5・観劇と恋情
帝都の大通りは、観劇を終えた観客でにぎわっていた。
ガス灯が並ぶ通りは、馬車と人力車がひっきりなしに行き交っている。
洋装と和装が入り交じる群衆のざわめきは、芝居の余韻そのままに華やかだ。
群衆に混じり、火花は黒革のショートブーツを鳴らしながら、興奮気味に先程鑑賞した喜劇についての感想を語っていた。
服装は濃紺の袴に、白の着物を合わせた華族の娘にしては質素なもの。
横には紺のスーツ姿の雅臣と、いつもの白い詰襟の制服を纏った拓海がいる。
「最高でしたね。役者の顔、真っ赤でしたよ。あの転びよう、見事だったな」
「舞台の上でのあれは計算だぞ。お前は単純だな」
冷静な見解を話す雅臣も、滑稽な役者の姿を思い出したのか、笑いを隠しきれていなかった。
観劇が終わってもなお、仲良く賑やかに笑い合う火花と雅臣を見て、拓海は思わず呆れを孕んだため息をつく。
秋晴れの気持ち良いこの日、拓海は火花と共に雅臣に誘われ、喜劇の鑑賞に訪れていた。
あまり観劇の経験がなく、興味が薄い様子の火花だったが、始まってからは一変。
観衆に混ざり、一際大きな笑い声をあげては、隣に座る拓海を痛いほど叩いていた。
雅臣も立場を忘れて楽しんでおり、皇子と四華族の長女という立場はどこへやったのだと、拓海は口にはしないものの、苦笑いを隠しきれない。
「なんだ拓海、楽しめなかったか?」
「殿下と火花があんまりにも笑うから、ほとんど役者の台詞が聞き取れなかったんです!」
隠しきれない不満が言葉となり滲み出る。観劇なんて初めての経験だったのに、せっかくの機会を台無しにされた気分だ。
「二人とも、少しは落ち着いて観てくださいよ」
ごめん、と軽い謝罪の言葉を火花と雅臣は紡ぐ。
絶対に反省などしていないくせに。
そんな二人の様子に呆れは覚えど、だからといって、今日という一日は決して悪くなかったと思うのだ。
カフェに入ろうと雅臣が言い出し、火花が両手をあげて賛成する。
拓海が何か意見を言う隙さえ与えず、主従は通りにあった店へ足を向けた。
拓海は苦笑を濃くしながらも、二人に続いて歩を進める。
磨き上げられた真鍮のドアノブを回すと、香ばしい珈琲の香りがふわりと鼻をくすぐった。
白いテーブルクロスの上にはガラスのランプがともり、店内は観劇帰りの客でにぎわっている。
洋菓子のショーケースには、苺のショートケーキやクリームたっぷりのシューが並んでいた。
隣の火花が目を輝かせたのを、拓海は見た。
「笑いすぎてお腹が空いてたんですよ」
「俺も。沢山食べよう」
「二人とも、食べすぎないで下さいね」
一言忠告はしてみたが、どうせ意味はない。
諦めてはいるが、小言を挟まないといられない己が滑稽に思えて、拓海は笑いをこぼした。
火花が突然くるりと振り返り、長身の拓海を見上げる。
拓海と、火花の視線が絡む。
動揺を悟られぬよう、拓海は静かな声で、どうしたの、と問うた。
「拓海、奢ってあげる。お詫びね」
「えっ」
「ケーキ一つだけね!」
それだけ言って、火花は再びショーケースに視線を戻し、真剣にケーキを吟味する。
火花の真剣な横顔を見て、拓海は口元を綻ばせた。
胸の奥に走る鈍い痛みには、気が付かないふりをした。
「拓海、弟は元気か?」
賑わう店内でも、決して大きな声ではないのに、雅臣の声はよく通った。
ケーキで頭が一杯の火花には、雅臣の声は届いていないらしい。
「ええ。まあ」
やや間があって、そう答えた声音は、きちんと平静を保てていただろうか。
拓海には三つ下の弟がいる。弟は身体が弱いため、定期的に医師の診察を受けながら生活していた。
拓海の両親はすでに他界しており、弟と二人、なんとか生きてきた。
自身が出世して治療代を稼がなければ、弟の未来はない。
それが分かっているから、学院での差別的な発言など気にしている暇はなかった。
そうやって気負っていることを、おそらく雅臣も火花も感じ取っている。
