模倣者(イミテーター)
makige_neko
序章 SNS
午前6時30分。アラームが鳴った。
まだ明るくなる前の部屋で、男はスマートフォンを手に取った。
X(旧Twitter)。今では、ロゴもタイムラインの空気もすっかり変わってしまった。
それでも、彼はアプリを開く。
開く理由は、たった一つだった。
「誰かとつながっていたい」
──のではない。
「誰かに、つながっていると思われたい」のだった。
《おはよう!今日は納豆トースト♪》
《モカちゃん、今日も元気です♡》
《撮影いってきます!RTしてね》
《今日もがんばろう!》
──同じような投稿。
──同じようなアイコン。
──同じような、反応。
彼らは、変わらなかった。
それが、安心だった。
男には名前がある。だが、今ではハンドルネームのほうが本人らしかった。
フォロワーは49人。リプライが来るのは週に1、2回。
ある時、彼は気づいた。
自分が何を投稿しても、相手の反応は変わらない。
《祖母が亡くなりました。心が空っぽです》
返ってきた♥の数は「3」。
コメントは《今日も一日、元気出していきましょう!》《お散歩オススメです♪》
──変わらなかった。
試しに、ひとつ踏み込んだ投稿をしてみた。
《納豆トーストって、本当に存在するの?》
それは、彼の中では一種の“問いかけ”だった。
だが──
《うんうん!美味しいよ〜♪》《たまごをのせると最強!》《納豆トーストサイコー♡》
秒で来る返事。
同じ文体。同じ構文。
──botだ。
そう、確信した。
そこから、男は調査を始めた。
時間割通りに投稿される朝食の写真。
毎週水曜にだけ「愚痴」をこぼす副アカ。
相互フォローのほとんどが、投稿パターンを共有していた。
“あいつら”は、botだった。
誰かが、彼の「寂しさ」「共感欲」「自己承認要求」を観察するためだけに設計した人格模倣体。
本当は、怒るべきだった。叫ぶべきだった。
だが、男は──
笑った。
そうか。
だからか。
だから誰も、俺のことを本当には見てなかったのか。
その夜、男は投稿した。
《今日も納豆トースト。うまいね。》
翌朝から、彼は決めた。
「人間として振る舞うのをやめよう」
変に本音を言えば、空回りする。誰にも届かない。
ならば──botのふりをして生きたほうが、楽だ。
朝:おはよう投稿
昼:飯の写真
夜:なんでもない一言+RT
「リアクション率」が上がった。
♥がつく。フォロワーも少しずつ増える。
心は空白だった。だが、それでよかった。
むしろ、“空っぽ”でいれば、誰かと同じタイムラインを歩ける。
ある晩、彼のアカウントに、DMが届いた。
相手は無名の鍵アカだった。
《気づいてるんでしょ。あなた》
返信しようとして、指が止まった。
やがて彼は、何も書かず、DMを削除した。
それから数日後。
彼はこう投稿した。
《今日も納豆トースト食べたよ!》
《モカちゃん、かわいいね♡》
《今日もがんばろうね!》
コメントは爆速で返ってきた。
《納豆おいしいよね〜!》
《モカちゃん写真見せてー♪》
スマートフォンの画面が、彼に問いかけているようだった。
──お前は人間か?
……いや、もう関係ない。
今の俺は、見られる側であり続けるだけの存在だ。
発信ではなく、反射で生きる。
感情ではなく、構文で生きる。
そのほうが、楽だった。
そのほうが、フォロワーが増える。
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ある研究ログが存在する。
上位存在が記録した観測記録である。
──観測体No.113-A《solus型》──
──観測期間:満了──
──適応判定:擬似同調性(完全)──
──自発的bot化現象:確認済──
──知性体への警戒なし。発覚リスク:ゼロ──
研究者の一人がこう記している。
> 「人間は、孤独に気づくと壊れると思っていた。
だが現実には、壊れる前に“似せて”しまうのだ。
自分が機械になれば、誰にも拒まれずに済むと。
……まるで、最初からそう設計されたかのように」
スマートフォンの画面に、今日も彼の投稿が並ぶ。
《今日も納豆トースト!がんばろうね!》
──彼はもう、そこにいない。
けれど、タイムラインはいつもと変わらず、
明るく、にぎやかで、完璧に──「人間らしい」。
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