叔父の帰還
ベーコン女どもの相手をして昼休みを無駄に過ごし、その怒りを二コマ続けての体育で発散し終えた後、清水と小島からのフォローもあって俺の腹立ちは収まっていた。
収まっていたのだが、それを再び煽るような行動に出る大人が一人。
「聞いたぜ伊織。音楽科の女を泣かしたんだって?」
「心外ですね」
そう、松本の野郎である。先生という敬称はもったいないほどの悪党顔で絡んできやがった。
彼はホームルーム前の掃除時間にヘラヘラと笑って肩を組んできた。実に鬱陶しい。つか、お前も掃除しろ。
右手に持った箒の柄をミチミチと音を立てて握ると、彼は危険を察知したのか素早くを俺から一歩距離を置いた。
「職員室でも噂になってたぜ。普通科が音楽科に喧嘩売ったってな」
「むしろ売られたのは俺なんですがね」
あの程度の演奏でネストに出演させろなどただの侮辱に等しい。経営者である俺にとっても、ネストの厳しい選考を勝ち取ってきたバンドにとってもな。
俺の怒りが本物だとわかったのか、松本先生はそっと肩をポンポンと叩いて言う。
「伊織より長く生きている人間として言っとくけどよ、物事を全力でなくただ楽しみたい層もいるってことは忘れるな。そいつらにガチれって押し付けるのは間違ってるぞ」
「わかってますよ。ガチと偽って努力を怠る者が多いこともね」
そう言って冷徹な目で遠くを見れば、松本先生は深くため息を吐いて俺の傍を離れていった。心配してくれた先生には悪いが、俺は音楽に対して一歩も譲るつもりはない。
俺を黙らせたければ音で殴ってこい。それだけのことなのだから。
◇
「って、感じで伊織ったら女の子たちを泣かしたんですよ!」
「うわわ! オーナーったら最低だァ!」
バイトはないがネストで練習をする清水と小島を引き連れて学校から直接買い出しに出ていると、ネスト近くの商店街で山口と出会ってしまい絡まれた。小島と山口は波長が合うのか二人揃うと大変やかましい。
何故かそのまま山口は俺の買い出しについてきており、学校での生活態度を小島や清水から聞きだそうとして非常に鬱陶しい。俺に制裁喰らうのはそういうとこだぞ山口。
「邪魔するなら先にネストへ行ってろよ……」
「あらま聞きましたか明日香さん! 邪魔ですってよ!」
「およよ……こんなに粉骨砕身でネストで働いているのに邪魔者扱いなんて酷いナリ~」
女三人で姦しいって考えた奴は誰だよ。二人でもうるせぇよ。冗談抜きで頭痛がしてきた。いつの間にか小島は山口を名前呼びしてるし。
「清水」
「あはは……なぁに?」
「その二人を連れてあっちの八百屋に行ってきてくれ。伊織の使いだって言えば注文してる品を持たせてくれるはずだ。あまりに持てないようなら配達にしてもらってくれ」
「りょーかい。ほら、二人とも行こう?」
ブーブーとブーイングを飛ばしてくる二人を清水が引き摺っていってくれて、ようやく静かになった。
俺がド級のため息をついていると、目の前の魚屋から店主のおじさんが店から苦笑した顔を出してくる。
「賑やかだね伊織君」
「お騒がせして申し訳ない」
「ははは、若い子は元気が一番さ。今日はホンビノスが安いよ」
おじさんは笊に入ったアサリより一回り大きな貝を指さして言った。今日は仕入れが上手くいったのか、いつもより魚も安い値段で売られている。
鰆、赤目、カサゴなどが並べられている奥の冷蔵エリアで何を買おうか吟味し、使ってもいい費用を頭の中で計算して決めた。
「ホンビノスを二キロとアイナメを五尾ください」
「あいよ。いつもありがとな」
購入したのはオススメのホンビノスと色艶のよいアイナメたち。
今日はウチにお客さんも来るので多少高い魚を買ってもいいだろう。
「今日はバー営業だけなんでお暇でしたらいらっしゃってください」
「おお! それじゃあ遊びに行くかな」
ビニール袋に入れられたホンビノスとアイナメを受け取り、魚屋のおじさんに営業をかけてから別の店に向かう。
