【街】 6-②
白いYシャツにスラックス、グレーのニットベストの上にノニと一緒に購入したモッズコートを羽織ってピンクのサングラスをかけたイリセと、黒い上下ジャージを着て髪を上の方にまとめて結い直したノニは、街から出る電車が到着するのを駅のホームで待っていた。イリセのフードの中にはとかげのような姿になったセジュラが入っており、座敷童はイリセの腕の中に抱かれている。
十を超える線路が並んだこの大きなホームは「超未来都市」には似つかわしくないほどに旧式で、東京や関西に直接向かう線には高速リニアが導入されているが、技術が進歩した今でも半分以上の線が古い時代から使われている線路だった。この街とそれ以外の地域の技術差や財政の差は大きく、都市部のように国や民間企業が積極的にインフラ整備を行わなければ、こういったちぐはぐな継ぎ接ぎが出来上がるのだ。
2人が立っている一番端の線路の横のホームは、もう使われていないのではないかと思うほど古びたもので、ホームの中心部の喧噪に比べると人はまばらだった。行き先としては本数が極端に少ない電車というわけでもないのだが、平日の昼過ぎという中途半端な時間帯ではやはり運行は少なめになる。
行き先を全く聞かないイリセにノニは少し不安を感じ始め、注意深く様子を窺っていた。部屋の結界から出たことで体調は少し悪くなったようだったが、セジュラをくっつけているせいか、良くないものが寄って来ている気配はない。
人間が存在を剥がされる瞬間をノニは直接見たことはない。現象としては神隠しと呼ばれるものに近いと聞いているものの、奥の目がかなり開いているノニの怪異を見る目では「存在が魔性となって普通の人間に認知されなくなる」という瞬間を見ることが出来ないのだ。ただ、今は座敷童が重しになっているものの、1日か2日程度が限界だろう。
イリセを眺めながらノニが考え込んでいると、古い線路がタタン、タタン、と微かな音を立てるのが聞こえた。伸びた線路の先を見ると電車が近付いて来るのが見えて、ノニは目を細める。この大きな駅に入るにはどう考えても不釣り合いな、一両編成のワンマン電車だ。線路の振動は聞こえるものの、目の前に停車するまでは風を切る音も聞こえずに不気味なほど静かにホームへ入って来て、すっと止まる。同じように車両を見ていたイリセが不安そうにノニを振り返るものの、停車した車両から何人か人間が降りて来たのを見て安堵したのかほっと息を吐き出した。
車内の出入口近くに立っている運転手に切符を見せて乗り込むと、ノニは車両の左右の壁面にある青い布張りの長い座席の真ん中に腰を下ろした。後ろから同じように切符を見せて乗り込んだイリセは、ピンクのサングラスを頭の上に上げてきょろきょろと車内を見回しながらノニの隣に座る。どうも緊張しているらしくイリセは何かを話したそうにノニを見て来たのだが、ノニは運転手の立っている車両の出入口を眺めていた。
何人かの乗客が乗り込んで来た時に運転手の影や肩の部分がふと微かに揺らぐのを見て、ノニは口元に笑みを作って椅子に座り直し背もたれに体を預ける。数人ほど乗り込んで来た乗客もよく観察すると、明らかに動きのぎこちない者、決して顔が見えないようにする者、目をこらすと座った座席の青が透けて見える者、そういった面々がほとんどだった。
「……当たりだ。」
ノニがそう呟くと同時に車両のドアはプシュッと音を立てて閉まり、運転手が運転席の方へゆっくりと歩いて行く。間もなくタタンと音を立てて車体が揺れ一両編成の車両が発車し、街の大きな駅のホームからすうっと外に抜けて走り出した。
タタン、タタン、と規則的な音を立てて電車は街中に敷かれた線路を走って行く。ノニは視線を横にやって窓の外を流れる景色をしばらく見てから、イリセを振り返った。
「どこで停まるかはわたしも正直分からない。景色が変わってから、最初の駅に停まったら降りる。」
