来店記録九月一日
あるいつも通りの朝。久しぶりに店を開けた喫茶ボナセーラの玄関に、ひとりの警官がやって来た。どうやら警官はこの間の事件について聞き込みに来たらしい。しかし、ボナセーラの店主はいつものとびきりの無口で。警官の問いに全く応じなかった。そんな調子なので警官はどうも困っていた。
「困りますよ、店主さん。なにもあなたの事を疑ってるのではなく、ただ最近、近くに怪しいものや、怪しいひとを見なかったのかと、私は聞きたいだけなのですが」
それでも店主は答えない。すると既にカウンター席に居た、小説家がそそくさとボナセーラの玄関の方へ行き。なんと、元々その会話へ参加していたかの様に、店主の代わりに警官へと話を始めた。
「ああ、すみませんお巡りさん。この店は初めてですか。彼は、黙秘しているのではなく、ただ歳がいって少し呆けているんですよ。私で代わりになるなら、協力しますよ。なにせ私は字書きをやっているのですが。字書きというのは取材が大好物の人種でね。ここら辺の事は、毎日散歩し見ていますよ」
小説家の、店主が呆けているという話はデタラメだった。ただ小説家は、この状況が次の作品のネタにし得るだろうと踏んで、ペテンをついてまで店主と警官の間に入り込んで来たのだ。小説家の割り込みにも店主は何も言わなかった。
突如の乱入に警官は面を食らったが、少し考えてから小説家の話に納得した。
「そうでしたか……すみません、失礼な事を。店主さん、お若く見えるし身なりも綺麗なので、ついご協力をと……」
「ですよね! 彼、実は若いころモデルをやっていたんですよ」
この話も嘘だった。小説家は続けて。
「それで、その聞き込みの件とは?」
警官は答える。
「最近、そこの公園で放火未遂やら、深夜に大声をあげて誰かが徘徊しているやら、不審な通報が多いんです。それも本当に突発的に」
「最近、とは?」
「先々週くらいからです」
小説家は考えた。先々週からなにかこの町で変わったことはあったかと。ここで少年と話したことはあったが……。それは関係なさそうだ。次に近頃のニュースは記録的猛暑の事を言うばかりで、肝心の情勢になにひとつ触れていないとテレビ局へクレームを入れた事も思い出したが、これも関係なさそうだ。
「先々週からだとすると……すみません有力な事は知りませんね」
「いえいえ。とんでもないです。むしろ、ご協力有難うございます」
「しかし放火未遂とはまた物騒な」
「そうなんですよ。公園の地面の一面が丸焦げに……」
そこで、いつの間にか姿を消していた店主が紙製のカップに入ったコーヒーを警官へと手渡した。警官は唐突だったもので反応に困っていたが、そこで小説家が。
「お勤めご苦労様です、って言ってるんですよ」
これも本当かどうかは分からなかったが、警官は店主からカップを受け取った。
それから警官がパトカーのなかで飲んだそのコーヒーは暖かった。
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