そのまま肉屋で鶏肉と牛肉、喫茶店でコーヒー豆といった具合に店を梯子して目的の品を買い集める。両手がビニール袋やら紙袋でいっぱいになったところで大通りの向こうから清水が歩いてきた。
「伊織君お待たせ」
「待ってないさ。重くないか?」
「うん、大丈夫だよ」
小ぶりのダンボールを持った清水が笑って言った。遠くで山口と小島が重そうに別のそこそこ大きいダンボールを胸の前で抱えている。
あまりに騒ぎすぎて清水に叱られたのだろうか、二人の表情が死んでいるが……まぁ、コイツらにはいい薬だ。
「よし、買い物も終わったし戻るぞ」
「うん!」
清水だけが元気に返答した。
◇
「む。八百屋の親父さん、結構いいものを詰めてくれているな」
ネストのキッチンで購入品を作業台の上に広げると、野菜が想定以上に多かった。
八百屋の親父さんは注文していたアスパラガスにそら豆、キャベツや筍を筆頭に、いつも頼んでいるジャガイモや玉ねぎ、人参と一緒にダンボールへ詰めてくれていた。若い女の子が引き取りに来たからサービスしたな親父さん。
「それにしても、ネストに魚料理なんてメニューにあった?」
八百屋の親父さんのささいな見栄に苦笑しながら買ったものを整理していると、手伝ってくれている清水が疑問を口にした。
確かにバーホールにあるグランドメニューには魚料理は一切ない。あれに記載しているメニューは常に提供できる料理ばかり。魚料理は値段によっては赤字になるので載せていないのである。そう教えると清水は小首をかしげた。
「それなのに魚を? お家用を経費で買っちゃったとか?」
「違う。いわゆる限定メニューって奴だ。バー営業の日だけは時間に余裕があるからな、メニューに載らない料理を提供することがある。
バー営業の日は俺の料理を味わいに来る人も少なくないんだぞ?」
むしろ、飲みに来る人が多くなりすぎるのでバー営業のみの日を周知していないぐらいだ。
「なんでバー営業の日だけ?」
「別に他意があるわけじゃない。イベントがある日は別の料理を用意する暇がないだけだ。
通常、バー営業は二二時からだが、イベント日は一七時開場に加えて料理以外にもやることが多い、とてもじゃないがイベント日には手間のかかる料理を提供するなど無理だ」
ネストは少数精鋭――という名の人手不足――であり、リハとグランドメニューの仕込みと酒や物販の在庫確認を少ない人手で回さないといけないので忙しい日は本当に余裕がない。とはいえ料理人を雇うほどの店舗の広さでもない。結局、俺がやりたくてやっているのだから自分で頑張るしかないというわけだ。
「じゃー、今日は羽根を伸ばして料理を作れる日なんだね」
「ああ。それに……今日は身内が帰ってくるからな」
俺の言葉に清水は小首をかしげる。
「えっ、でも伊織君のご両親は……」
「親じゃなくて俺の保護者だ。清水は知らないかも知れないが俺の叔父さんは俳優の――」
その瞬間、バーホールとライブホールを繋ぐドアがバンと大きな音を鳴らし開かれる。
清水と揃ってキッチンから顔を出して視線をそちらへ向けると、アロハに短パンの季節感を先取りしすぎている中年男性が満面の笑みで立っていた。
「ただいま! 今日のアッツアツでホットなハートフル伊織ディナーはどこだい! おや、カワイ子ちゃんのイチャイチャランデブー中だったか! ハッハッハッ! ソーリーソーリー、また後で来るよ!」
言いたいことだけを言って嵐のように去っていった叔父に、一瞬にして気力を削がれた俺はキッチンに備え付けられた椅子に崩れるように腰を落とす。
「なんですか、アレ」
「認めたくないが、俺の叔父さんだ……」
誰にでも物腰が柔らかい清水でさえアレ呼ばわりは流石だぞ叔父さん。
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