だからといって、二人が同情だけで自分と交流している訳ではない。そう信じられるくらいには、付き合いが長くなっていた。
身分が高いくせに、そう感じさせない二人のことが、拓海は好きだ。
自分を一人の人間として尊重する二人が好きだ。
雅臣と火花の存在は、拓海にとって大きな存在だった。
存在に、なってしまった。
そのことを、拓海はひどく、後悔している。
「卒業したら医学院に入るんだろ。そしたら遊べなくなるんだから、今のうちに羽をのばしておけよ」
医学院は、帝国内でも特に優秀な医師を育てる機関だ。難関ではあるが、拓海はすでに進学の内定を得ている。
進学すれば、雅臣の言う通り、こうして街へ遊びに出かける時間が減るのは目に見えていた。
「ありがとうございます」
今日の観劇に拓海を引っ張ってきたのは、雅臣なりの気遣いであったらしいと、そこで拓海は初めて気がついた。
心なしか声を落として、雅臣は語りかけた。
「それから、悩みがあるなら言ってくれ。話相手くらいにはなれる」
「……悩みなんてないですよ。心配してくださり、ありがとうございます」
雅臣が何か続けようと、口を動かしかけたが、途中でやめた。
己の顔面に、
拓海は雅臣から視線をずらし、ケーキの選定を終えたらしい火花に顔を向けた。
彼女は全く、雅臣と拓海の会話が耳に入っていないらしかった。
「火花はどうするの? 進路」
「殿下の侍衛になるよ、もちろん」
自信満々に火花は答える。
高等学院を卒業して入隊試験に合格しなければ、正確には雅臣の侍衛を名乗ることは出来ないのだが、もう火花はそのつもりでいるらしい。
最近は帝都周辺でも、物騒なことが続いている。荒事の処理は主に第二皇子である雅臣に任せられており、自然、雅臣の侍衛達には高い戦闘能力が求められていた。
言っておくが、と雅臣が少し芝居がかった声で割って入る。
「いくらお前と言えど裏口入隊はさせないからな、せめて少しは教養を身につけておけよ」
「えっ、筆記試験あるんですか。聞いてない」
「お前みたいな脳筋ばかり入隊するんじゃ困るだろ?」
雅臣が意地の悪い笑みを浮かべる。
入隊試験は冬に予定されているが、火花は試験内容について一切を把握していない様子だ。
焦燥に駆られ眉間に皺を寄せる火花だったが、数秒後には上機嫌になり口角を上げる。
そして朗らかに、雅臣へ告げた。
「殿下、問題教えてください」
「堂々と不正を働こうとするな」
雅臣が噴き出す。
火花は実技はともかく、教養問題の点は期待できない。
いざとなったら教えるのは自分の役目だろう。
拓海は柔らかく口の端を緩めた。
「とりあえず四則演算くらいは間違いなく出来るようになっておけ」
「流石に馬鹿にしすぎじゃないですか」
火花が頬を膨らませる。
年相応の彼女の表情が眩しい。
「近々、卒業試験だろ。剣術の方も大変だろうが、少しは勉強も」
しっかりやれよ、と、雅臣は続けたかったのだろう。
しかし、火花の表情を見て雅臣は閉口した。
黒い瞳が荒ぶっている。唇が引き結ばれ、顔からするすると笑顔が消失した。
卒業試験という単語が、火花に何かを想起させたらしかった。
拓海には容易に想像がつく。
あの紫の瞳を、思い出してしまったのだろう。
「だめですよ殿下、最近火花、紫苑玲のことになると……」
こっそり雅臣の腕を引っ張り、忠告する。
最近の彼女は気が立っている。卒業前最後の実技試験が、すぐそこに迫っていた。
「なに、拓海」
「なんでもない」
「やっぱり奢らないから」
「えっ」
彼女の瞳が、負けん気を煮詰めて
火花のその瞳の輝きを、拓海は恐ろしく思いながらも、綺麗だと感じた。
この場には居ないのに、彼女の瞳を美しく輝かせる彼が、ほんの少しだけ、羨ましい。
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