【三】地方伝承に埋もれた名を持つ狸【後編】
四 寒河江の鞍ノ助狸(山形・寒河江市)
山形県の寒河江市、寒河江川のほとりに伝わる「鞍ノ助狸(くらのすけだぬき)」は、東北地方における狸譚の中でも異色の存在である。その名が現れるのは、江戸中期の馬市の記録においてだという。鞍ノ助は、寒河江の馬市で人の姿に化け、口入れ役として「優良な馬の目利き」を装いながら、実は劣った馬を高く売りつけるという詐術で知られていた。
当時の寒河江は、月山・葉山信仰の登山口にあたり、参詣人や馬商人が集まる交易地でもあった。鞍ノ助はこの市場に巧みに紛れ込み、しばしば「買った馬が急に暴れる」「見たはずの白い星がない」といった苦情が立て続けに起きたという。
ある年、会津から来た百姓が購入した馬が暴れて大けがを負い、「あれは狸の仕業に違いない」と訴え騒動となった。その場で「口入れ人」の男は忽然と姿を消し、以降、寒河江では「狸に馬を騙された」という話が言い伝えられるようになった。狐の仕業とする説もあったが、地元では「狸の鞍ノ助だった」として記憶されている。
現在、寒河江八幡宮の裏手、小さな馬頭観音像の脇に、目立たぬように「鞍ノ助狸祠」と墨書された朽ちかけた木札が結ばれている。常連の参拝者によると、これは「競馬や乗馬前の願かけ場所」として、密かに親しまれているという。
【取材記録】
地元の個人馬主・I氏(50代・寒河江市内在住)への聞き取り:
「鞍ノ助狸の話、うちの祖父もよくしてましたよ。『馬に化かされんように、馬子狸に願掛けしとくんだ』ってね。今でも、G1レースの前なんかには、こっそりあの祠にお願いしてから出かける人、結構いますよ。賭け事と狸って、昔から切っても切れないんでしょうね」
競馬、馬の安全祈願、賭け事──こうした現代的な営みと、古い狸譚とが自然に重なり合う点で、鞍ノ助は「忘れられた神」として生き続けているとも言えるだろう。
五 筑後の照葉狸(福岡県・筑後市)
福岡県南部・筑後市の山あいに、「照葉狸(てるはだぬき)」と呼ばれる雌狸の伝承が残されている。照葉は、筑後川支流の渓谷地帯、地元では「照葉山」と俗称される丘に棲み、かつてこの地に捨てられた水子や遺児の魂を育てた狸であったとされ、今では“山の乳母神”として小さな祠に祀られている。
言い伝えによれば、照葉は元々はただの狸であったが、ある年の大水で川辺の村が流された際、生き延びた赤子の泣き声に引き寄せられ、そのまま母のように守り育てたという。
その子は後に村に戻り成人し、「命を救ってくれたのは、照葉山に住む白い毛並みの狸だった」と語ったことから、照葉の名が広まったとされる。
以降、照葉は子に恵まれぬ夫婦や、水子を失った者たちから「子を預かり育ててくれる山の眷属」として信仰されるようになった。
照葉山の麓に苔むした小祠が現在も残るが、いつの時代に建立されたかは定かでない。
今でも小さな靴下や産着、哺乳瓶が供えられており、夜になると祠の奥から子守唄のような音が聞こえるという噂が残る。
【郷土資料館メモ】
筑後市歴史民俗館の展示資料によれば、昭和中期まで「照葉詣(てるはもうで)」と呼ばれる風習があり、子を失った母が七夜ごとに山道を登り、照葉に供物と共に名前を告げ、魂を託すという儀式が行われていたという。民間信仰としての位置づけは曖昧だが、地元の古老は「照葉は山の神ではない、ただ静かに見守る狸じゃ」と語っていた。
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近年では「照葉狸」の存在は、筑後市の民話として再評価されつつある。郷土資料をもとに地域の小学校で「てるはのまもりうた」と題された朗読劇が行われたり、水子供養の小さな慰霊祭にて照葉狸の祠へ蝋燭を手向ける動きも見られるようになった。