ノニの言ったことの意味自体は理解した様子だったが、「わけが分からない」と顔に書いてあるような、少し眉をひそめて下げた不思議そうな顔をしてイリセがノニを見る。その瞬間に、電車がざあっと音を立てて窓の外の景色がなくなり暗くなった。
「え、こんな近くにトンネルがある線なんて」
驚いて顔を上げるイリセの口を片手で塞ぎ、ノニはもう片方の手の人差し指を自分の口元に立てた。何度か瞬きしてからノニに口を塞がれたまま2回頷いて、イリセが目で「分かった」と言う。ノニがイリセの口元から手を離すと、彼は座席に座り直してから窓の方を振り返り、トンネルの中を眺めていた。フワリと時折見えるトンネル内の電灯の光は青白く、線路の音に合わせて規則正しく通り過ぎる。
やがて電車が向かう先から橙色の光が差し込み、青白い光がそれに塗り潰されると間を置かずに車両はトンネルを抜け、その瞬間に窓の外には真っ赤な夕焼けが広がる田園風景になった。
イリセはそれを見ると目をまん丸に見開いて唇を少し開き、その表情のまま自分の腕についた時計に目をやってから一瞬ノニを見て、そしてまた窓の外に視線をやった。
「夕焼けか。………ちょっとかかるな。もう喋っても大丈夫だぞ。」
静かな声音でノニがそう言うと、イリセは景色からふっとノニに視線を移す。
「たぶん、あの薬屋さんみたいなところに行くんだよね?」
過ごしたのは短い期間ではあるものの、イリセが出来事を受け入れるのも物事を理解するのもいつも早いことにノニは感心する。元々が優秀だったというのもあるだろうが、英才教育をされて来たと言われれば聞こえはいいものの「そうあるべし」という大勢の目で見られながら育ったのだろうと思う。そんなことを考えながら、イリセの質問にノニは頷いた。
「市場が立っているところがあるんだ。売り買いされるようなもの、特に人間から盗んだものなんかは大体そこにある。」
「そっか。だからセジュラに欲しいもの買ってあげるって言ってたんだ。」
イリセはそう言いながら笑むように目を細めて、肩越しに自分のフードの中のセジュラを見る。珍しく軽口が聞こえないとは思ってはいたのだが、セジュラはフードの中で大きなねずみのような姿でぐるりと丸くなって眠っていて、ノニは眉を下げてため息を吐いた。
「普通にお金が使えるなら、僕も何か買ってあげたいなあ。………ずっと負担をかけていると思うから。」
「わたしの報酬に乗せておいてくれ。それの働きも込みなんだから。」
ノニの言葉にイリセはじっとノニの顔を見て来て、膝の上の座敷童も同じように視線を寄越して来ることに、ノニは首を傾げた。イリセは少し躊躇うように視線を一瞬下に伏せてから、瞬きをしてノニの目を見た。
「ノニくんが、セジュラのこと『あれ』とか『それ』って呼ぶのは、その………『モノ』なの? 相棒とかじゃなくて?」
尋ねられた質問の意味が分からずにノニはイリセを見ながら何度も目を瞬き、そして合点がいって「あー…」と曖昧な声を出した。
「『相棒』なのは間違いない。ただ、お互いにちょっと複雑なんだ。」
古式の使い魔のようなものである一般的な式鬼などとは違い、確かにセジュラには「人格」と呼べるであろうものがある。周囲から見ればノニがこの獣を自分の付属物のように扱うことに不快感を抱く人間もいるだろう。
「……魔性に『人格』を認めてしまえば、わたしや退治屋を生業としている人間は、異形の化物ではなく現世の生命と同じものを手にかけるということになる。セジュラも……」
そこで一旦言葉を切ってイリセに伝えるかどうか迷い、ノニは首を振った。誤魔化しても仕方がないことだし、ここまで怪異に関わってしまった以上、間違った知識を持ったまま庇護がなくなれば、これから先彼が生きていく上では危険な目に遭う可能性が高い。
「セジュラだって、人を喰う。人間を襲えばわたしはこれを始末するし、これもそういうことは分かっているんだ。……そもそもあれだけマカリさんを気に入っていたのは、単純にこれの食の好みだからな。」
