第36話 臨時生徒会
アンジェラの演説は、7月第1週――卒業式の3週間前に行うことが決まった。
その日は最終学年の生徒にとって最後の授業日であり、翌日には寮を出て、それぞれ実家や次の住まいへと散っていく。
アンジェラが女子であることを公にしたあと、同じ寮で暮らすのは難しいだろうという判断から、演説はこの時期に設定されたのだった。
アンジェラの演説は放課後に臨時生徒会として行われる。
そして準備を重ね、瞬く間に当日になった。
「……よし」
アンジェラは鏡の前で姿を確認する。
まるでこの学校に来た日のように。
ただし、あの時と違うのは──もう隠すものが何ひとつないということ。
遠くから見ればいつもの生徒代表の制服のように見えるが、よく見れば作り変えてあることが分かる。
グレーのブレザーはジャケットに。グレーと黒のチェックのズボンは膝下丈のストレートスカートに仕立て直してある。ベストは最近暑くなってきたので着用していない。そして、紺色のネクタイはリボンタイに仕立て直した。
ボディバインダーで胸を潰すこともしていない。
仕立て直したことで体のラインが浮かび上がり、そこにはまごうことなき女子学生が存在した。
アンジェラはその姿で寮代表の部屋を出た。
講堂には生徒たちがもうほとんど集まった頃だろう。
エリオットとルーシーは先に会場準備をしているはずだ。
不思議と緊張はなかった。
入学式で生徒代表として言葉を述べた時のように、定例集会で伝達事項を伝えるときのように、淡々と言うべきことを言うだけだ。
もし拒絶されたら。
その不安はある。
(けど、全ての人と分かり合えるわけじゃない。それが長く同じ時間を過ごした仲間だったとしても。過度は期待はしない。けど信頼はある。だって、きっと私のしてきたことは間違いじゃない)
だから理解されるはずだ、と。
アンジェラは集会開始時刻ちょうどに講堂の扉を開けた。
いつもように一斉に視線が注がれる。
その中で、誰かが息をのむ音が聞こえた気がした。
アンジェラの姿を目にしたものからその顔は驚愕へ変わっていった。
「誰だ?」
「顔は間違いなくアンドリュー先輩だ」
「でもどう見たって女性だぞ!?」
「どういうことだ!?」
ざわめきが波のように広がる。
しかしアンジェラが壇上のマイクの前に立ち、静かに手を上げると、潮が引くように沈黙が訪れた。いつものように。
「聡明な君たちならば、もう察しているだろう」
アンジェラの声は凛と響いた。
「私は女の身でありながら、兄の名を騙って“アンドリュー・アランドル”としてこの学校に入学した。本当の名はアンジェラ・アランドル。皆を騙していたこと──心からお詫びする」
アンジェラは深く頭を下げた。
再びざわめきが起こる。
「おいおい、冗談だろ?」
「何かの余興か?」
「いやよく見ろよ! 顔は見知ったアンドリュー先輩だけど、体は女だ!」
「女がこの学校に入り込んでいたなんて!」
「女が男として12年もこの学校にいたっていうのか!? あり得るのか?」
「女が生徒代表かよ。名門エイルズベリーの汚点だな」
「でもあの人は伝説の12年連続学年首位だぞ!? この記録を打ち立てられる人間なんてそうそういないぞ!」
「天才女の暴走?」
口々に話し出す。
しかしアンジェラが再び話し始めるとピタリとやんだ。
アンジェラは顔を上げた。
「私は“アンジェラ・アランドル”として卒業を認めてもらいたい。その判断を、皆に委ねたい」
再びざわめきが起こる。
「今夜0時までに、生徒代表選挙と同じ方法で投票してほしい。私をこの学校の正式な生徒と認めるか、否か。それを決めるのは君たちだ。今から質疑応答の時間も設ける」
アンジェラの声が講堂の高い天井に響いた。
生徒たちは次々に手を挙げる。
ルーシーがマイクを手に取り、質問者のもとへと向かった。
「なぜこの学校に入ったんですか? ご両親に強制されたのですか?」
