法廷にはコーヒーとプリンを ― Coffee and Pudding in the Court ―

三毛猫丸たま

Season1

第1話 その名は、司 法子(つかさ のりこ)

第1話 その名は、司 法子(つかさ のりこ)




ばさり。

黒法服の裾を鳴らし、裁判官が入廷する。



「令和15年(少コ)第34号、家賃請求事件――開廷しまーす!」



明るすぎる声に、原告も被告も目を丸くした。

書記官・東條菊乃は即座に立ち上がり、裁判長席を振り返った。



「司法の場で“まーす”は不適切ですわ!」


「条文に書いてなければノーカンでしょ?」



裁判官――司 法子は涼しい顔。

法廷の空気は、張りつめと苦笑の狭間で揺れた。


任官三年目。

まだ“補”の肩書きはあるが、この桜都おうと支部では一人前扱いだ。

地方の人手不足ゆえの特例を、法子は楽しんでいるようにも見えた。




三時間前。


桜都市の朝。

大衆食堂の引き戸が、がらりと開く。


緑のショートヘア、濃いアイライン。

赤いカラコンが鮮やかに映え、革ジャンにジーンズ、足元はごついブーツ。


どう見てもロックバンドのボーカル。



「ふんふんふふ〜ん♪」



鼻歌まじりに出勤する彼女の手には、唐揚げ弁当とプリンの袋。


すれ違ったサラリーマンが囁く。



「今日ってライブでもあるのか?」



ロッキン女は気にも留めず、軽快に歩いていく。

向かう先は花霞地方裁判所桜都支部はなかすみちほうさんばんしょおうとしぶ――彼女のステージ。




二時間前。


花霞地方裁判所桜都支部・執務室。


主任書記官の菊乃は、所長判事・桐生きりゅう重信から紹介を受けていた。



「今日から司 法子判事補と組んでもらう」



(緑髪ショートに革ジャン、赤い瞳……28歳? しかもわたくしが、この方と組む……?)


清廉で厳格な裁判官像は、一瞬で崩れ去った。


菊乃は姿勢を正す。黒髪をまとめた端正なスーツ姿の自分とは正反対。


(本当に、この人と裁判を……?)


冷たい不安と緊張が胸に走る。

それでも表情を整え、小さくうなずいた。



原告はアパートの大家・高橋正雄、56歳。

被告は半年間、家賃24万円を滞納したアルバイトの内藤一哉、26歳。



「仕事が減って、どうしても……」と被告。



大家は腕を組み、きっぱり言う。



「契約は契約です。支払っていただかないと困ります」



菊乃の背後で、大きめのため息が漏れた。


(判決は明白――なぜ迷うのです?)


振り返ると、法子は腕を組み、天井を見上げ、机を指でリズムよく叩いている。



「ふむ……これはプリンの例えを適用するとわかりやすいんだよね」


「そんな例え話は不要ですわ!」



菊乃の声をよそに法子はにやりと笑う。



「判決――支払い命令。ただしっ!」



ざわめく法廷。



「分割払いの条件付きにしましょう。両者には裁判外で和解を勧める。これが現実的でしょ?」



菊乃は思わず立ち上がる。



「判事! 判決と和解勧告を同時に言い渡すなど聞いたことがありませんわ!」


「出た出た。けど、条文に“ダメ”って書いてないよね?」


「……っ」



両者の視線が激しく交わる。

原告と被告は顔を見合わせ、あぜんとした。


裁判官と書記官の“法廷協議”が十分近く続いた後、法子は息を吐き、姿勢を戻した。



「では両者に問います。被告は滞納家賃を支払う必要があります。しかし一度に払えない事情もあるなら、今後滞納しないことを条件に一年間の分割支払いを認め、一度も滞ることなく履行するという和解案はいかがですか?」



当事者の視線が交錯し、張りつめた空気がゆるむ。

互いに大きく頷いた。



「では、この和解を持って閉廷します。和解調書は後日郵送します」



菊乃は深くため息をついた。


(この判事……大丈夫かしら)



ばさり。

法子は法服の袖を鳴らして法廷を後にした。




裁判後、執務室。


菊乃が青筋を立てて詰め寄る。



「本件は少額訴訟です。判決だけで十分でしたのに、和解だのプリンだと……!」



法子は椅子にだらりと腰を下ろし、煙草を指で回す。



「プリンだって一気に飲むより、ひと口ずつの方が消化にいいでしょ?

裁判はお仕置きじゃなく、生きるリズムを作る場所なんだよ」



そして、ふっと真顔になる。



「世の中、甘くも苦くも……プリンみたいなもんだよ」



その瞬間、桐生所長が机の引き出しから胃薬を取り出し、水で流し込んだ。



「……はあ、またか」



事務官たちは顔を見合わせ、苦笑する。

支部は慣れと諦めが混ざる空気だった。


ただ一人、菊乃だけが真っ赤になり、机を叩かんばかりに叫ぶ。



「プリンに例える必要は、まったくございませんわっ!」



法子はけろりと笑い、机に片肘をついた。



「固すぎても崩れる。ゆらゆらしてるくらいが、ちょうどいいんだよ」


「……!」



菊乃の目が大きく見開かれ、目じりが激しく震える。



「じゃあ、和解調書よろしくね。おキクさん」



いたずらっぽく笑い、タバコをくわえると屋上を指さし、鼻歌交じりに去った。



「おキクさんって誰ですかっ! 所内喫煙は規則違反ですっ!」



菊乃の声は裏返っていた。

だが妙に腑に落ちた感覚を抱えていたのは、彼女だけの秘密。


(この判事は心配ですが……少しだけ――胸の奥が温かい気もいたします)



(つづく)



――――――



ちょっとFunkyで情に厚い破天荒な裁判官。

その名は、司 法子。


そして――完璧主義のお嬢様書記官、東條 菊乃。


水と油のふたりが並び立つ。


甘くて、ちょっと苦い。

まるでプリンみたいな法廷コメディ。


ここに――開廷!



本件の解説は、近況ノートに掲載してます。

📒https://kakuyomu.jp/users/298shizutama/news/7667601419937166484

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