第20話:定常業務と社交界

 村での一件以来、カナリア商会の事業は、一見すると停滞しているかのように見えた。


 闇金融からは完全に手を引き、農地経営も、今はただ村人たちの自主性に任せ、安定した収穫が得られるのを待つのみ。血と暴力、そして怒号に満ちていたボロ小屋の本部は、嘘のように静かな日々を送っていた。


 だが、水面下では、私の帝国はかつてない速度でその版図を拡大し続けていた。


「……総資産、金貨48,500枚。順調ね」


 帳簿の数字を指でなぞりながら、私は満足げに呟く。主な収入源は、スキル《投資信託》による純粋な資産増殖。農地への投資で目減りした元手はすでに回復し、その総資産は退院してからの数ヶ月で3倍以上に膨れ上がっていた。私の魔力が許す限りの金貨に刻印を施し、それが日々、静かに自己増殖していくのを眺めるのが、今の私の主な仕事だった。


「ナツキ、寒くないか? 火、もっと強くしようか」


「平気よ、モンスーン。あなたは少し落ち着きなさい。さっきから私の周りをぐるぐる歩き回って……目が回るわ」


「そ、そうか? いや、護衛だからな。万が一のことがあっては」


 そう言って、モンスーンはわざとらしく咳払いをすると、本部の入り口に仁王立ちした。あの日以来、彼は私の身辺警護を異常なまでに徹底している。私が入院している時も、一日中病室の前に立ち続けていた。退院してからも一人で街へ出ることはなど論外で、ボロ小屋のトイレに行く時ですら、扉の前で見張っている始末だ。


 その時、私の頭の中に、いつもの明るい声が響いた。


《お客様、お客様! ちょっといいですか! 定期システムチェックで、素晴らしいアップデートを発見しました!》


「何よ、急に」


《はい! お客様の魔力量が、この数ヶ月で飛躍的に増大しているのを確認しました! おそらく、村での一件で一度3ヶ月の入院生活になるほどの無茶をしたのが、結果的に魔力回路の成長を促したみたいです!》


《リスク管理》は、興奮気気に続ける。


《つきましては! これを記念して、スキル《投資信託》の基本利率が、本日より2%から3%に上方修正されました! おめでとうございます! これで資産増加のペースが、さらに1.5倍になりますよ!》


 日利、3%。

 その数字は、私の野心をさらに加速させるのに十分だった。


「……ふふ、いい知らせね」


 私が口元を緩ませた、まさにそのタイミングで、本部の扉が勢いよく開いた。


「戻ったぜ。いやー、今日も街は平和で何よりだ」

 マングルだった。彼はすっかり商会の一員として、今では情報収集の要となっている。


「何か面白い情報はあったの?」

「ああ。いくつかあるが、とびっきりのやつを一つ。どうやら、例の干ばつの影響で、困ってるのは農家だけじゃないらしい」

 

 マングルは、私の机に一枚の羊皮紙を置きながら、プロの顔で続けた。

「街のいくつかの貴族様方も、所有している荘園からの税収が激減して、かなり台所事情が苦しいみたいだ。中には、虎の子の土地を切り売りしようかって話も出てる」


 貴族が、土地を手放す。

 その情報に、私の脳が閃く。農民から安値で買い叩いた土地だけではない。もっと大規模で、価値のある土地を、正当な取引で手に入れる好機。


「……マングル」

「なんだい、会長」

「その貴族のリスト、すぐに作成して。報酬は、はずむわ」


 私の言葉に、マングルは「了解。任せとけ」と楽しそうに指を鳴らし、モンスーンは「また何か始めるのか……」と心配そうに眉をひそめた。




 私の次の投資先は、決まった。

 


◇◇



 ——数日後、私たちはエルドラドで最も煌びやかな地区、貴族街に立っていた。今夜、財政難と噂される子爵家が主催する夜会が開かれる。招待状はない。だが、問題はなかった。


