第10話 グランヴィス侯爵邸

「イルバノア・グランヴィスです。ソフィア殿、ようこそ我が屋敷においでくださいました。突然の訪問には驚きましたがお会いできて光栄です」


「こちらこそ、突然の訪問を許可してくださったこと感謝します。魔法の名家として名高いグランヴィス家の現当主であるイルバノア殿にお会いできたこと、こちらこそ光栄です」


グランヴィス侯爵邸を訪れた僕、ソフィ、セシル一行は来賓室に案内され、備え付けられた机を挟んでイルバノア達と向かい合っている。


僕の父ことイルバノアとソフィアが笑顔で握手を交わしているにもかかわらず、部屋の空気はとてつもなくぴりつき、張り詰め、重苦しい。


父の本心は『デュランベルク公爵家の長女だから調子に乗るなよ。前触れもなく突然やってくるとは何用だ』というところだろうか。


二人が握手を終えると、イルバノアの隣に座っていた青年が立ち上がって手を差し出した。


僕の弟ギルバートだ。


しかし、ソフィは眉を顰め、その手を取ろうとしない。


それどころか、ギルを鋭い目で一瞥した。


「……貴殿は何者かな?」


「これは失礼しました。私はギルバート・グランヴィスと申します。この度、諸事情ありまして事実上廃嫡された兄アルバートに代わってグランヴィス家の後継となりました。以後、よろしくお願いします」


「おや、君がギルバートだったのか。アルバート殿から聞いているよ、自分と違って優秀な弟だとね」


「尊敬している義兄にそう言われると照れますね」


ソフィがギルの差し出した手を握ったその瞬間、ギルの表情が一瞬だけ苦悶に染まった。


でも、彼はすぐに微笑んだ。


「……はは、ソフィア殿は冗談がお好きな方のようですね」


「ほう、さすが後継となっただけのことはあるようだな」


二人の握手が終わると、次いでセシルがそつのない挨拶と握手を交わした。


ただ、父上とギルは僕に見向きもしない……というか見ようともしていない。


まるで、僕だけこの場に存在しないかのような扱いだ。


もっと早く魔力を目覚めさせることができていれば、彼等の僕を見る目も少しは違っていたのだろうか。


この場にいる面々の挨拶が終わったところで、父上が咳払いをした。


「さて、ご用件を伺いましょう。デュランベルク公爵家の次期当主と呼び声の高いソフィア殿が至急の要件で来られるとは、只事ではありますまい」


「まぁ、そうですね」


ソフィは不敵に笑うと、僕を横目でちらりと見てから「実は……」と切り出した。


「今日の朝。私達が乗っていた魔動車の前に、アルバート殿が急に飛び出してきましてね。事故が起きてしまったんですよ」


「な、なんですと⁉」


父上は血相を変え、ここにきて初めて僕を見据えた。


ただし、その瞳には憎悪しか宿っていない。

「嫌な予感がしたのはこれか。貴様、アルバート。隠居しろと命じたのは、せめてもの慈悲だった。それを、このような仇で返すとはなんたる輩だ。『できそこないの落ちこぼれ』だけに留まらず、足まで引っ張るか。この穀潰しめ」


「……申し訳ありません」


僕は何も言えず、深々と頭を下げることしかできなかった。


もし、事故を通じて出会ったのがソフィじゃなければ、父上の言うとおりだったからだ。


「父上、お客様の前で声を荒げるのは如何かと存じます」


ギルは目を細めて諫めると、僕を見て「それにしても……」と続けた。


「アル義兄さんのことは大好きだよ。でも、いい加減に『できそこないの落ちこぼれ』であることを自覚したほうがいいかもね。嫡男だからと意固地になって頑張ってたみたいだけど、結果として周囲に迷惑をかけているんだよ。それに気づけない鈍感力もさることながら、ソフィア殿の乗る魔動車の前に飛び出すなんて、どういう神経をしているのか。逆に感心しちゃうというか、ある意味で尊敬しちゃうよ」


