第11話 回帰
最近はめっきり寒くなって、校庭の横を通る道沿いに生えた樹木の紅葉らが風になびいて、樹の頭の方からひらひらと落ち始める時期になりました。
人肌恋しい季節、らしく、学校の知り合い(友人の定義について、色々と考えることがあって、まだこれについて、自分なりの、尤もらしい割り切りの一つも浮かばないので、この言葉を使うのは、今の所、気が引ける思いなのです。)によれば、その知り合いは彼女が欲しくて堪らないそうです。よくよく考えてみると、その知り合いにも一理あって、私自身、この季節になると、ああ、そういえば、と自身に起きた色々の過去について考えるようになるのです。
過去の記憶。
これほど私を困らせるものはありません。
晩秋は、回帰の季節であります。
ああ、彼女は、今…。
色々と思い出して、そうして、暗い部屋の中で布団に倒れこんだまま、意識の有無もはっきりしない、浮浪の視界でもって、ただ、天井を見詰めるのです。
その時です、ふと頭の中でこんな言葉が浮かび上がるのです。
死。
もう、陰惨の、酩酊の、酷い風邪を拗らせたように、冷や汗が滲んで、視界も白く霞んで、心臓の鼓動によってどくどくと血液が全身に行き渡るのを、動悸と共に感じております。
生きることの苦痛。
苦痛とは、生きることです。
しかし、死ねない。
死を、見詰めてしまうのです。
恐怖や、畏怖ではありません、そんな馬鹿な表現ではありません。
ただ、見詰めているのです。
いつから、こうなったのか。
最近は、めっきり、寒い。
将来という言葉は、まだ、怖い。
社会が、人間が、生きることが、怖い。
しかし、私は、死ぬ資格の無い人間のようです。
「ただ、一さいは過ぎて行きます。
(略)
ただ、一さいは過ぎて行きます。」
という、人間失格の一節があります。
私はこれこそ太宰の言いたかったことだと思っているのですが、今まではただぼんやりとした解釈でいたのですが、先月、十八を迎えまして、不思議な体験をしまして、この一節の意味が、この一文を二度も書いたのか、はっきりと分かりました。
と、書くと、きっと、「ああこいつ死ぬな」などと思われるのかもしれませんが、私は、何度も綴ってきたように、死のう死のうと思って、しかし死なないで生きている男ですから、その点においては、表現を寄せるのであれば、神の救いなるものがあったのかもしれません。(或いは、その逆であるのかもしれません。)
私は、ただ、生きねばならぬ。
朝になって、障子を開け放すと、外には朝霧が立ち込めておりました。
私を見ているようで、すぐに閉め切って仕舞いました。
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