その視線の先には......

「……」


 昼休み、いつものメンバーでお弁当を囲んでいると、ふと、清水しみず弥生やよいちゃんの視線が、斜め後ろの席に向けられていることに気づいた。


 その視線の先には、男子グループの中心で、いつものように楽しそうに笑っている、私の彼氏――東堂とうどう駿太しゅんたがいた。


 駿太は人気がある。教室では、常に誰かが周りにいて、華やかな女の子たちからも、休み時間の度に声をかけられている。今も、駿太は、親友の高階たかしな直哉なおやくんと、キラキラ女子の筆頭格の宮崎みやざき彩香あやかちゃんと楽しそうに話をしている。


 そんな駿太が、私が付き合っているなんてきっと、誰にも信じてもらえない。


 心臓が、ちくりと小さな音を立てた。 弥生ちゃんも......もしかして......。そう思って、もう一度そっと弥生ちゃんを盗み見ると、やっぱり彼女は、頬をほんのり赤く染めながら、駿太のいる方をじっと見つめていた。

 その瞳は、憧れとか、尊敬とか、そういうものとは少し違う、熱を帯びた色をしていた。


 弥生ちゃんは、私たちのグループの中でも一番純粋で、恋バナになるといつも顔を真っ赤にしてしまうような子だ。そんな弥生ちゃんが、誰かを好きになった? まさか。いや、でも、駿太は人気者だし、誰かが好きになってもおかしくはない。


 考え始めると、胸の中にもやもやとした霧が立ち込めてくるようだった。


 もちろん、弥生ちゃんは大切な友達だ。彼女の恋を、応援したい気持ちに嘘はない。でも、相手が駿太となると、話は別だ。


 私たちは、まだ誰にも言っていないけれど、付き合っている。その事実を隠したまま、友達の恋の相談話を聞くことなんて、私にできるだろうか。「駿太のどこが好きなの?」なんて、笑顔で聞ける自信が、私にはなかった。


「……弥生、どうかした? 食べないの?」


 隣に座っていた月城つきしろ陽葵ひまりちゃんが、不思議そうに声をかける。


「えっ!? あ、ううん、なんでもない!」


 弥生ちゃんは、びくりと肩を震わせて、慌てて卵焼きを口に運んだ。その慌てようが、ますます私の疑いを深くする。


 その日の午後の授業中も、私の心は全く落ち着かなかった。先生の声も、教科書の内容も、頭に入ってこない。


 休み時間に、弥生ちゃんが「東堂くんって、やっぱり優しいよね」と、何気なく言った一言にさえ、動揺してうまく言葉を返せなかった。



 その日から、私は無意識に弥生ちゃんの視線を追うようになってしまった。


 体育の授業で、男子がバスケをしている時も。移動教室ですれ違う時も。弥生ちゃんの瞳は、いつも駿太のいるグループを探しているように見えた。そして、その視線に気づくたびに、私の胸は罪悪感と嫉妬でちりちりと焦げるようだった。


(やっぱり、駿太を見てるのかな……。)


 もし、本当にそうなら、私はどうしたらいいんだろう。

 数少ない女の子の友達の恋心を傷つけることになるかもしれない。


 私は、弥生ちゃんの視線の先を辿るたびに、心が痛くなって沈んでいた。



「ねえ、結衣」


 ある日の放課後、美咲と陽葵ちゃんと四人で帰り道を歩いていると、弥生ちゃんが、もじもじしながら私の袖を引いた。


「あのね、相談、したいことがあって……」


 ついに、この時が来てしまった。弥生ちゃんも、私と駿太が幼馴染であることは知っている。駿太との恋について相談されてしまうのかもしれない。

 私は、平静を装って「どうしたの?」と聞き返しながらも、心臓は早鐘のように鳴っていた。どうか、私の勘違いであってほしい。そう、神様に祈るような気持ちだった。


「……好きな、人が、できたかも、しれなくて」


 小さな、でも、はっきりとした声だった。


「ええっ!」

「マジで!?」


 弥生ちゃんの声を聞いた美咲と陽葵ちゃんが色めき立つ。


「だ、誰!? 誰なの!?」

「それって弥生の初恋じゃない? 教えてよー!」


 二人に詰め寄られて、弥生ちゃんの顔は、もうリンゴみたいに真っ赤だ。彼女は、か細い声で、一つの名前を呟いた。


「……た、高階、くん……」

「「「…………え?」」」


 私と、美咲と、陽葵ちゃんの声が、綺麗にハモった。


「え、高階くんって……あの、東堂くんの隣にいつもいる?」

「う、うん……。いつも、東堂くんと話してて……その時に、見てるうちに、なんか、目で追っちゃうようになって……」


 駿太の隣には、確かに、いつも親友の高階直哉くんがいる。直哉くんは、駿太とは対照的に、物静かでクールな印象の人だ。でも、時々見せる笑顔がすごく優しいことを、私は知っていた。

 

 弥生ちゃんは、俯きながら、ぽつりぽつりと話し始めた。


 そっか、弥生ちゃんは、駿太を見ていたんじゃない。駿太の隣にいる、直哉くんを見ていたんだ。そのことを知った瞬間、私の胸の中を覆っていた分厚い霧が、さあっと晴れていくのがわかった。


 なんだ。そうだったんだ。


 安堵と少しだけの罪悪感。友達を疑ってしまった自分が、急に恥ずかしくなる。

 でも、それ以上に、弥生ちゃんの初恋を、心から応援したいという温かい気持ちが胸いっぱいに広がっていった。


「そっかぁ! 直哉くんかぁ!」


 美咲が、弥生ちゃんの肩をばんばんと叩く。


「なんだー、言ってくれればよかったのに! 全力で応援するよ!」

「そうだよ! まずは、連絡先交換からじゃない?」


 陽葵ちゃんが、すっかりやる気に満ちた顔になっている。

 私は、三人の賑やかな会話を聞きながら、心の中で安堵の息をついた。


(そっか……弥生ちゃん、直哉くんのこと……)


 そして、私の秘密の彼氏の顔を思い浮かべる。

 今度、駿太に、それとなく直哉くんのこと、聞いてみようかな。


 友達の恋の始まりに、私の心まで、甘酸っぱい気持ちで満されていく。

 弥生ちゃんの初恋が、どうか叶いますように。


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