第3話「不要とされた娘」
ある日、小国の近隣にドラゴンが現れた。
そのドラゴンは、黒い鱗を持ち、あらゆる鋼を通さなかった。そして、吐息は燃える灼熱を持ち、森と山々を焼き尽くした。その強さ故に、小国の兵士では誰も勝てず、容易く蹴散らされてしまった。
国王は狼狽した。王だけではない、大臣も貴族たちも、皆同じように恐怖におびえ、頭を抱えた。小国はすぐに、同盟国に援軍を要請した。同盟国だけではない、敵対していた隣国までにも、外交の都合をかなぐり捨てて、泣きついた。
しかし、どの国も到着までに数日。速くても半日はかかると言われてしまった。
すぐに時間を稼がねばならないと理解した国王は、すぐに行動に移した。
浮浪者や階級の低い労働者をかき集め、わずかな金を握らせて即席の兵士とした。
「竜を討てとは言わぬ。ただ一刻でも引き延ばせ」
それはつまり――死んでこい、という命令だった。兵の名を借りながら、実際は盾代わりの捨て駒にすぎない。
そして、集められた不要な人材の群れの中に、リーベの姿もあった。市場で泥を浴びせられていた彼女は、いきなり王城に呼び出されたのだ。
「お前は白魔法が使えるな」
玉座に座った国王が、冷ややかに言い放つ。
「……はい。少し傷が治せる程度ですが」
リーベは力なく頷いた。
「ならば龍退治に赴く兵士どもの衛生兵として赴け。竜の相手をする者どもを少しでも長く持たせろ」
その言葉に、傍らの大臣や貴族たちは満足げに頷く。まるで良い策を思いついたとでも言いたげに笑みを浮かべて。
それはつまり
―――お前はいらない人材だから死んで来い。
そう命令しているということだった。冷たい目線が全方位余すことなく、リーベ伝わってきた。
「承知……いたしました。」
リーベは抗うことなく頷いた。否とは言わなかった。言えるはずもなかった。もとより彼女は国にとって不要な存在と思われ、居場所などどこにもないことなど、自分自身が誰よりも分かっていた。
生きる気力など、とうの昔に失っている。泥と罵声の中で生きるよりは、死んだ方がましだと、ずっと前から思っていた
―――
黒きドラゴンは山を割り、森を焼き尽くしていた。兵士たちに混じり、烏合の衆に過ぎない即席の兵士たちが竜の前へと連れ出される。
彼らの震える膝は、鎧よりも大きな音を立てていた。
「いけぇ! 少しでも時間を稼げ!」
指揮官が怒鳴る。だが誰も前に進めない。進めるわけがない。彼らは武人のような覚悟も、軍隊のような訓練も受けていなかったからだ。
だが、ドラゴンがそんな都合を見てくれるわけもなく。容赦なく、煉獄の吐息を放った。
炎が爆ぜ、槍を握っていた者たちは一瞬で灰となり、盾を構えていた者たちは熱で溶けて崩れ落ちた。逃げ惑う烏合の兵士たちは、蟻のように蹴散らされる。鋼を通さぬ黒き鱗に剣も槍も届かず、絶望だけが伝染病のように広がった。
その渦中にリーベもいた。
白魔法を必死に唱えようとするが、リーベが傷をいやすまでも無く、彼らは即死だった。衛生兵の意味などない。ただ、死にゆくことだけが定めであると痛感させられた。
ドラゴンと目が合い、その恐怖に足がもつれ、彼女は地に倒れ込んだ。
竜の瞳が彼女を捉える。口腔に赤が灯り、炎が喉奥で渦を巻く。まるで、あの世に手招いているように。
――終わる。
喉も焼けるような空気の中で、リーベは静かに瞼を閉じた。恐怖はある。涙も流す。けれど、それ以上に胸を満たしたのは、諦めに似た静けさだった。
(……私は、生まれた時から不要だった)
エルフはかつて人間と戦争を繰り広げた種族だった。その血を引く自分は、ただそれだけで忌避されてしまう。銀髪と翡翠の瞳は美しいと称えられることもあったが、それは羨望と嫉妬を呼ぶ毒にもなった。高い魔力の素質も、周囲の目には「異形の証」と映った。
だから、人々は平然と罵声を浴びせ、石を投げた。
「この子になら何をしてもいい」――そんな空気が、町全体に満ちていた。誰もそれを咎めなかった。むしろ黙認することで安心していた。
(……誰も私を望まなかった。誰も必要としなかった)
だからこそ、今こうして竜の前に立たされていることも、当然の結末のように思えた。
(あぁ、やっと終わる。この苦しいだけの人生が……)
心残りなど何もない。自分は何を望んでも、それを得ることなどできないのだ。
『君、泥まみれじゃないか。』
………
いや、あった。
脳裏に浮かぶのは、あの日、自分に手を差し伸べてくれた旅人。
泥にまみれた自分を助け、理由もなく笑ってくれた人。
名前は―――ネモ。
あの人だけが、私の名前を、存在を肯定してくれた。
髪を乾かしてくれた。彼の手は暖かくて、心地よかった。
(――せめてもう少し。もう少しだけ、あの人と過ごしてみたかった)
今更過ぎる後悔を感じる。それでもわずかだったけれど、あの幸せだった思い出を持って死ねるなら……きっと、自分の少しだけ報われるような気がする。
竜の顎が開く。灼熱の炎が迫る。轟音と灼熱と共にリーベは死を待つだけ
のはずであった。
鋭い声と共に、影が割って入った。竜の首筋に閃光が奔り、血煙が弾け、竜の巨体が揺らいだ。
「え……?」
熱さと騒音が消えたことに疑問を覚えたリーベは恐る恐る目を開ける。
そこに立っていたのは――誰がどう見ても、ただの人間の勇者だった。リーベはすぐに理解する。その背中を知っていたからだ。
「ネモ?」
「やぁ。無事だったみたいだね」
彼女の呟きを拾ったかのように、彼は振り返り、それだけで安心しきってしまうような笑顔を見せる。
リーベは目じりを熱くしながら、両手で目を抑えた。
―――やめて。
期待しちゃう……ダメなのに。
生きてもいいんだって、あなたを信じてもいいんだって。
……助けてくれる勇者様なんて、ずっと空想の中だけの存在だったのに。
「助けて……」
思わず、漏れ出た言葉。それをネモははっきり聞き取ったのか
「任せて!」
そう返して、ネモは聖剣を手にドラゴンと対峙した。
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