「いっそ、死んでくれたほうが良かったかもしれん」


ギルの言葉に父上が相槌を打ったその時、僕達の前にあった机が轟音を立てて真っ二つに粉砕された。


何事かと見やれば、ソフィの拳が『机だったもの』を貫通して床にめり込んでいるじゃないか。


父上とギルは「な、なな……⁉」と目を見開き驚愕し、セシルは額を押さえながら深いため息を吐いている。


「……失礼。少々耳に触る羽虫がいたものでな」


「は、羽虫?」


ソフィが目を細めると、ギルが訝しむように首を捻った。


そりゃそうだろう、どこの世界に机を粉砕する勢いで羽虫を潰す令嬢がいるだろうか。


「それよりも、私の話はまだ終わっておりません」


彼女は威儀を正すと、何事もなかったかのように話頭を転じた。


「アルバート殿が事故に遭った際、私が介抱しました。しかしその時、思いがけない出来事が起こったのです」


「思いがけない出来事……?」


父上が訝しむと、ソフィは頬染めて乙女のようにこくりと頷いた。


「私ソフィア・デュランベルクは、どうやらアルバート殿……いや、アル殿に一目惚れしてしまったようです」


「は……?」


予想外の答えだったんだろう。


父上とギルは鳩が豆鉄砲を食ったように目が点となってしまっている。


しかし、すぐに驚きが衝撃となって全身に駆け巡ったらしく、ハッとして血相が変わった。


「はぁああああぁあああああ⁉」


二人のこんな狼狽した姿を見るのは初めてだ。


ソフィアは畳みかけるように続けた。


「そして、アル……アルバート・グランヴィス殿も介抱した私に一目惚れしたとのこと。つまり、私とアルは相思相愛の仲となったのです」


「な……⁉ そ、相思相愛だと。そのような話、にわかには信じられん。アルバート、ソフィア殿の仰ったことは本当なのか⁉」


「……はい、父上。私はソフィア・デュランベルク殿を、ソフィを心からお慕いしております」


ここで言い淀んでは真実味がなくなってしまう。


僕は力強く、はっきりとした口調で告げた。


「ば、馬鹿な……」


父上は開いた口が塞がらない様子で愕然とするが、ギルは対照的に冷静な様子で僕とソフィを見やった。


「なるほど、アル義兄さんとソフィア殿が運命の出会いを果たして相思相愛ですか。それは素晴らしいことじゃありませんか」


彼は目を細めて拍手をはじめるが、拍手を止めると同時に微笑んだまま冷たい眼差しを向けてきた。


「まぁ、相思相愛になったというのが本当の話なら、ですけどね」


「ほう、貴殿は私の言葉に嘘偽りがあると?」


ソフィが睨みを利かすと、ギルは慌てた様子で頭を振った。


「いえいえ、滅相もございません。デュランベルク公爵家の次期当主と名高いソフィア殿が嘘偽りを仰るなんて、そんなことは通常は考えられませんよ。しかし……」


ギルは意味深な言い方をすると、ソフィを見据えた。


「ソフィア殿は現在、デュランベルク公爵家におけるお家騒動の中心人物のお一人でしょう。ただ、政治的になにかしらアル義兄さんが必要になっただけではないか……と、義兄【あに】を尊敬し、愛する弟としては心配しているだけでございます」


「兄を尊敬し、愛する、か。先程はアルバート殿のことを『できそこないの落ちこぼれ』と仰った者の言葉とは思えませんね」


セシルが冷たい口調で指摘するが、ギルは動じずに目を細めた。


「家の数だけ、家族と家庭のあり方がございます。おそれながら、セシル殿の見識だけで私の義兄に対する『愛と想い』を語らないでいただきたい」


「……言ってくれますね」


二人が視線で火花を散らす中、ソフィが「よかろう」と切り出した。


「ならば、私とアルが相思相愛の仲であることをこの場で証明してみせよう」


相思相愛の仲を証明って、一体何をするつもりなんだろう。


この場の注目を浴びる中、彼女は言うが否や席を立って僕の側にやってきた。


「アル、立ってくれ」


「は、はい」


言われるがままに急いで立つと、ソフィは僕の顎をくいっと持ち上げた。


「愛しているぞ、アル」


「え……?」


すっと顔を寄せてきたから何をするつもりか尋ねようとするも、僕の口はとても柔らかいものに覆われて言葉を出せなかった。





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◇あとがき◇

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