イリセは驚いたように眉を上げて、それからふとうつむいて自分の膝の上の座敷童を見た。座敷童はイリセの顔を見つめてにこっと微笑み、手を伸ばして頭を撫でる。それを見たノニの脳裏に、ふとした引っかかりのような違和感がぽんと頭に浮かぶ。
「この子も、そういうのが何かあるのかな。」
座敷童は富をもたらすいわゆる古来の妖怪と呼ばれるものだ。イリセグループのあれほどまでに巨大な発展はどう考えてもこの座敷童のもたらした富であろうし、これが家から出た今どれほどの反動が起こるのか、あの申し訳程度の身代わりで時間が稼げるのかどうか、ノニには全く保証出来ない。座敷童のマイナス面を考えると確かにここなのだが、ノニが今気付いた違和感はそれほどまでに長らく恩恵をもたらした家からイリセのためにあっさりと出てついて来たことだ。この妖怪の性質からは考えにくいことではあるものの、座敷童はこのイリセグループの次期社長にかなり執着している。
(弟、と……言っていたな。まさか)
先ほど感じた違和感が1つの考えに至ってノニは顔をしかめた。
このノニの目の前に座っている男はどう見ても二十七歳という年齢には見えない。髪や目に明らかに西欧や北欧の血が入っていながら顔立ちは異様に若く、言動も思考も素直で幼さすら感じるのだ。座敷童の執着でそういう影響が出ている可能性に思い当たり、ノニの背にぞわりとした何かが走り抜けた。
「でもそっか、この子が出て行ったら家が潰れるんだよね。意思疎通が出来て好意的でも人間には害がある可能性があるっていう……そういうので合ってる?」
小さく「うん」と声に出して頷くと、イリセはそのままノニに視線を向けないでしばらく黙っていたが、「あのね」と掠れた声で囁いて言葉を続ける。
「……マカリが僕を叱ってくれたの、初めてだった。」
その言葉にどういう意味が含まれているのかノニには分からないが、まだ窓の外には夕陽が浮かんでいて先は長そうだ。タタン、タタン、と線路が音を立て、乗客が既に数人消えた車内は夕陽に赤く染められている。イリセは独白をするようにうつむいて言葉を吐き出し続ける。
「……マカリだけじゃないか。僕、怒られたり叱られたことって、ほとんどなくてさ。しちゃいけないことをして来なかったっていえば、それまでなんだけど……」
そこで言葉を切ってイリセはちらりと横目でノニを見てから、その流れのままノニに向かって顔を上げて目を合わせる。
「今日ノニくんがずーっと僕を怒ってくれてたの、その……変だと思うかもしれないけど、嬉しかった。」
ずーっと「怒らないで」と言われていた気はするものの、ノニは口を挟まずに「へえ」とだけ返事をした。
「…………小学校の時、僕、友達とサッカーしてて怪我したんだ。結構強引にボール奪いに来て転ばされて……でも、練習とはいえ試合だとそうなるじゃない?」
ノニは修行としての武道の試合が多かったので、スポーツでのやむを得ない怪我というよりは明確に攻撃の意思を持って負わされた傷は多かったし、負わせた傷も多々あったものの、そこには触れずに頷いた。球技も一応やったことがないわけではない。
「その子の両親が日中なのに慌てて学校に来て、僕に頭を下げるんだ。……土下座とかするんだ……僕じゃなくて僕の後ろにいる会社に。」
話を聞きながら、ふと夕陽の区間があまりに長いように感じられてノニは息を吐いた。イリセの肩越しに奥に見える運転席の運転手がゆらりと真っ黒い顔をこちらに向けて振り向き、ノニはセジュラを叩き起こすべきだったと後悔する。
「僕は普通の人間だと思ってたけど……周りから見れば怪異と同じだったのかもしれない。普通の人間と違う、いると害があるものだったかもしれない。だって僕はあの高い高いビルの………雲の上に住んでて」
今、この車両の空間を支配しているのはイリセだ。正確にはイリセの願望をその膝の上に乗っている怪異が体現している。
「一緒に買い物に行く友達もいなくて。………僕、その」
「イリセ。」
そこで言葉を遮って、ノニは手を伸ばしてイリセの頭を撫でた。
