第5話 公園にて

 何か書かねばと思いつつ、新規の短編が浮かばないので、近所にある大きな公園(といっても、遊具のあるような公園ではなくて、緑豊かな公園です。)に自転車で向かいました。


さびれた街の道路に架けられた横断歩道を二つ渡って、坂を下ると、入り口が見えて参ります。


後で調べたら、日本の都市公園百選というものに選ばれているようでした。


しかし、その百選も聞いたことがない程度(僭越ながら)のもので、しかし、規模を考えれば、まあその百に選ばれるのは妥当だろう、というような公園ではあります。


公園に入ってすぐの林を貫く坂を下って行きますと、蓮の葉やら木葉が散りばめられた大きな池がありまして、早朝に行ったにも関わらず、釣りをする老若男(女は私が見たその光景には含まれておりませんでしたので、私の表現の自由と美的追求によって生み出されたこの言葉が、いつか過激派の方々の柔肌を撫でぬことを願います。)がちらほらおりまして、ブラックバスがよく釣れると兄が言っていたのを思い出しました。(もちろんイートはしておりません。創作物ですから、創作に現実を持ち込んで要らぬ疑念を抱かぬよう。)


その池を通りすぎて、また坂を下って行きますと、シルバーカーを押すご年配の女性がいました。


目が合いまして、そのおばあさんから、挨拶されまして、それから、私が挨拶を返しますと、いきなり、お若いわね、と、まあ、この女性は何歳か知りたいのだろうと推察いたしまして、年齢を答えますと、あなたの年くらいの時は朝に牛乳と郵便を配達してから学校に行っていたわ、という、出だしで始まりまして、まあ、何かしら書き物になりそうな話をいくつか聞かせてもらいましたが、その話は、例えば、私が執筆活動愛好家とでもいうような、莫迦らしい、小説とも言えない駄文集を書きしたためるような人間か、過去回帰型自慰主義の小説家でなければ退屈に感じる、それこそお世辞を百、選りすぐったって拭い切れぬ駄話でした。


しかしこのおばあさんは、太宰的に言えば、私の御老八景に入れるべき人物であることは言うまでもないでしょう。この公園に入るのは、もう止めようかしら、そう思って、家に帰って、何年か前の映画を見ました。ゴッホの半生を描いた作品でした。現実と虚構を行き来しているように見えまして、総評として、私はいい作品だと思いました。


芸術は心地がいい。


文というものには、文学、学がついてしまうのです。文芸という言葉があります。どちらが先か、私は、考えたくありません。例えば、私のこの駄文集でさえ、文学の軒に並んでしまった日には、いえ。


これを書き終えても、まだ、朝の十時です。




 何か書かねばと思って、メモ帳を開いてみると、いつぞやに綴ったこんな文章がありましたので、載せておきます。

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