妖怪とも神ともつかぬ照葉狸は、災厄によって断たれた命を“静かに育てなおす”存在として、時代を超えて受け継がれている。その姿は見えずとも、夜の山の奥、ひとり子守唄を口ずさむ狸の影が、今も照葉山にひっそりと佇んでいるのかもしれない。
六 浮間の宵七狸(東京・北区)
東京都北区の北端、荒川と新河岸川の合流に近い浮間地区──この一帯には、かつて「宵七狸(よいななだぬき)」と呼ばれる狸の群れが夜毎出没していたという、江戸後期から明治初頭にかけての記録が残っている。元は浮間ヶ原と呼ばれる低湿地で、水田開発や新田開拓が進んだことで行き場を失った狸たちが、開拓農民の暮らしを夜な夜なかき乱したとされる。
伝えられるところによれば、毎晩ちょうど“七匹”が連れ立って現れ、道端に揺れる提灯の灯りや、背後からついてくる足音など、視覚と聴覚に訴える怪異を引き起こしたという。特に知られているのが、そのうちの一匹であった「宵七(よいなな)」という名の老狸で、人間の影に化けて後ろからついてくる、という不可解な現象が語り継がれている。
現在、浮間舟渡駅からほど近いエリアにある小さな坂道は、地元では「狸坂」と通称されており、保育園や小学校では“七つになるまでは一人で通らないように”と教えられている。迷信のようでいて、どこか現代にも根を張った不安が息づいている。
【現地観察メモ】
夏祭りの日、浮間公園の縁日広場では「宵七狸スタンプラリー」が催されていた。中学生が手作りの狸面をつけて、七つのチェックポイントを巡るゲームを案内していた。案内板には「宵七はキミの影に化けて、すぐ後ろにいるかも?」と書かれていた。
地元の子どもの笑顔の奥に、狸たちが姿を変えてもなお生き続けている気配が感じられた。かつて人々を惑わせた存在は、今では地域の記憶と結びついた“顔”として、世代を超えて静かに生き延びている。その陰に、誰も気づかぬまま。
七 三朝の黄助狸(鳥取・三朝温泉)
鳥取県中央部、三徳川沿いに広がる三朝(みささ)温泉──ラジウム泉として知られるこの湯治場に、かつて「黄助狸(こうすけだぬき)」と呼ばれる不思議な狸が棲んでいたという伝承が残されている。
黄助は、人間の姿に化けて温泉街に現れ、迷う旅人を風呂場へと無言で案内するという奇妙な存在だった。その姿には特徴があり、「黄色い足袋を履いた小柄な老人」として記憶されている。昭和初期の地元紙『因幡日報』には、宵の口に「黄色い足袋を履いた老人に風呂場まで案内されたが、振り返ると姿が消えていた」とする宿泊客の証言が複数掲載されている。当時はこれを「黄助狸の仕業」とする噂が立ち、温泉街でちょっとした話題になったという。
地元では、この黄助狸は「湯守り」として語られ、悪さをすることなく、むしろ客人の安全と快適さを見守る存在として親しまれてきた。現在、温泉街の老舗旅館のひとつでは、玄関脇に「黄助様」と書かれた札が掲げられ、静かに祀られている。
【旅館関係者聞き取りメモ】
旅館「三朝館」女将・H氏(60代・三朝町在住)への聞き取り:
「うちでは時々あるんですよ。
例えば、“夜中に浴衣の襟を直してもらった気がする”とか、“朝方、耳元で名前を呼ばれて起きた”とか。
でもその時間、うちのスタッフは誰も客室に行っていないんです。
昔からこの温泉街では、“黄助様”が旅人を見守ってくれているって言い伝えがありましてね。湯治客を守ってくださってるんです。
ありがたい存在ですよ、本当に」
こうした話は、三朝温泉に今も残る“人ならざる湯守り”の存在を静かに物語っている。狸とは、人を化かす存在であると同時に、人を守り導く者でもある──黄助はその好例といえるだろう。
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