幕開 1

 暗く塗りつぶされた視界の中、針を刻む音が聴覚を刺激した。真後ろ、上空から降りてくるその音は、狂うことなく一定の時を刻み続けている。

 瞼の力を緩めれば、ここに着席した時となんら変わらぬ風景があった。シャンデリアが放つ煌々とした光を遮るものはない。壁紙の赤を鏡面のように映す天板を、見つめ続けている。


 広間には俺を含めて八人の人間が集っていた。ここに会している者は皆、一様に椅子へと腰掛けている。口を開く者はいない。

 けれど唯一、今にも会話の火蓋を切り出しそうな人物がいた。俺の席から対角線上の位置に彼女は座っている。随分前からそこに居るようだった。背筋を伸ばし、結び直したらしいツインテールを背もたれに沿わせている。そうして時折広間を見回しては、入り口である黒い扉を睨みつけていた。

 問いかけなくとも、ダリアが何に焦っているのかは想像がついた。

 ダリアから目線を外す。上半身を捻り、自身の背後に掛けられた時計を見上げる。

 十七時十三分。定刻までは、あと二時間。


 ノアとの会話を終えた後、あの吹き抜けから自室へと戻った。屋敷の探索を十分にしたとはいえなかったが、館内をふらつく気分ではなくなっていたからだ。

 かといって、何も手持ち無沙汰でいたわけではない。朝方に議題の的となっていた書籍に目を通していたのだ。部屋に備え付けられたチェストを引いたところにその本はあった。深い色をした表紙を手に取れば、掌に紙の重みが乗る。

 インクの跡とともに綴られていたのは、役柄の説明を初めとしたゲームの約束事だ。アイビーが示した通りの情報が、膝の上に開かれた本に押し込まれている。古風な言い回しではあるものの、いつも以上に頭をすり抜けていく文字列を指で辿りながら、なんとか情報を取り込む。


 中でも目を惹いたのは、己の身に課せられた村人の役についてだった。

 村人に求められているのは一つ。毎夜、人狼と思わしき人物を処刑すること。ルールには一文、単調な言葉を用いてこう書かれていた。

 ソワレは十九時より開演いたします。

 始まりの夜、ケイトに全員の視線が注がれた時刻だった。


 初日の投票に、まともな話し合いができる時間はなかった。時間の終了を告げる鐘は俺たちを他所に鳴り進む。指折り迫る死の恐怖を前に冷静な思考など保っていられるはずがない。抵抗も反論もできないままに、 二度と目の覚めない夜を迎えるなど御免だった。

 どう足掻こうとも避けられない事態があるのであれば、せめて時間は必要だった。理性的な会話を交わすため、二時間前を定刻として一堂に会することを決めたのだ。


 そんな決め事に出席していない者がいる。表立って態度には出していないものの、ダリアが落ち着かない様子でいるのはそのせいだった。

 心なしか顔色の悪い彼女から視線を外す。開く気配のない扉を一瞥し、ケイトとアシュクのために用意されていた空の席を視界に入れてから、左隣に焦点を当てる。確認するまでもないが俺の横には空席が出来ていた。首を傾ける。思い出されるのは、毅然とした横顔と、怯えを孕んだ紫の瞳。

 チョコレート色の髪を結った彼女、ニナは未だ姿を見せていない。


 昼間、飲み物の調達などで屋敷を往復した際、都度幾人かとすれ違った。とは言っても特筆すべき交流はしていない。各々が塞ぎ込んだ顔をして部屋から目的地、また部屋へと舞い戻っていた。きっと俺もその例に漏れなかったのだろう。

 そして俺は、ニナの姿を今朝以降一度も目にしていなかった。

 

 深くは考えず、彼女と応酬していたレオの方を向いてみる。ピンクアッシュの少女を挟んで、俺から一つ離れた位置にいるレオは、ニナの席とは反対の側に顔を背けていた。レオの目尻はちょうど跳ねた茶髪に隠されていて、彼がどんな思いでニナを待っているのかを察することはできない。

 室内は沈黙に浸されている。この場に全員が集まったら、再び明け方のような論争が始まるのだろう。

 俺は今、望まない劇の開幕を待っている。


 そんな思考に至ったのと、黒く重たい扉が鳴ったのとは同時だった。想起されたのは幕越しに響く開演のベルだったが、実際の音は大した圧を持っていなかった。


「遅れてごめんなさい」

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