32もふ🐺 おなかの小剣

「ジュリ!」


アンジュの体からとんでもなく攻撃的な魔力があふれていた。ある意味、僕の禍々しく感じられる魔力よりも恐ろしいくらいに。

腰に帯びた王剣を使うことさえ忘れてるのかただ殴っている。その魔力が込められた肉体から繰り出される攻撃はとてつもなく強大で、訓練された軍人である狐獣人たちがまるで紙で作られた人形みたいに吹き飛ばされていく。だけど狐獣人たちは戸惑うようにしていてほとんど無抵抗だった。


「(ア……)」


声が出ない。ひどく痺れたままだ。僕はと言えば服を切り裂かれ、肌が露出し、至るところに斬られた出血と打突された痣があった。忌み嫌われていじめ抜かれていた子ども時代を少し思い出す。


「お待ちを王陛下! 麗しの君! たった今、反逆者からジュリくんを保護したところです! できればジュリくんを救出するために足取りを追っていた私の兵たちを殴らないでいただきたく!」


僕を助け起こすような姿勢で平然と嘘をつくレーヴ。切れ長の目がにっこりと微笑んでいる。アンジュに訴えた口調は真に迫っていて疑いようがないものだった。もの凄い演技力。これが貴族の鉄の心か。ルテさんの言っていた意味が少し分かったよ。


「どけ! 大丈夫かジュリ!」


アンジュに突き飛ばされて尻もちをついたレーヴが痛そうに尻をさすっている。僕を心配する王を気遣うような細かい顔芸をちゃんとしている。

代わりに僕を抱えるアンジュの形相がやばい。こんな顔を初めて見た。それだけ僕の事を心配してくれてるってことで……。やばい。嬉しい。ドキドキするくらいに嬉しい。顔が赤くなっちゃうよ。


「誰が俺のジュリを穢した……そこに倒れている貴族の男か? それとも倒れている雑魚どもか?」


え? 貴族の男? いや。それはたぶん変幻魔法だよ? いつの間に。

僕の顔と体についたいくつもの傷に視線を移して。傷をいたわるように大きな手をかざすアンジュ。僕に聞いてるのか。それともレーヴに聞いてるのか。誰に聞くともない言いようで体が震えている。けれども僕はまだしゃべれないから答えられない。


「こやつを引っ立てろ!」

「は!」


レーヴに命令された軍人が偽の貴族を抱えて部屋から出て行った。


「王陛下のおっしゃる通りかと思われます。我々が突入した時にはジュリくんはすでにこの状態でしたから。ご覧の通り、この屋敷は他もすべて制圧しておりますのでご安心を。この者どもは王陛下に仇なそうと画策している敵対派閥のようです。縛り上げて尋問いたしますので。王陛下、ジュリくんは軍医に診てもらいましょう。最も優秀なものを手配いたします。保護をいたしますのでよろしいでしょうか?」


いけしゃあしゃあと良く口が回るもんだ。レーヴは忠誠心のこもった口調と真剣な眼差しで部下の軍人たちに指示を出している。アンジュ。敵はこいつだよ。軍務省大臣のレーヴだよ。


「そうだな。ジュリ。すぐに治療をしてもらうといい」


僕を見つめるその瞳が優しい。でも騙されちゃダメだよ。お願いだから気づいてくれよ。必死に視線で訴えるけど、これだけじゃ分からないよね。


「王陛下。王城に戻りましょう。御身の安全のためにも」

「分かった……」


アンジュが僕の頭を抱えるように抱きしめた。顔が近くてドキリとする。いや、今はそんな場合じゃないから。変な反応をする心臓に文句を言いたいところだけど。


軍医だなんてダメだ。穏やかに話しを続けるレーヴの口調は変わらない。このままじゃアンジュと引き離されてレーヴのいいようにされてしまう。ミーラヤさんだってなんとか助けないといけないのに。

僕の体を麻痺させる毒素を早く中和しなきゃ! さっきから続けてる魔力の操作をさらに加速させるけど、初めてする事だからなかなか上手くできてないかもしれない。


「だがその前にすべきことがある」

「は? なんでございましょう?」


レーヴの問いかけを無視して、アンジュの鼻がくんくんと僕の頬を嗅いでいた。


「よだれ臭い……俺のジュリ……俺のジュリを……舐めたな……。レーヴ、貴様は死刑だ!」


僕を床に寝かせたアンジュが立ち上がり振り返りざまにレーヴを殴ろうとした。

けど寸前で止まった。


レーヴの小剣がおなかを貫いていたから。

僕のおなかを背中から。

おなかに突き刺されている小剣を見つめるアンジュの見開いた瞳が驚愕の色を帯びていた。


「アン……ジュ。無事で良かった」


僕からはレーヴの行動が丸見えだったんだ。きっとアンジュに気づかれていると思ったんだろう。鞘から抜いた小剣の切っ先をアンジュの背中に向けていた。ある程度、毒素から解放された僕は考えるよりも早く肉体操作をしていた。アンジュを守るために。

