冬物語(Ⅲ) 「久我律華」と「紀伊國屋照影」

第10話

 涼守は進学塾へと向かう為、平浜駅前のバスステーションでバスに乗車。


 道程は遠い、乗った瞬間猛烈な眠気に襲われる。


 暫くは一本道、終点までの約一時間。バスは湾岸沿いの国道を通り、小さな集落毎に停車しながら鬼隠へと向かう。


 涼守は夢の中。


 大手進学塾、特進コースは地元の進学塾より更に高度な授業が受けられる。だが遠い、旧市街から通っているのは涼守のみ。


 もう受験には落ちたくなかったからだ。


 バスの終点、鬼隠南駅前。此処は「鬼隠中央ステーション」とも言われ。鉄道線、バス路線、そして路面電車が乗り入れる新市街地区への入口となっていた。


 駅と国道、道路沿いにポツンと一件コンビニがある位、周囲は閑散としていた。




 冬の夜。静かな波の音、海神湾内の海を隔て、宝多島、そして平浜地区、その先は湾の反対側、羽衣地区。夜の海神湾。夜景は美しい。


 振り返ると、切り立った山を切り開いた鬼隠半島。


 眩しいばかりに輝く新市街、鬼隠地区の夜景。この場所は、海神市の主要な場所が一望できる、地元民ならではの穴場観光スポットであった。


 路面電車が停車する音。

「おっ、電車来たか」

 涼守は路面電車へ。進学塾まではもう少し。


 ******


 涼守が通う大手進学塾内、二人の受験生が廊下で立ち話をしていた。小柄な三つ編み少女『久我 律華くが りっか』と大柄で太った男子『紀伊國屋 照影きのくにや てるかげ』。


 最近、久我律華は成績が良くなり、もっと上のレベルを目指そうと、一般コースから特進コースにクラス変更していたのだ。


 ニコニコと笑いながら、紀伊國屋照影が話しかける。

「ねえねえ、律華ちゃーん。マジ特進コースにするの? もう十二月だよ、受験すぐだし、無理しなくていいんじゃないの?」


 律華は少し考えた後。

「うーん、でも頑張ってみる。お姉ちゃんと同じ高校通いたいし」

「そうかぁー、律華ちゃんなら絶対合格出来るよ。俺っち応援するね、ガンバ」

「ありがとう」


 二人は幼馴染で同級生。一般コース、地元の公立高校を受験する照影と別れ、律華は特進コースの教室へと向かった。


 特進コース、受験先はこの地域、場合によっては東京の最難関高を受ける受験生ばかり。皆頭の良さそう。受験シーズン間近、教室内には緊張感が漂っていた。


 律華は物怖じせず、教室の前方に向かった。中三にしては小柄な律華、前席の人が大きいと電子黒板が見え難くなる。


 視界が良さそうな椅子に座る、席は自由。だけど。

「おい、ココ俺の席なんだけどぉ」


 声をかけたのは、同じ中学の男子受験生三人。律華を睨んだ。

「席は自由のはずじゃない?」


 進学塾の席順は自由、皆やる気のある学生ばかり、席は前から埋まっていく。

「俺、いつもここ座ってんだけど、指定席みたいなものだろう」


 もう一人の男子も加勢する。

「なんで、今頃ここ(特進コース)来るんだよ」

「あなた達には関係ないでしょう」


 小柄な律華は睨み返した、生真面目かつ正義感が強い。

「ふーん、お子ちゃまブス、残されているのはガリ勉だけかってかぁ」


 久我律華は小柄な少女、三つ編み、前髪は七三に分けている、ダサい、頭に墨汁をぶちまけてしまったような真っ黒で艶のない髪質、所々撥ねている、古いブ厚いセルフレームのメガネにインフル対策のバカでかいマスク。