「人間同士の環境や能力の差違の大小が『怪異』になるなら、お前だけじゃなく全ての人間は『個の化物』だ。」
両手を伸ばしてイリセのこめかみの辺りを包み顔を覗き込んで、ノニは静かに囁く。
「お前は頑張ってるただの人間だ。お前の周りのもの全部があの会社が後ろにあったからというだけのものじゃない。わたしとの縁も繋がってるしこれで終わりじゃないんだ。だから『今この時の永遠』を願うのはやめろ、たどり着けなくなる。」
虚を突かれたようにイリセの動きがぴたりと止まり、それから「……は」と唇を少しだけ開いて吐息の音を漏らす。瞳が細かに揺れるのを見つめてから、ノニはイリセの膝の上の座敷童へ視線を落とし、半眼になった。
「きみも、弟を甘やかし過ぎるのはどうかと思うぞ。別に彼を子どものままで留めなくても、大人になってもきみの弟だ。守ってやるのはいいが、きみがこうして願いを全部叶えてやらなくても自分で何とか出来る力はあるんだ。」
座敷童に言いながらノニは片手でイリセの頭や顔をわしゃわしゃと撫でて、「なあ?」とちらりと視線を上げて同意を求める。揺らした瞳をそのままにノニを見つめ、イリセの目から不意にぼろぼろと涙が零れた。それを隠すように頭のサングラスを目元まで下ろしてやり、ノニは呆れてはー、とため息を吐く。怒られるとか叱られるとか以前に、褒められ慣れてすらいない。
「……僕、やっぱり会社からこの子を連れ出さずに、僕が消えてしまった方が良かったんじゃないかって思ったんだ。」
窓の外の夕陽の色が徐々に薄らいで、薄い青から色濃い深い青になり、山向こうに沈んでいく橙色のうっすらとした線もやがて消えていった。タタン、タタン、という音の間隔がどんどん開いていき、やがて車両の中にノニ達以外の乗客はいなくなった。
「マカリさんはそれでお前を叱っただろ。もうここまで座敷童を連れ出したんだ、ちゃんとお前が戻してやらないとあの会社は消えて失くなるぞ。」
キィーッと微かなブレーキ音のようなものが前方から聞こえ、タ、タン、タ、タン、と線路から響く音の間隔がまたゆっくりと開いていく。ノニは前方の運転席の方へ目をやって車体の前の方の横の辺りに駅の看板らしきものが迫って来るのを見つけ、立ち上がった。
イリセは立ち上がったノニを見上げてふっと息を吐いて口元で微笑み、座敷童を抱いて同じように立ち上がる。
「何だよ。」
意味が分からずノニが聞くと、イリセは「ふふっ」と笑ってサングラスの奥の涙を片手で拭った。
「気持ち悪いかもしれないけど、子どもの頃に友達に『お前』って呼ばれるの憧れてたんだ。………何か、嬉しい。」
ノニは返事代わりに肩をすくめ、先ほどよりは大きい、細く高いキィーッという音を立てて停車した電車の出入口に向かい、その横に設置されている木箱に切符を入れた。
降り立った駅は酷く小さくて古い無人駅で屋根も何もなく、唯一ある鉄製の看板らしきものの文字も錆び付いて読めなくなっていた。看板の上に妙に薄い色の小さな白色灯がついていたが、周辺の闇が濃過ぎるせいかその白色灯があることで駅自体が何もない暗い空間に浮いているような錯覚を覚える。
「はん? 着いたのか?」
イリセのフードの中から寝ぼけ眼のネズミ姿のセジュラが顔を出し、きょろきょろと周辺を見回した。そして首を伸ばすようにして駅から右手の方を見て「あっちだな」と呟く。
「座敷童を抱いてる半妖は悪目立ちし過ぎるな。セジュラ、隠してやってくれ。」
「へーい。」
するすると体を大きくしてフードつきの毛皮のマントのようになりイリセの顔と体が隠れると、座敷童はごそごそとその中に入ってイリセの背にしがみついた。背は膨らんでいるもののマントの中に包みを背負う旅人は珍しくはない。
そうして、石台のようなものしかないそのぽっかりと暗闇に浮かんだ駅から、ノニとイリセはセジュラの指した方向へ向かって歩き始めた。
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