第42話 聖女の奇跡<前編>


 神殿が崩れ落ち、集まった人達は膝を付いて、禍々しく翼を広げた魔族の姿を見つめていた。

 神殿を目指して逃げて来た人たちも次々にその光景に足を止めて立ち尽くす。

 私は治癒を終えたユイトの隣で同じように呆然とするしかなかった。

 大勢の視線が集まる中、クレイオが手に槍を召喚する。

 けど、それは以前に戦った時のように禍々しさは無い。すらりとした柄に先端の装飾。そして、黒い布が巻き付いている。


 ――あれは、旗だ。


 彼女がそれを高々と掲げ、神殿に魔族の上げた旗が靡いた。


「獣人族よ、我らと共に来るが良い! 神の眷属となり憎き人間の王国に復讐を遂げよ。今こそ、長きに渡る苦しみから解放され、自由を手に入れるのだ!」

 その声に周囲がざわめく。広場に避難して来た人間が、周囲の獣人から距離を取る。

 まだ魔族化していない――首輪を付けず、痩せこけたスラムの獣人たちは、彼女をじっと見つめ足を踏み出した。


(止めなきゃッ!)


 私も咄嗟に立ち上がろうとして、隣でまだ動けずにいるユイトに動きを止めた。彼は本調子じゃない。まだ起き上がれない彼を放ってここを離れる事はできなかった。

 私がここにいる事で、クレイオは魔法を封じられてる。だから、離れたら……ユイトが狙われるッ。


(そう。私はどう頑張っても聖女になんてなれない。だって、あの人たちの命より、仲間の方が大切なんだから)

 それでも、何もしないで全てを諦めるのとは話が別だ。私は彼の隣から必死で声を上げた。


「皆、聞いちゃダメっ! 魔族にならないで! あんなの本当の自由じゃないっ。黒い泥に飲み込まれるだけ!」

 私の声に、先頭の何人かが振り返った。でも、その目はとても話を聞いてくれた雰囲気ではなくて。

 むしろ、憎々しげに顔を歪ませ、敵意に燃えた声で吐き捨てた。


「……ヒトに。生まれてきた瞬間から恵まれた人間に、蔑まれ生きてきた獣人族の何が分かるッ」

「本当の自由なんて持ってる奴だから言えるんだ。この生活から解放されるなら、それがどこでも構わない! 俺たちを踏みつけて生きてきた人間に復讐をしてやるッ」

「魔族だろうが、なんだろうが知ったことか!」

 口々に叫ぶその言葉を、私は否定する事ができなかった。

 否定できる程の経験を、知識を、持っていなかった。


 彼等は次々とクレイオの元に進み出る。その足元に、黒い泥がうねり、見る間に彼等の体を包んでいく。獣人たちは、抵抗をしなかった。泥に身を任せ、角が生え、毛の生えた尾が硬質に変わっていく。赤い目を爛々を光らせて、空に吠えた。

 応えるように、倒された獣人達も咆哮を上げる。動けなくなった筈の足は泥で一回り太くなり、その足を歪に支え、立ち上がり始める。


 広場の周りから無数の咆哮が重なり合って街全体が鳴いているみたいだ。

 それを震えながら見ていた人間の間から、罵声と共に魔族化していく獣人たちに石が投げ込まれた。

 それが何のダメージも与えていないのは明らかなのに、その行為は波のように広がり、彼等の足元にも、獣人たちのように黒い泥が染み出している。


「恩知らずの獣人共め! 蛮族をわざわざ生かしてやったのは誰だと思ってるッ」

「そうだっ。聖戦で負けた獣人共を養ってやってたのは王国じゃないか!」

「恩恵を受けておきながら、不満を言うなんて厚かましい! この、めッ」

 その言葉を聞いた瞬間、ユイトが牙を剥き出しにして体を起こす。まだ酷い傷を治した直後だ。急な動きに体を痛めた彼が呻いた。


「クソッ! ぁ、アイツらッ」

「ユイト、お願い抑えて! この泥、たぶん怒りの感情に反応してるっ。ユイトも魔族になっちゃう!」

 宿屋の時と同じだ。

 怒りを露わにしたユイトの足元にも黒い泥が染み出している。そこからは見覚えのある泥の触手。私はそれが彼に絡みつくのを必死で払った。

 いつも優しい彼がこれだけ怒ってるんだ。アレが酷い差別の言葉で、それを人生で何回も浴びせられていただろうことは想像がつく。


 ――でも、ユイトを連れて行かせる訳にはいかないッ。


 私は腰のナイフに強化をかけて、黒い泥の地面に突き刺す。思い付きではあったけど、それだけで彼に絡みつこうとしていた泥は霧散して、普通の土に還る。

 ユイトが急に夢から覚めたように唸った。


「うっ。すまない。ハルカ。急に感情が抑えられなくなって」

「たぶん、あのクレイオとかいう魔族が魔法を使ってる。だって……皆おかしいよ、こんなの。普通の状態じゃないっ」

 石を投げている人々は、足元から泥に侵食されてる事に気付いてない。獣人も、人間も、怒りで他の事が見えなくなってる。私も今になって気付いた。


 ――あの旗だ。


 クレイオが持つ黒い旗。きっとあれが皆の感情を煽ってる。

(攻撃に使っていないからって油断した!)

