今、涼から納得するような声が聞こえた気がするが、おそらく俺の空耳だろう。
「じゃあ今度はボクの番だね。ボクは城ヶ崎涼。キミたちと同い年で八王子高校の二年生。よろしく」
爽やかな笑みを浮かべて、手を差し出した涼。音羽はその手をさっと掴むと、感触を確かめるように何度も握った。
「女の子みたいな手だね?」
「あはは。スポーツは苦手で、これまで勉強しかしてこなかったから」
「ふーん……」
音羽は相変わらず疑っているようで、どうしても涼が女かどうか確かめたくて仕方がないらしい。その執念をもっと別のところに使ったらいいのに。
「で、二人はどうやって出会ったの?」
挨拶は程々に早速本題に入った音羽。元々は二人で計画について話すつもりだったのに、どうして音羽が主導権を握っているのだろうか。不思議だった。
「どうやって出会ったの?」
「いや、それは……」
「どうして言葉を濁すの?」
「だってこれは涼のプライベートに関わる問題で――」
幼馴染に告白してフラれたところを目撃してしまった。そんな内容を本人の許可なく話せるはずがない。
そう思って躊躇ったのだが、どうやら涼はあまり気にしていないらしい。一瞬俺に目配せすると、
「説明はボクからするね」
落ち着いた様子で話し始めた。まだ傷は癒えていないはずなのに、自分がフラれた経緯をここまで淡々と話せるのは素直にすごいと思う。
一通り話し終えると、涼はふぅと息をついた。
その話を無言で聞いていた音羽は、俺と涼を交互に見ると、うんうんと頷いて口を開く。
「やっぱり幼馴染は結ばれるべきだよね!」
「おい」
「涼くんの気持ちすっごく分かるよ! なんだか私たち、似たもの同士かもね」
「そ、そうだね」
勢いよく迫ってくる音羽に思わずたじろぐ涼。
これが俺の幼馴染である。おそらく自分の幼馴染との違いに驚愕しているのだろう。これで少しでも俺の苦労を知ってくれると嬉しいが……。
「目の前に幼馴染にフラれてる人がいたら、放っておけるはずがないよね」
勝手に一人で暴走し始めた音羽は、涼の手を取ると、まっすぐな視線を向けて言う。
「ねえ涼くん!」
「もしよかったら、私にも手伝わせてくれないかな?」
それはなんとも音羽らしい提案だった。
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