セーラー服を脱がさせて side 結衣

 夏休みが始まった。


 蝉の声が降り注ぐ午後、私は落ち着かない気持ちで、部屋の時計の針が動くのを見つめていた。

 心臓が、昨日からずっと、いつもより少しだけ速く脈打っている。


 ピンポーン、と軽快なチャイムの音が鳴った。


 来た。


 私は深呼吸を一つして玄関のドアを開ける。

 そこに立っていたのは、Tシャツにハーフパンツというラフな格好の、東堂とうどう駿太しゅんただった。


「よお」

「……うん、いらっしゃい」


 家が隣同士の私たちにとって、お互いの家に行くなんて日常茶飯事だった。


 でも、今日は違う。

 昨日までの「幼馴染」としてじゃなく、「彼氏」として駿太を家に招くのは、これが初めて。その事実が、何もかもをぎこちなくさせた。


 私の部屋に入ると、駿太は「おじゃまします」と言って、少しだけきょろきょろと辺りを見回した。

 そして、クローゼットの扉に掛けてある、私のセーラー服に、その視線がぴたりと止まる。


 私たちは、夏休みの課題をやるという名目でローテーブルに向かい合って座った。でも、お互いにシャーペンを握ってはいるものの、そのペン先は一向に進まない。


 沈黙が気まずい。

 駿太は、さっきから何度もちらちらとクローゼットに目をやっては、何かを言いかけて口を噤んでいる。

 その落ち着かない様子に、私の心臓もどきどきと音を立てた。


「……なあ、結衣」


 不意に、駿太が意を決したような、でもまだ少し迷いの残る声で私の名前を呼んだ。


「なに?」

「あのさ……お願い、あんんだけど」


 駿太は少しだけ言い淀んで、ごくりと喉を鳴らした。その視線が、もう一度、私のセーラー服へと移される。


「それ……着てみてくんない?」

「…………え?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


 制服?

 夏休みなのに?

 私服でいる私の部屋で?


 私の困惑した顔を見て、駿太は慌てて言葉を続けた。


「いや、だから……その、制服。結衣の」


 駿太は、顔を真っ赤にしながら、それでもまっすぐに私を見ていた。


「昨日の、約束……」


 昨日の約束。その言葉で、私の頭の中に、夕暮れの教室での、彼の耳元でした囁きが鮮やかに蘇った。


『おうちでなら、いいよ』。


 あの時の、少しからかうような、でも精一杯の勇気を振り絞った私の言葉を、駿太がずっと覚えていてくれた。

 その意味を理解した瞬間、全身の血液が顔に集まってくるのがわかった。


 なんて、マニアックで、馬鹿正直で、どうしようもなく愛おしいお願いなの。


「えぇ……」


 困惑と、それ以上のとんでもない羞恥で、声が裏返る。


 夏休みの自分の部屋で、わざわざ制服に着替えるなんて。そんなこと、想像もしたことがなかった。


「……やっぱ、嫌だよな。ごめん変なこと言って」


 しょんぼりと肩を落とす駿太を見て、私の心は決まった。

 この人は、不器用で馬鹿正直で、でも、私のことを本当に大切に思ってくれている。その想いに、私も応えたい。


「……ううん」


 私は小さく首を振ると、立ち上がった。


「……ちょっと、待ってて」


 駿太に背を向けて、クローゼットから制服を手に取る。振り返らずに部屋を出て、洗面所で着替えながら、鏡に映る自分の真っ赤な顔を見て、ため息をついた。


 ばか。

 ばか。

 駿太のばか。


 でも、そんなあなたが好きだから、仕方ないじゃない。


 部屋に戻ると、駿太は息を呑んで、私をただ、じっと見つめていた。自分の部屋に、制服姿でいる。その非日常的な光景が、空気を甘く、濃密にしていく。


 駿太はゆっくりと立ち上がると、私の目の前に来て、震える指で、私のスカーフに触れた。


「……結衣」

「……うん」


 するり、とスカーフが解かれる。

 一昨日と同じはずなのに、全く違う意味を持つその行為に、心臓が大きく跳ねた。


 駿太の指が、セーラー服のチャックにかかる。

 もう、私を守る鎧は何もない。でも、不思議と怖くはなかった。


 だって、駿太の温かい腕が、私を優しく包み込んでくれているから。

 ここが、私の、本当の居場所。


「……好きだ、結衣」

「……私も、好きだよ、駿太」


 私たちは、どちらからともなくベッドに倒れ込んだ。


 窓の外では、ひぐらしが鳴いている。私たちの初めての夏が、静かに、でも確かに、始まろうとしていた。



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