第16話 実践 4
夜の屋根瓦は、足裏に冷たい。
月は痩せ、雲は厚い。番兵は眠い。
風も、匂いも、本物だ。
ゲームで作られたものじゃない。
つまり、絶好の仕事日和だ。
「作戦名:帳簿は踊る、影が奪う——開幕だ」
囁いた瞬間、三つの影がほどける。
今日のために四人で認識阻害の真っ黒なタイツ式のお揃いの防具を作った。
リナは犬耳を伏せ、低い姿勢で庭木を滑るように前進。
ウルは雨樋に弓を引き、矢をまだ撃たないという高等テク。
ミアは袖から小さな杖を出し、猫耳をピクリ。
いいね。緊張と警戒ができている。
裏門の番兵があくびを噛み殺し、殺し損ね、盛大に「ふがっ」とむせた。
そこを合図に、俺は影に溶ける。
すれ違いざまの囁きで十分だ。
「おやすみ」
首筋に短剣の背。かすかな衝撃。
倒れた兵をリナがキャッチ&ソフトランディング。
死体が見つかれば騒ぎになる。だから、意識を奪うだけで、寝ていたと偽装する。
隣の兵が気づいて振り向く。
「スリープ」
僕は魔法で眠らせて、二人目も無効化する。
「はい、終了。拍手は静かにね」
縛る、塞ぐ、隠す。
屋敷の壁に指をかけ、二段ジャンプで二階窓へ。
窓は当然、鍵。だが鍵穴のクセは旧式三番。盗賊の常識。
鍵開けも、罠抜けも、盗賊にとってはお手のものだ。
「カチ、カチ……はい、オープン」
執務室。1000枚以上の金貨が入った袋。よくわからない宝石。悪趣味な絵。机は重厚、引き出しは二重底。
ここまでがテンプレ。全てもらっていく。
正式に手に入れたものではないことは、すでに知っている。
だから、持ち出されても誰にも訴えられない。
そして、大事なのは奥の奥。
「……あったな」
帳簿は分厚く、羊皮紙の匂いがする。数字の列が舟の底みたいに黒い。
「回収は原本で、写しを戻す。足はつけない」
そのためにミアに魔法を習得させた。
「ミア」
「了解にゃ」
ミアの〈写字〉が静かに走る。
ページの上で光がなぞり、別紙に文字が浮かぶ。
その瞬間、天井の梁が、ぎ……と鳴った。
やれやれ。俺は指を鳴らし、リナにアイコンタクト。
リナ、ドアを開けてわざと廊下に足音を鳴らす。
「あ、やばいですわん!」
廊下の見回りが釣られる。ドアの中に飛び込んで来る。
だが、ウルが廊下の角で羽根矢を床に落とし、コロコロ……兵はそっちへ意識を向ける。
リナの失敗をウルが補う。
いいチームだ。
最後のページを写し終えた瞬間、ミアがくしゃみを飲み込むみたいに肩を震わせた。
インクのしずくが、帳簿の余白へ……落ちる前に俺が小指でキャッチ。
「セーフ」
「か、神業にゃ……」
写本は元の二重底へ戻す。
引き出しを閉じ、原本を戻す。
ついでに名刺を一枚差し込んでおく。黒い影のスタンプに、ひと言。
『お借りしました。返却済み。義賊より』
帰り道は、来た道と違う道。盗賊の基本。
屋根から屋根へ、軽業で飛ぶ。最後は雨樋を滑り降り、路地へ音もなく着地。
「撤収——上々」
リナがガッツポーズ、ウルは胸を撫で下ろし、ミアは尾を二度ぶんぶん。
俺はそのまま、原本を必要な人間の元へ送っておく。
隠し金庫で手に入れた。1000枚近くの金貨と、いくつかのお宝をゲットできただけで十分だ。
♢
翌朝の市場は騒がしい。
「聞いたか? イーサム商会が領兵に踏み込まれたってよ」
「三割超の高利に横流し? 証拠、どっから?」
「なんか義賊が現れたって話だ」
「義賊とか言ってるうちは半可通だな」
上出来だ。顔じゃなく名だけが歩くのがいちばんいい。
俺は手に入れたお宝を持って、領主の館を訪れた。
領主は渋い顔がよく似合う。
エバンス伯爵の応接間は、柔らかい椅子と硬い視線でできている。
伯爵の視線が一段、冷たくなる。
嫌われても構わない。信用は便利さから始まる。
「……今回の働きは評価しよう。ただし、お前を野放しにはできん」
「ええ。だから次の予告を置いていきます」
イーサム帳簿の周辺欄外に散っていた印影の写し。
黒槍の団章。
角笛亭の仕入印。
青の蔵の封蝋。
点と点を線にした図。
「ここから先は、奴らの鎖の別の輪です。傭兵団〈黒槍〉、酒場〈角笛亭〉の裏口、保管庫〈青の蔵〉。順に軽く叩けば、芋づる式ですよ」
「……お前の頭の中は地図帳か何かか?」
「攻略本です」
伯爵が盛大にため息をつく。だが、紙は受け取った。
それで十分だ。
「盗賊よ。気をつけろ。今、この領で最も目立つ影はお前だ。貴様は私に与する形で動いたから、今回は咎めない。いや、むしろこちらがやりやすいように動いてくれて感謝している」
「嬉しい褒め言葉です。では請求書は、また今度」
「請求書だと?」
伯爵にタダで資料を提供するつもりはない。
「領地が潤った分の仕事料。現金でなくて構いません、商売を黙認していただければ」
執事が噴き出しそうになるのをこらえ、伯爵は額を押さえた。
「……出て行け」
「はいはい」
廊下に出れば、イレーネ嬢が待っていた。
「随分と派手に動いているみたいね」
「なんのことかわかりませんね」
「ふふ、それで? あなたは商人になったのでしょ? 何か売り物はないのかしら?」
イレーネの言葉を聞いて、俺は商会から盗み出したアイテムを出す。
よくわからない宝石。悪趣味な絵を取り出す。
「これなんてのは?」
「趣味は悪いわね。だけど、価値はあるわね。いいわ。買ってあげる」
「えっ?」
盗品を好んで購入するイリーネにちょっとドン引きしてしまうが、買ってくれるのはありがたい。
「じゃあ、金貨100枚で」
「あら、安いわね。じゃ、これで」
イリーネについていたメイドが即金で渡してくれる。
「また良い商品があれば持ってきなさい。買ってあげるわ」
「それはどうも」
俺はイリーネに礼を述べて屋敷を後にした。
屋敷を出ると、リナが囁く。
「ご主人様、あの名刺……ほんとに置いてよかったですワン?」
「いいのさ。足跡は消す、噂は残す。それが盗賊の宣伝」
ウルが空を見上げる。
「次は黒槍ですか?」
「いいや。ある程度の資金を手に入れることができから、店を建てる」
「……店を建てる?」
計画は大成功だ。
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