【三】SNSでバズる狸
かつて“狸に化かされた”という体験は、ごく限られた個人の語りとして、近隣や家庭、あるいは民話として伝えられてきた。しかし現在、その語りはインターネットという加速度的な拡散装置を介して、瞬く間に「共有される物語」へと変化する。
中でもSNSは、狸的現象にとってきわめて相性の良い場となっている。
■取材記録:SNSでバズる狸
【取材日】令和三年十二月
【対象】大学生グループ(X〈旧Twitter〉に動画を投稿した当事者)
2022年の秋、ある大学生グループが投稿した一本の短い動画が、SNS上で突如話題となり、「かわいい」「謎すぎる」などの声とともに拡散された。
彼らが深夜に“肝試し”と称して訪れたのは、関東郊外の山間にひっそりと佇む小さな神社。鳥居の前でふざけ合いながらスマートフォンで動画を撮影していたところ、思いがけず“それ”は映り込んでいた。
「友達が鳥居の前でポーズ取ってて、それをスマホで撮ってたんですけど……その奥、狛犬の後ろから、“ヒョコッ”って何かが出てきたんですよ」
動画には、確かに石の狛犬の背後から、まるで“生えている”かのように、ふさふさとした大きな尻尾がぴょこんと現れる様子が映っていた。
その尻尾はゆっくりと左右に揺れ、時折ピクリと動く。毛並みはつややかで柔らかそうでありながら、どこか不自然なほど丸く整っており、見る者に「かわいい」「でも変」といった複雑な印象を与えた。
「狛犬の石像、動くわけないじゃないですか。でも、めっちゃ尻尾が揺れてて。風とかじゃなく、ちゃんと“振ってる”んです。しかも、石の尻から尻尾だけが生えてるように見えるし。作り的に、後ろに動物が隠れてるにしては不自然なんですよね」
コメント欄にはすぐに様々な声が書き込まれた。
「これ何!?」「狛犬のうしろに動物!?」「CGっぽいけどリアルすぎ」「犬の尻尾じゃないね?」「しっぽ、アライグマ?」「タヌキっぽい!」「先っぽ黒い=たぬき確定」
動画は「#しっぽかわいい」「#狛犬たぬき?」「#ほっこり肝試し」「#もふもふしっぽ」といったタグとともに拡散され、数万いいねを記録した。
中にはイラストを描いて投稿するユーザーや、「ぬいぐるみ作ってほしい」といった声も現れ、映像に映った“しっぽだけの正体不明の生き物”は一時的にマスコット的な人気を集めることとなった。
「投稿した本人は正直“バズるとは思ってなかった”そうです。撮ってるときはびびってたけど、あとで見返したら“なんか可愛いし……まぁバズったからいっか”って」
なお、現地を後日訪れた人々によると、石の狛犬の背後には動物が身を隠せるような空間はなく、また動画の投稿者がCG編集を行う技術を持っていた形跡もなかった。
だが、それ以上の検証が行われることはなく、当の“もふもふ尻尾”の正体も、狸っぽい、ということ以上のことはわかっていない。
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この一件において注目すべきは、「ふさふさの揺れる尻尾」そのものの正体ではなく、それが“狸かもしれない”という解釈とともに拡散されていったプロセスである。
実際の動画に映っていたのは、石の狛犬の背後からぴょこんと覗く、一本の大きな尻尾だ。それが犬なのか猫なのか、あるいはほかの動物か、はたまた映像の錯覚か――本来であれば曖昧なまま通り過ぎてしまうような奇妙な一瞬にすぎない。
だがそこに「狸の尻尾では?」「先っぽ黒いのがリアル」といったコメントが重なり始めると、それはたちまち“狸である可能性”を帯びはじめる。
さらに、「あのあたりは狸とかいるよね」「神社に住みついてるって話、昔聞いたことある」といった証言が加われば、それは単なる動物や映像の偶然ではなく、“存在してきた狸”という語りの系譜に接続されていく。
こうして、尻尾だけの存在が「狸として語られることで」狸として現れるという民俗的構造が、SNS空間でも忠実に再演されたのである。
尻尾動画の拡散後、ネット上では「しゃべる尻尾」「もふもふしっぽ狛犬」「#しっぽかわいい」など、主に厳つい古い石の狛犬と、モフモフの尻尾というギャップの面白さで次々に派生的な投稿が生まれた。
動画から切り出された静止画の狛犬の目が“つぶらな目”に加工されたり、吹き出しがついた画像にさまざまなセリフを言わせたり、ぬいぐるみ風のイラストやアニメ調の再現動画まで登場し、尻尾は“ツンデレ甘えた狛犬”としてミーム化していく。
こうした展開は、かつて村ごとに少しずつ形を変えて伝えられてきた昔話とよく似ている。
すなわち「再話」と「変異」によって、“尻尾の狸譚”はネット空間の中で日々新しい姿へと変化し続けているのだ。
このような過程では、「実際にそれが何だったのか」という事実性は重要ではない。
むしろ、「かわいい」「なんか不気味」「よくわかんないけど好き」といった感覚的反応が優先され、その分だけ狸の“正体”は曖昧に、そして豊かに拡張されていく。
そうして狸は、実体のないまま、しかし確かに存在し続ける記号としてネット上を漂い続ける──
まるで都市の気配に紛れる、名もなき霊獣のように。
これまでの民俗学は、「いかに語りが変化するか」「どのようにして伝承が成立するか」を追ってきた。
しかし現代では、「どれだけ拡散されるか」が、語りの成立条件の一部となりつつある。
つまり、“狸が出た”という出来事が本当にあったかどうかよりも、“狸が出た”という語りがいかに多くの人に共有されたかが、その出来事の「実在性」を保証するのだ。
この意味において、SNSは狸の“化かし”を現代的な文脈で再活性化させる装置となっている。
狸はもはや山奥や田畑の脇にだけ潜んでいるのではない。スマートフォンの画面の向こう側、タイムラインの隙間、リプ欄の奥に、ひそかに化かしを仕掛けているのかもしれない。
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