「——はい、どうぞ。カナリア商会の皆様ですね。お待ちしておりました」


 門番は、私がマングル経由で事前に握らせた金貨数枚の効果を遺憾無く発揮し、いとも容易く私たちを中へと通した。資本の前では、家柄や血筋などという無形の壁は、あまりにも脆い。


「うわあ……」

 会場に足を踏み入れたモンスーンが、素っ頓狂な声を上げた。


 彼の気持ちもわかる。そこは、私たちが住むボロ小屋とはまさに天と地ほどの差がある、絢爛豪華な別世界だった。天井からは巨大なシャンデリアが眩い光を放ち、壁には高価そうな絵画が並ぶ。着飾った紳士淑女たちは、優雅な音楽に合わせてグラスを片手に談笑に興じている。


「さて、と。俺はちょっと『市場調査』してくるぜ」

 マングルは、どこから調達してきたのか、執事の制服に身を包んでいた。彼はウェイターの盆を片手に、ごく自然に人混みの中へと溶け込んでいく。彼の仕事は、どの貴族が本当に金に困っているのか、その情報を集めることだ。


 その間、私はといえば、豪華なドレスに身を包んだ令嬢たちを、冷徹な目で分析していた。 (宝飾品は一級品。だが、ドレスの生地は二流ね。あちらの婦人は、宝石は小粒だが、ドレスは最高級のシルク。見栄を張る部分に、その家の台所事情が透けて見えるわ)


《お客様! 市場分析もいいですが、こういう場では人脈形成、つまりネットワーキングが重要ですよ! まずは当たり障りのない会話から関係を構築し、将来のビジネスチャンスに繋げるのです!》

 《リスク管理》が、得意げに解説する。


 その時だった。 「なあ、ナツキ」 緊張した面持ちのモンスーンが、私の前に立った。彼はぎこちない動きで、そっと手を差し出す。


「その……一曲、踊らないか?」


 彼の視線の先、ホールの中央では、多くの男女が優雅なワルツを踊っていた。彼なりに、この場の雰囲気に合わせようとしてくれたのだろう。その健気な申し出に、しかし、私は間髪入れずに首を振った。まるで脊髄反射のように。


「断るわ。今は仕事中よ」




——「ダメよ。その日は株主総会があるの」

 母は淡々とした口調でそう言うと、授業参観の用紙をビリビリと破いた。不参加でも用紙は提出はしないといけないのに。


「え...なんで」

 私は震えながらも母に聞き返した。全てが順調だったはず。富国論のスピーチも歴史的背景と現代経済学の視点から考察と批評を考えた。父は静かだったけど、褒めてくれた。それに、今回の大学模試は全教科満点をとって一位を取り戻した。母は何も言ってないけど、きっと心の中で褒めている。


「なんで...って何? 株主総会よりもあんたの授業の方が価値があるの?」

 母は単純な疑問のような、どこか悪気のある声で私の目を覗き込む。


「わ、私は......母様に...」

 褒めて欲しい。見てほしい。私を認めてほしい。


「はあ。それより、授業参観の用紙を修復したら? それ、提出必須でしょ? 」





 ——私の即答に、モンスーンは子犬のようにしょんぼりと肩を落とし、壁際へと退散していった。


《ああ、お客様! なんてことを! 絶好の恋愛フラグ建築チャンスを、自ら叩き折るなんて! モンスーンさんのエンゲージメント率が急降下していますよ! これは、長期的な関係性における重大なリスクです!》     

 脳内で《リスク管理》が嘆いているが、私は完全に無視した。


 感傷や恋愛にうつつを抜かしている暇はない。私の目的はただ一つ、貴族の荘園を買い漁ることだ。


 私は、集めた情報と自身の観察に基づき、最も効果的なアプローチ方法を計算しながら、静かにマングルの情報を待つ。今夜、この社交界という名の市場で、新たな取引が始まろうとしていた。


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