3話 幼馴染が家に侵入してきた

「来ちゃった!」


 結局、数十分後に音羽は家に侵入してきた。もちろん自ら扉を開けたのではなく、家主に何の許可もなくである。

 おそらく母さんから託されていた合鍵を使ったのだろう。


 いくら幼馴染とはいえ、彼女は赤の他人である。合鍵を渡すのは防犯上の観点から見て非常にまずいと思う。

 しかし残念なことに母さんの防犯意識は驚くほど低いようだ。そのせいでオオカミの侵入を許してしまった。


「ふふふふーん♩」


 彼女は慣れた様子で台所に立つと、冷蔵庫の中身を漁り始める。そして卵とバターを取り出すと、早速何か作り始めたようだ。フライパンに油を敷いて、火をつける。


 忙しなくキッチンを動き回り、鼻歌を口ずさむ姿は妙に絵になっていたし、以前はサイズが合わなかったエプロンを今は完璧に着こなしているところに時の流れを感じた。


 しかし感慨深いという感情は一ミリもなかった。むしろソワソワして落ち着かない。


 やはりどうしても音羽が家にいるという状況に慣れないのだ。二人っきりだと何をされるか分かったものじゃないから。

 そんなこんなでしばらく彼女の様子を観察していると、


「ふふっ。奏太くん、私のこと気になりすぎじゃない?」


 フライパンで目玉焼きをひっくり返しながら音羽が微笑む。


「気が気じゃないんだよ」


「私の手料理食べるの久しぶりだもんね。一年の時は違うクラスだったし、今ほど話す機会は多くなかったもん」


 確かに一年の時は比較的快適だった。

 先輩は学年が違ったし、音羽もミーナも違うクラスだったので、放課後以外に幼馴染たちと絡む機会は少なかったのだ。


 もちろん、休み時間に乱入してきたり、昼休みに勝手に俺の机で弁当を広げたりして、クラスメイトたちから冷ややかな視線を向けられるという不運はあったが、今と比べたらはるかにマシである。


「でも本当によかったよ。まさか全員同じクラスになれるなんて奇跡だもん」


「響先輩に関しては良いのか悪いのか分からないけどな」


 俺たち四人は昔からずっと一緒にいた。

 音羽は生まれた時から、響先輩とは幼稚園の頃から、そしてミーナは小学校の時からと、それぞれタイミングや年齢は絶妙に違うが、少なくとも十年ほどは共に過ごしている。


 監禁さえなければ、きっと俺たちは仲良し四人組だったのだろう。


「はい、できた! ほら、奏太くん、座って座って!」


 そうこうしているうちに料理は完成したようで、音羽は目玉焼きとサラダ、ベーコン、食パンをトレーに載せてテーブルに運んできた。

 彩りが良くて、シンプルだが、栄養バランスが考えられているのが一目でわかる。野菜嫌いな俺にも容赦のない布陣である。

 彼女は満足そうに手を叩くと、俺の向かいにドンと腰を下ろした。


「……音羽も食べるのか?」


「もちろん! 一緒に作ったんだから、一緒に食べるでしょ! もうお腹ぺこぺこだよ。いただきまーす!」


 音羽はパクッとサラダを口に放り込み、幸せそうに目を細めた。

 野菜嫌いとしては一瞬ゾッとしたが、早く食べないと冷めてしまうので俺は急いで箸を手に取る。

 音羽の作った目玉焼きにはソースがかかっていて、相変わらずだなと思いながらも口に含む。出来立てだからかとても温かった。


「美味しい?」


「まあ……」


「うーん、全然素直じゃないなぁ。昔はもっと真っ直ぐで綺麗だったんだけど」


「誰かさんに監禁されたせいで心が荒んだんだよ。目つきが悪いのだってそのせいだ」


 音羽の言う通り、かつての俺は聖人のような人間だった。人助けを最優先し、争いを好まないようなクリーンな性格だったのだ。

 うわっ、今思い出しても気持ち悪い。


 そんな俺の人間性が大きく変化したのは三人の幼馴染に立て続けに監禁されてからである。

 それ以来人間不信になって、人助けよりも保身を優先する欲深き人間になったのだ。


 個人的にはそれで良かったと思っているが、音羽はその変化に納得がいっていないのだろう。

 俺がさりげなくサラダの入った皿を押し付けると、ニッコリと笑顔を浮かべながら押し返してきた音羽は、


「もちろん、どっちの奏太くんも奏太くんだよ。でも突然窓を閉めたり、私が家に入ってきたらため息をつくのは、少し控えてほしいなーって」


「………………」


「あと野菜を残すのもやめてほしいなー」


「いや、好き嫌いは誰にでもあ――」


「やめてほしいな!」


 笑顔だけで圧を放ってくる。ニコニコしているはずなのに、どうして俺の足は震えているのだろう? 不思議だった。


「とりあえず野菜は後で食べるとして……」


 俺はトーストにかじりつくと、牛乳を流し込んで立ち上がる。フォークに突き刺さったトマトがゆっくりとこちらに向かってくるのを、全力で回避しながら口を開いた。


「言っておくけど俺は野菜を食べないし、お泊まり会にも参加しないし、昔みたいな家畜に成り下がるつもりはない! 俺はオオカミだ!」


「オオカミ?」


「相手が誰であれ、監禁されるつもりはないってことだ」


 俺は力強くそう宣言する。

 豚はオオカミには勝てない。だから俺もオオカミになって、幼馴染オオカミたちの猛攻から逃げ切るのだ。

 そのためには野菜なんて必要なかった。なぜなら俺は肉食獣なのだから。


「とりあえず野菜、食べて?」


「嫌だ」


「子どもみたいにだだこねないの。もう!」

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