おなかが熱い。血があふれ出していた。きっと大事なところがやられてる。


あまりのことにアンジュの胸にもたれかかっていた。

アンジュまで貫く勢いだった刺突は僕の6個に割れた腹筋と魔力の障壁で止めた。麻痺が残っているせいで完全な防御ができなかった。それにレーヴの剣技は鋭い。

だけどバロン。バロンの指導のおかげで腹筋が役に立ったよ。僕の血肉はみんなのおかげでこうして立派に成長してるんだ。


「く!? 抜けん!」


二度目の攻撃をしようとしたのかな? 抜かせない。と思って腹筋と魔力で小剣をがっちり固めた。


「その剣もらった!」


アンジュの腰に帯刀された王剣をするりと抜いて刺突の構えをするレーヴ。そのレーヴは気づいていなかったみたいだ。凄まじく怒りに満ちた形相を。アンジュの変化を。

膨大な魔力を持つ僕が恐ろしく感じるくらいに魔力が増大して獣と化していくその姿を。獣人のたくましい筋肉がさらに膨れ上がって硬い獣毛に覆われ、牙と爪が鋭く伸びていく。人狼だ。


突き出された王剣は鋭い爪がギラつく狼の手に掴まれていた。驚愕するいとまもないままに凶暴な人狼のあぎとと爪がレーヴの体を咬みちぎっていた。

無惨な姿になったレーヴが床に倒れている。そして、ある者は立ち向かい、ある者は逃げ惑う。たくさんいたすべての軍人たちを蹂躙する人狼の姿がいた。とてつもない魔力が発されている。


「アンジュ……」


おなかに小剣が刺されたままの僕は力が抜けて、ぺたりとお尻を床につけていた。出血がひどい。このままじゃ失血死する。

それはダメだ。僕にはやらないといけないことがある。魔力による肉体操作と腹筋でおなかからの出血を止めた。初めてする作業だから完全じゃないけど。


すべてを終えて。立ち尽くしたアンジュが僕を見つめて優しく力なく微笑んでる。人狼の姿から獣人に戻ったアンジュの口の周りと手が赤く染まってる。

僕はこの姿を知っている。遠い遠い昔のこと。あの日のこと。オオカミの群れに襲われて、攫われた可憐な少女を。


僕を見つめるアンジュの瞳に生気がなくなっていく。立派な狼耳はぺたんと垂れ下がってもふもふのしっぽは力なく垂れていた。フラフラとふらついて倒れるアンジュ。

魔力感知に長けた今の僕なら分かる。変化による魔力の消費と漏出があまりにも激しい。

急性魔力欠乏症だ。それも重大な。きっとあの日も同じ事が起きていたんだ。


慣れないおなかの止血に魔力を集中しているせいで足に力が入らない。腕の力だけで倒れたアンジュに這いずっていく。僕が通った後に血の道ができている。


やっとアンジュにたどり着いた。裂かれた司書のローブでアンジュに付着した血を拭き取っていく。なるべく綺麗に拭き取った。アンジュの瞳から生気が失われてまぶたが閉じられた。

儚いほどに美しかった。でも、もう謎めいてはいない。


「アンジュ……ううん。キミは……レクスだね。会いたかったよ」


ずっと思っていた。このアンジュはどこの誰なのか。なぜこんなにもレクスを思い出させるのか。僕は気づかないフリをしていたんだ。きっと。

アンジュの顔から血の気がどんどん引いていく。呼吸がどんどん浅くなっていく。もうすぐ心臓が止まる。


アンジュの金色の瞳と柔らかな唇が開いていた。


「ジュリ……愛してる」


そして……静かに閉じた。


「僕のすべてをあげる」


僕の両腕の魔力紋がこれまでにないくらいに輝いている。しっかり魔力を内転させて高めている。僕の肉体の操作は止めていた。小剣は刺さったまま、出血が激しくなってる。


僕にできることをする。

僕はレクスを助けるために生きてきたんだ。


だらりと垂れる狼の耳と地に伏した狼のしっぽ。

レクスを左手に抱きとめて、可愛いくて凛々しいあごをくいと持ち上げる。

僕の腕の中で横わたるレクスの綺麗な顔を見つめてから。

柔らかく冷たくなった唇に口付けをした。

懐かしい甘い香りがした。

涙が頬を伝ってレクスの頬に伝っていく。


大丈夫。

キミは死なない。

僕がいるから。


いくらでも魔力をあげる。

全部あげる。

だから元気になって。

笑顔になって。

僕のレクス。

愛してる。


どれだけの時が経ったろう。

レクスの肌にほんの少しぬくもりを感じていた。

命の危機は遠ざかったんだ。


それでも熱い口付けを続けたかった。

僕とレクスとしての……二度目のキス。

想いをすべて注ぎ込む。


そして。

レクスの頬に、僕の頬が触れていた。

寒いのに……あったかい。

これでいいんだ。

僕に光をくれたレクス。

僕は死んでもいい。

レクスが生きてくれているなら。

僕の命は……レクスのために……あるのだか……ら。


「早く手当を! ボトール! 魔法を早く! 治癒を!」

「分かってます! バロンとルテは担架を! 私の治癒魔法では間に合いません!」


何人もの足音を最後に僕は意識を失った。

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