最初の質問。あらかじめ味方につけておいた生徒の一人だと、アンジェラはなんとなく察した。
「いいえ。兄が引きこもりになってしまって、その代わりに私が行くと言った時、両親はもちろん反対した。でも私が説得した。学校という場所で、たくさん勉強がしてみたかったから」
当時6歳の少女の言葉としてはあまりに大胆だが、天才と呼ばれるこの人ならありえる。生徒たちは静かに頷いた。
「勉強なら家庭教師でもよかったのでは? 結局“アンドリュー”としてエイルズベリーに来たのは、兄を“エイルズベリー卒”にしたかったからじゃないですか?」
「両親の思惑としてはそうだった。でも私はそれを利用した。我が家は没落しかけの伯爵家で、エイルズベリー卒の家庭教師を雇う余裕もなかったから。そして──」
アンジェラは会場を見渡した。
「ここに通う君たちなら分かるはず。家庭学習では決して得られない“学び”が、ここにはある」
討論。競争。友情。誇り。
言葉を重ねるたび、講堂の空気が変わっていく。
「男に囲まれたかっただけだろう! 淫乱女!」
突如、後方から怒声が飛んだ。
壇上の横で控えていたエリオットも、マイクを持つルーシーも気色ばむ。
しかしアンジェラは、顔色ひとつ変えなかった。
「私は男として生きてきた。女であることを忘れていた時期もある。秘密が露見しないように、人と距離を取り続けてきた。それを“男に囲まれたかった”なんて。エイルズベリー生としては程度が低い」
質問のレベルが低い、と毅然とした態度に、ざわめきが静まり返った。
別の生徒が立ち上がる。
「あなたの功績は確かに立派だ。しかし、性別を偽り入学した者を認める前例を作るわけにはいかない」
「その点については理解している。でもこの学校の入学条件には“貴族男子、もしくは特別に認められた者”とある。その条項をもって学籍の修正を申請するつもりだ」
「詭弁だ! それは奨学生を指すものだ!」
「けれど、“特別に認められた者”が男子に限るという文言は、どこにもない」
議論が熱を帯びていく。
さらに別の声が上がった。
「ここで12年も学んだのなら、もう卒業にこだわらなくてもいいのでは?」
アンジェラは一呼吸置き、静かに微笑んだ。
「最初はそう思っていた。けれど、私には夢ができた」
講堂の空気が先を聞きたいと好奇心が帯びる。
「入学初日、寮代表で生徒代表だったルパート・ハリントン先輩に“将来はどうしたい?”と聞かれた時、私は何も答えられなかった。でも今なら言える。私は、私のように学びたいと願う女子のために、学校を作りたい」
「学校を……?」
ざわつく生徒たちの間に、小さなどよめきが走った。
アンジェラは続けた。
「君たちは考えたことがあるだろうか。──太古の昔、動ける者は男女問わず狩りに出た。しかし時代が下るにつれて、男と女の役割は分けられ、宗教もそれを後押しした。やがて“女に学問は不要”“賢しい女は可愛げがない”などと言われるようになった。けれどそんなものは、無知な男が女を支配したいがための戯言だ。諸君らもそうは思わないか?」
生徒たちは息を呑み、誰もすぐには返事ができなかった。
それでも、何人かの手が自然に拍手を始める。
小さく、けれど確かに波が広がっていった。
アンジェラは1歩下がり、静かに締めくくった。
「確かに私は嘘をついた。でも、ここで過ごした時間まで嘘にしたくない。だから私は“アンジェラ・アランドル”として、この学校を卒業したい」
深く一礼し、壇上を後にした。
言うべきことはすべて言った。
これで賛同を得られなければ、それはもうしょうがない。
講堂を出たアンジェラは清々しい気分だった。
もう何も隠すことはない。
ようやく、ほんとうの自分で立てた気がした。
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