第18話 倒れかける
空虚感に襲われた瞬間、私の体の中で、何かがぷつりと切れた。今まで無理やり押さえつけていた心の壁が、脆くも崩れ落ちていく。
シャットアウトしていたはずの、会場にいる人々の感情の色が、一気に流れ込んできた。
賞賛の金色、嫉妬の濁った緑、好奇心の黄色、無関心の灰色。それらが濁流となって、私の意識をかき乱す。頭の芯が、ずきりと痛んだ。視界の端が、ちかちかと黒く点滅し始める。まずい。これは、いつもの体調不良の前兆だ。
「すみません、少し、気分が悪くて……」
私は、目の前の女子大生にどうにかそう告げると、ふらつく足で人混みをかき分けた。壁に手をつきながら、会場の出口を目指す。けれど、一歩進むごとに、頭の中に、過去の記憶が鮮烈な色となってフラッシュバックした。
――祖母の葬儀で見た、どこまでも重く、沈んでいくような藍色の雨。 ――教室で見た、すべてを焼き尽くすような、怒りの赤い炎。 ――ユカリの背中から立ち上っていた、ヘドロのように粘つく、嫉妬の緑色の壁。
本物の感情の色。それらは、私がギャラリーの壁に掛けた、薄っぺらな「映える色」とは比べ物にならないほどの質量と熱量を持っていた。記憶の中の色たちが、今の私を責め立てる。「お前が描いているのは偽物だ」と。
頭が割れそうだ。呼吸ができない。耳鳴りがひどくなる。
「ハル君!」
誰かが私の名前を呼んだ気がした。けれど、もう限界だった。膝から力が抜け、体が傾ぐ。コンクリートの冷たい床が、私に向かって迫ってくる。倒れる。そう思った瞬間、誰かの腕が、強く私の体を支えた。
その腕の感触に、なぜか私は、ほんの少しだけ、救われたような気がした。
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