 ほぼ顔は見えない。制服も、標準通り。野暮ったさが数割増しとなっている。


 小柄な少女と、三人の男子生徒達が衝突する。

「……言いたい事があったら、言えば」


 律華は怯まない、小柄でも気は強い。律華、心の中の半紙には何時も「正義」の文字が書かれている。

「あー何、その態度」


 一触即発、特進コースの生徒達は皆バラバラの中学だ、触らぬ神になんとやらだ。

「あの、ここにも席あるから」


 涼守が声をかける。

「なんだよ、てめえ」


 気が立っている男子生徒は声を荒げた。

「あの……君達、女の子にちょっと、言い過ぎだと思うけど」


 涼守は律華と男子生徒の間に割って入り、両者を引き離した。

「関係ねーだろう!」


 割って入られたことで、怒りが涼守の方に向いた。

「わかった、もう良いわ!」


 律華は席を立ち上がり、男子生徒に譲った。そして周囲を見わたし、自分が座れそうな席を探す。

「こっち、空いてるし、ちょっと遠いけど電子黒板、良く見えるよ」


 涼守は自分が座っていた席の方を指した。

「そう、ありがとう」


  律華は涼守の席からわざわざ一個離れた席(傍点)に座った。


  一個離れた席の涼守、自分の席から律華に話しかけた。

「今日から特進コース?」

「そうよ」


「何処狙ってるの?」

「明陽館」


「俺と同じだ。何か分からないことあったら聞いてくれ」


 久我律華は涼守の方に振り向いた。

「あなた、無関係なのに、お人好しなのね」

「どうだろ? でも、もうすぐ受験だし、みんなピリピリしているから、な」

「うん、そうね」


 律華も同意した。

「ここ、あまり座る人居ないんだよ。俺、人苦手だし、結構穴場」

「……わたしも人、苦手」


 教室の後方窓側、余り人気の無い席らしい、周囲に受験生達の姿はない。だが、涼守の言った通り、電子黒板は良く見える。


 女の子と話す機会の少ない涼守。でも、この女子とは仲良くなれそうな気がした。旧市街から遠い進学塾、知っている人、話せる人は殆どいなかった。


 授業が始まり、自習、過去問を解き始める。

「うーん」


 律華が問題に詰まると、涼守がさりげなくアドバイス。二人は問題集を解きあったり答え合わせをしたり、塾の課題をクリアしていった。


 しばらく時間が経過する

「スゲー綺麗……」

「え!」


 涼守からいきなり「綺麗」と言われ律華は動揺した。

「いきなり何!? 顔見えてないでしょ」


 驚く律華、涼守は説明。

「あぁ……ゴメン、ゴメン。字がスゲー綺麗だから、ノート凄い」


 律華のノート、几帳面な性格を体現しているかのよう、整然としている。そして、字が物凄く綺麗だった。

「わたし、書道しているから。書道部。部長なの」

「だからかぁー、凄く綺麗だ、うん、綺麗」


 涼守は、綺麗を何度も連発した。

「……なんか、恥ずかしいわ」


 涼守は字を褒めちぎった。

「字だけじゃない。姿勢も綺麗だ」

「ええ!」


 律華はただ座っているだけでも、他の塾生達と違い背筋が真っ直ぐに伸び、育ちの良さを推察される、その佇まいは凜としていた。

「うん、綺麗」


 律華は叫んだ。自身のハートを極上の筆で擽られた気分になった。


 机に突っ伏す。

「もう良いわ!」


 机に突っ伏したまま、律華は涼守の方に振り向き直し、話しかけた。

「ねえ君、モテそうね」

「いいや、全然」


 逆に涼守は黒板に集中したまま、サラリと答えた。

「そう?」


 律華がそう言い終わると、二人はまた黙って課題に取り組んだ。



 授業終了間近。

「ねえ君、名前教えて? わたしは律華、「久我律華」。鬼隠南第三中学校。同じ歳だし、呼び捨てでかまわないわ、だから「律華」でいいわ」


 女の子か突然名前を聞かれた、ドキリとする涼守。

「おっ、俺は、龍樹涼守……旧市街、平浜第一中学。俺も「涼守」でいいよ。ヨロシク、久我さ……」


「「律華!」。平浜第一って、すごく古い校舎だよね」

「あっ、ああ律華さ……律華、ウチの学校、隙間風スゲー寒い。エアコン無いし、メチャ暑いし。暖房は未だにダルマストーブだし、見たことある? ダルマストーブ」


「フフッ、そうなの? 大変そう」

「うん、大変だ」


 マスクとメガネに隠されているけど、久我律華は笑っていた。イイ雰囲気だった。久我律華からは、何か、すごく良い匂いがしていた。


 涼守は心臓が高鳴る。こんな子が俺のカノジョだったら……少し考えて、すぐ諦めた。こんな良い子、絶対カレシがいるに決まっている。涼守の人生諦めが肝心。



 一般コースの方が早く授業が終了する。照影は特進コースの授業が終わるまで、廊下で待っていた。


 律華と涼守が何か話しながら並んで歩いている、二人の姿を照影が目撃した。

「…………」


 照影は、特進コースで勉強している同じ中学の学生に声をかけた。


「律華ちゃんと話しているあの男子、誰?」

「わりい、名前は覚えていない。だけど旧市街から通っているらしいぜ」


「旧市街!?」

 照影は驚いた、同じ海神市内でも旧市街はかなり遠いイメージがある。


 律華は涼守と別れ照影の所にやってきた。照影が律華に質問する。

「どうだった、特進コース」

「うーん、なんとかついて行けそう」


「そっかぁ~やっぱ律華ちゃんはスゴイね」

「でも、まだまだかな、もっと頑張らないと」


 二人は玄関を出てモノレールの駅に向かった。 



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