人間のふりしてた人外勇者の俺は、今日もヤンデレエルフに追いかけられる。
夜野ケイ(@youarenot)
第1話「逃亡の一幕」
昼下がり。とある田舎の酒場で、夕日を受けて鈍く光る瓶と、グラスを拭く布の音だけが静かに響く。
まだ日が高いためか、客の姿は全くと言っていいほどなかった。しかし、酒場のマスターは気にする様子もなく、静かにカウンターに立ちながら、グラスを磨いている。
彼は控えめな物腰、平坦な顔つきに、健康的でバランスのとれた体。しかし、その平凡さは自然とそうなったというより、一分のわざとらしさのような物を感じさせる。
「今日も暇だなー」
そう口にするが、声色に落胆はなかった。
ここは辺境の片田舎。酒を飲みに来る者が入る時には入るが、来ない時には全く来ない。そんな場所。だから、今日は来ない日だっとというだけ。
元より、日銭を稼ぐためではなく半分道楽混じりに始めた酒場経営だ。売り上げが出ないことくらいなんてことはない。
そんなふうに考えていると、扉の鈴が静寂を突き破るように鳴り響く。
カウンターに手をついて、顔を上げると1人の女性が入ってきた。
「いらっしゃい」
声を掛けると、女性はゆっくりと被っていたフードをめくり、その素顔があらわになる。
「……!?」
その姿にマスターは思わず、息を飲んだ。
フードを脱いだ女性は、銀色の髪を振りまわし、翡翠色の瞳を持っていた。そして、何より特徴的なのは、彼女の尖った両耳。それをピクピクと動かす様には愛嬌があり、圧倒的な美の圧を感じさせた。
伝説に語られる種族エルフ。その人だった。
エルフの女性はズカズカと迷いのない歩みで、マスターと向き合うようにカウンター席に腰掛けた。
「一杯、もらえますか?」
柔らかい声で、穏やかな笑みを浮かべながら人さし指を立てる。
「わかりました。何にいたします?」
マスターはコップを手にしながら、小さく答える。
「そうですね……貴方のお勧めを頂けないでしょうか?」
その言葉にマスターは困ってしまった。この酒場で仕入れているのは全部自分の好みばかり。一番を選べと言われても難しいのだ。
「そうですね……」
かと言ってお客様に何も出さないわけには行かない。なので、手早く簡単に作れるお酒を出すことにした。
コップに氷を入れてから、ジンとライムジュースを入れて、金属棒でかき混ぜる。最後に、コップの縁にライムを飾り付け、エルフの女性に差し出す。
「どうぞ、ジンライムです。」
「ありがとうございます。頂きます」
エルフの女性は、差し出されたコップを少しだけ口にした。
「おいしいですね」
「ありがとうございます」
酒に弱いのか、エルフの少女は一口飲んだだけで頬を紅潮させていた。
「昔、好きな方がいたんですよ」
コップの中の氷を転がしながら、唐突にエルフは語りだす。
「……それは素敵ですね」
マスターの指が一瞬止まる。だが、平然を装うように答える。
「でも、突然いなくなってしまったんです。誰にも何も告げずに。」
「そいつは、ひどい人ですね」
「そう思いますか?」
エルフは静かに笑って、まっすぐマスターを見つめる。その笑みは、愛想笑いや満面の笑みではなく、獣が獲物を追い詰めた時のそれだった。
「だったら、責任を取ってください。──勇者様」
彼女は微笑んだ。愛しさと狂気、どちらでもあるように。
その言葉をマスター。いや、元勇者ネモが聞いた瞬間、場の空気が変動した。静かな酒場の空気ではなく、一騎打ち前のにらみ合いへと。
先に動いたのは、元勇者ネモの方だった。彼は酒場の入り口とは反対の裏口へと駆け出していた。
それを見逃さず。エルフは懐から杖を取り出した。杖の先からは閃光がほとばしり、稲妻が裏口へと走る。その魔法は当たれば電流により、硬直し動けなくなる代物だ。
が、ネモにその魔法が当たることはなかった。その身体が一瞬、ぼやける。
次の瞬間、そこにいたのは黒猫だった。それによっては、打ち出された魔法は狙いが外れ空を切った。
「あぁ、やっぱり。あなたでしたね」
裏口から出ていく黒猫が黒い大型犬に変化し、森の奥へと消えていく姿を眺めながら、エルフの女性、リーベは再びほくそ笑えんだ。
「大丈夫。私、見つけるのは得意なんです」
逃げる背中に、リーベはそっと囁いた。
―――
黒い犬へと姿を変えたネモは、森を駆け抜ける。枝葉をかき分け、土を蹴り、岩を飛び越え、息を切らすことなくただひたすらに走る。ただひたすら遠くへと。
やがて、人の気配がまるで感じられないほどの奥地へとたどり着くと、ようやく足を止めた。
「ここなら、誰もいない、か」
小さく吐き出す声。その瞬間、犬の姿はゆらぎ、影が波打つように溶けていく。
生物の形を保っていた皮膚がずるりと溶け落ち、骨も肉も形を失っていく。
やがて、その体は不定形で不規則な姿へと変貌していく。粘土のような粘性の半個体の物質で構成されたその体は巨大なアメーバを思わせた。
勇者と呼ばれた過去を持つ男、ネモの『本当の姿』が、そこにあった。
「リーベに見つかった以上。もう、あの村はだめだ。別の土地を探すしかない。……はぁー」
淡々と考えを口に出しながら、全身の口々からため息を吐いた。
ネモは触手の一本で額に該当する場所を押さえた。胸の奥から湧き上がるのは安堵でも希望でもない。
ただ、どうしようもない問いだけ
(どうしてこうなった……)
――ただ自分は普通の人間として生きていたかっただけなのに。
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