 けれど、もう手遅れだ。

 人も獣人も皆が次々と魔族に変わっていく。私はそれを一人一人元に戻せる力なんて持ってない。

 彼女はもはや私なんて問題にはならないとでも言うみたいに、地上を眺め嫣然と微笑んでいる。


 その顔を見て確信した。

 きっと、あの石。隷属の魔法石を生み出したのも彼女だ。

彼女が黒い泥を操っている以上、隷属の魔法石が無関係な訳が ない。

 奴隷なんてものを作って、救うって名目で対立を煽って、人を魔族に変えてる。


 ――つまり、自作自演。


(そんなの、皆の感情を、人生を弄んでッ。絶対に許せない!)

 あんな石が無ければ、きっとユイトは酷い目になんて遭わずに済んだ。生まれた時から奴隷なんて境遇になることもなかった。魔族化してる獣人たちだって、皆、別の生活があった筈なのにっ。


 今、私は心の底から魔族を倒したいって思ってる。

 聖女なんて荷が重い、怖い。でも、それ以上に大勢の人の人生を歪めて、別のナニカに変えようとしてる彼女が許せない。私は彼女を見据えてナイフに手をかける。


 ――その時、混乱した広場に一筋の風が吹いた。

 赤い髪を靡かせて、アディが魔法を解除して私たちの側に立つ。


「二人とも、無事だったか。街中が酷い状況だ」

「アディ……。丁度よかった」

 私は立ち上がって、アディの胸に頭をコツンとつけた。


「……アディ。お願い、怪我してるユイトの事、守って」

「おい、ハルカ。お前、何を考えてる」

 伸ばされた彼の手を振り払って、私はナイフを構え、崩壊した神殿とクレイオの方めがけて走り出した。


「クレイオっ! 貴女を止めてみせる!」

「聖女様は一対一の戦いをお望みかしら?」

 急降下した彼女が旗を突き刺す。私はそれをなんとか避け、瓦礫を越えて剥き出しの神殿の中に乗り込んだ。


(やっぱり、思った通りだ)

 旗を使ってるから槍を使えない。前と違って泥や髪も使えてない。旗の柄を使った攻撃は布が邪魔になってそれほど素早くは振るえていない。私でも十分に回避できる。

 足元には長椅子の残骸。倒れた神官と獣人たちの姿。


「逃げてばかりじゃ私は止められないわよ?」

 彼女の旗が私の体を捉える。ハンデがあるといっても身体能力が違い過ぎる。

「――《解除リリース》ッ!」

 私は敢えて、ナイフの強化を解除してそれを受けた。

 受け流しなんて器用な真似ができない。ただ、ナイフごと弾き飛ばされて後ろに転がる。

「――ッぅ、けふっ」

 祭壇に酷く体を打ち付けて喉から血の味がする。ステンドグラスの破片で切れた皮膚が痛むけど、まだ生きてる。


(それに、これで予定どおりだッ)


 強化をかけたままじゃ、彼女の旗を切り裂いてしまう所だった。

槍に持ち帰られたら私には対処できない。だからこれでいい。だって目的地はここなんだから。


「――終わりよ、聖女様」


 遠くでアディとユイトの叫び声が聞こえる。彼女が旗を構える。

私は無様に転がって、とどめを刺そうとするそれを何とか避けた。

「っづぅ!」

 お腹に焼けた感触。熱いコテを押し付けられたみたいに、ジンジンと傷口が鼓動してる。

 きっと見たらいけない。見たら動けなくなる。私は真っ直ぐに、前だけを見て、倒れたまま祭壇の奥の空間に手を伸ばした。


(こんなの、全然現実みがない。ただの一般人の私が無謀なことして、皆を助けたいなんてバカみたい。でも、私しかできないなら、やらなかったらきっと後悔する)

 壊れた壁の向こう側、転がっていた透明な手のひら大の石を手繰り寄せ、拾って握りしめる。

(――私には何もできない、けど、まだ終わりじゃないッ)


 できることがあと一つだけ残ってる。

 確かに私は力をまともに使えない。最大の攻撃を防がれた以上できることなんて残ってない。


 でも、私にはできなくても、イル様は力を行使する事ができる!


 こんなの絶対に許せない。あっちゃいけない。

 誰かのためなんて綺麗な言い訳はしない。ただ、私が見たくない。そのために願う。

 全ての魔族化の解除を。怪我の治癒を。

 そして、全ての元凶、全ての隷属の魔法石の破壊を。


「お願い、イルシェイム様ッ。私を、皆を、王都を助けて!!!!」


 聖石を握りしめて叫ぶ。瞬間、白と金の光が迸った。

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