第六章:狸と現代のメディア

【一】デジタル空間と妖怪

 民俗学において語られる「境界」は、決して物理的な地形や建造物の間にのみ存在するものではない。

 たとえば、日没と夜の境目に訪れる「逢魔が時(おうまがとき)」、あるいは旧暦の大晦日から正月にかけての「年の境」、こうした時間的な移行点においても、妖怪や霊的なものが現れるとされてきた。


 社会的にみても、都市と農村のあわい、里と山のあいだ、村境、川の向こう、墓地の外れといった、人の生活圏と非日常が交錯する“曖昧地帯”は、古来より怪異や変化(へんげ)の舞台であり続けた。


 しかし21世紀の今、人々の生活は明らかにその構造を変化させている。情報空間における交流が、現実の接触や伝承を凌駕し、SNSや掲示板、動画共有サイトといったデジタルメディア上で、人々は日々の出来事や記憶、感情すらも交差させている。

 そうした新たな接点は、物理的な地理や家屋の境界とは異なる、“情報としての境界”とも言えるべき領域を生成している。そこには確かに、過去の民俗学が扱ってきた「怪異の舞台」と地続きの性質が見出せる。


 このような「新たな境界」において、妖怪──中でも狸のように“化かし”や“誤認”“語りの攪乱”を得意とする存在──が、再びその姿を現しつつある。しかもそれは、もはや伝承の中だけではなく、ネット上の体験談、謎の画像、怪異のスレッドなど、現代的なかたちで“再演”されているのだ。


 2000年代初頭より、いわゆる旧2ちゃんねるの「洒落怖(しゃれこわ)」や「オカルト板」などを発端として、インターネット上には「語られる怪異」の文化が急速に広がっていった。これらの多くは、実際に体験したとする投稿者によって語られ、その口調は日記や雑談、質問のかたちをとることが多い。投稿の形式は時に断片的で、時に長文だが、いずれにも共通するのは「記録されていない恐怖」を共有しようとする構えである。


 ここで重要なのは、それらの語りが「個人の主観に基づく証言」であるにもかかわらず、閲覧者の多くがそれをある程度“信じる”前提で受容しているという点である。

 つまり、民俗学的な語りにおける“証言”の構造が、形を変えてネット空間に持ち込まれているのだ。そしてその中に、狸のような「化かし系」の怪異がひときわ多く紛れ込んでいるのは、偶然ではない。


 狸は、特定の土地や山の記憶に縛られず、情報の曖昧さや語りの食い違いを本質とする。人々がネット上で語る「聞き間違い」や「見間違い」「同行者との記憶の食い違い」など、因果関係の解きにくい違和感には、まるで狸が新しい「電子の葉」を手に入れて、再び人々を煙に巻いているような感触すらある。


  ネット空間の特徴としてしばしば挙げられる「匿名性」は、妖怪のもつ「正体のなさ」「定義の不安定さ」と極めて似た構造をもっている。誰が語ったか分からない話、誰が撮影したか分からない映像、出典の不確かな画像、改変されたスクリーンショット──これらはしばしば、虚実入り混じる「化け物じみた情報」として流布され、誰かの「実体験」として恐怖をもって消費されていく。


 ここに登場するのが、正体の定まらない狸である。

 古典的な狸は、時に僧侶に、時に老婆に、時に美少女にすら化けたとされる。現代においてその“化ける”先は、アカウント名やアイコン、絵文字、音声データやGIFファイルに変わっていくのかもしれない。あるいは、無邪気な冗談に見える投稿にひっそりと、狸の尻尾のような“何か”が紛れていることすらある。


 つまり、ネット社会は狸にとってきわめて居心地の良い生態系なのだ。実体がなくても生きられる、嘘と真実の境界が曖昧である、しかもそれを誰かが真剣に受け取る──この構造そのものが、狸の神話的性質と重なり合っている。


 浅学ながら昭和・平成の民俗資料をある程度読んできた身からすると、いまSNSや掲示板に現れる怪談や不思議な写真には、過去の口承伝承にはなかったある種の“冷静さ”と“演出性”が感じられる。昔の語り手は、信じているから語った。だが現代の語り手は、信じていなくても語ることができる。あるいは、信じていなくても誰かを驚かせることができる。


 だがここにこそ、狸的な「化かし」が息づいているとも言える。狸の“化かし”とは、人間の感情や反応を攪乱することで成り立っていた。ならば、ネットにおける怪異の語り手たちもまた、狸に「憑かれている」とは言えないだろうか。

 狸が化かしているのは人の視覚や聴覚だけではない。記憶の構造や、信じるという行為そのものすら、彼らの遊び場なのかもしれない。


 以上を踏まえるなら、我々が見ている現代のデジタル空間とは、まさに新しい妖怪空間の発生源とも言えるだろう。現代の狸は、掲示板やSNSという“仮想の里山”に住まい、群れをなし、腹を叩く。時には可愛らしいアイコンで、時には不気味な怪異として、我々の語りと記憶に干渉してくる。


 では、彼らはどのようにしてネット空間に定着し、どのように「観測」されるようになったのか?

 狸の化かしは、どのような文脈で再構築され、デジタル社会の中で新たな信仰や恐怖として形をとるのか?


──それらの問いに対する答えを、次節以降に探っていきたい。

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