第14話:市場介入
ペンチの冷たい感触が、私の指先を捉える。絶望が、全身を支配した。
ここまでか。奴隷として生まれ、ようやく自由を手に入れたと思ったのに、最後はこんな薄汚い廃屋で、子供の暗殺者に拷問されて死ぬのか。あまりにも、割に合わない。
《……》
頭の中では、《リスク管理》が完全に沈黙していた。気絶でもしているのかもしれない。好都合だ。最期の瞬間くらい、静かに迎えたい。
私が全てを諦め、固く目を瞑った、その時だった。
ドンッ!!
廃屋の、既の事に腐りかけていた扉が、凄まじい音を立てて弾け飛んだ。
逆光の中に立つ、見慣れた人影。その手には、買ったばかりであろう、真新しい砥石が握られている。
「……ナツキッ!」
モンスーンだった。
彼は一瞬で室内の惨状を理解した。床に転がされ、手足を縛られた私。私の指にペンチを当て、今まさに爪を剥がそうとしている暗殺者。そして何より、金目のものを探すために冒険者たちに剥ぎ取られた、私の無残な姿を。
次の瞬間、彼の全身から、今まで見たこともないほどの怒気が立ち上った。それは、森で魔物と対峙する時の冷静な闘志とは違う。もっと原始的で、激情に満ちた、純粋な怒りだった。
「てめえ……! ナツキに、何しやがるッ!」
血を吐くような叫びと共に、モンスーンはマングルに殴りかかろうとする。だが、その足は寸前で止まった。私の喉元に、再びマングルのナイフが添えられたからだ。
「動くな。動けば、こいつの喉を掻き切る」
マングルは、先ほどまでの人の好さそうな雰囲気を消し去り、再び冷徹な暗殺者の顔に戻っていた。
モンスーンは怒りに肩を震わせながらも、どうにか動きを止める。彼はマングルの姿と、私の裸の姿を交互に見つめ、ギリッと歯ぎしりをすると、心の底からの侮蔑を込めて叫んだ。
「この……変態野郎がッ!!!」
その罵声に、しかし、マングルはきょとんとした顔をした。
彼は私の姿と、自分の持っているペンチを見比べ、そして、何かを深く納得したように、こくりと頷いた。
「……ああ、なるほど。確かに。客観的に見れば、この状況は完全に変態だ」
「なっ……!?」
今度はモンスーンが面食らう番だった。マングルは、こともなげに続ける。
「うん、これは言い訳できない。完全に俺が悪い。ごめん」
そう言うと、彼は私の喉元からナイフを離し、近くに落ちていた汚れた毛布を拾い上げ、私の体の上にそっとかけた。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように、驚くほど優しい。
「風邪、ひかないようにね」
訳が分からない。私を殺しに来た暗殺者が、なぜか私の体調を気遣っている。モンスーンも、あまりの展開に思考が停止しているようだった。
この男は、一体なんなんだ。
毛布をかけ終えたマングルは、満足そうに一つ頷くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、モンスーンに向き直り、その手に再びナイフを構える。その瞳は、三度、プロの暗殺者のものに戻っていた。
「さて。これで、障害はなくなった」
彼の口元に、初めて笑みが浮かんだ。それは、戦いを前にした獣のような、獰猛な笑みだった。
「邪魔が入ったせいで、依頼の遂行が少し遅れてしまった。……迅速に、終わらせよう」
空気が、再び張り詰める。
モンスーンは、私を庇うように一歩前に出ると、腰の錆びた剣をゆっくりと引き抜いた。
少年の怒りは、友を傷つけられたことへの純粋な憤り。
暗殺者の殺意は、仕事を邪魔されたことへのプロフェッショナルな怒り。
モンスーンとマングルの戦いは、静かに、そして熾烈に始まった。
先に動いたのはマングルだった。彼は一切の予備動作なく、滑るように床を蹴り、モンスーンの懐へと潜り込む。その動きは、まるで影。常人ならば反応すらできずに、心臓を抉られているだろう。
キンッッ!
しかし、モンスーンはその超高速の突きを、錆びついた剣で的確に弾いていた。長年の実戦で培われた彼の勘は、殺気の流れを完璧に読み切っている。
「ほう」
マングルが、初めて感心の声を漏らした。
「ただのガキじゃないらしい。面白い」
「お前こそ、ただの変態じゃなさそうだな」
モンスーンは憎まれ口を叩きながらも、その額には脂汗が浮かんでいた。相手の実力は、今まで戦ってきたどんな魔物とも違う。洗練され、最適化された、人を殺すためだけの技術。油断すれば、一瞬で殺される。
そこから先は、まさに息もつかせぬ攻防だった。
マングルのナイフが、変幻自在の軌道でモンスーンの急所を的確に狙う。対するモンスーンは、その全てを最小限の動きで受け流し、弾き、時には紙一重でかわしていく。だが、防御に徹しているだけでは、いずれジリ貧になるのは明らかだった。マングルの手数はあまりにも多く、一撃でも掠ればモンスーンの動きは僅かに鈍くなる。そうなれば、この互角の戦いは一方的な虐殺へと変貌する。
(……まずい)
手足を縛られ、無力に戦いを見つめることしかできない私は、冷静に戦況を分析していた。モンスーンの実力は確かだ。だが、武器の差、そして何より戦術の経験値が違いすぎる。このままでは、モンスーンが負ける。
私が、彼を死なせてしまう。
その考えが頭をよぎった瞬間、再び、胸の奥にあの鈍い痛みが走った。
《——う、うう……。あれ……? その毛布は…?》
その時、沈黙を守っていた私の頭の中で、か細い声が響いた。気絶していた《リスク管理》が、ようやく意識を取り戻したらしい。
(……目が覚めたの。この役立たず)
《は、はい! 申し訳ありません、お客様! その、あまりにも刺激の強い光景でしたので、私の純情な思考回路がショートしてしまいまして……》
どうやら、私が裸で拷問される様子を見て気絶していたらしい。スキルでありながら、妙なところに倫理観があるようだ。......スキルにとって私は魅力的らしい。
《と、とにかく! 状況は把握しました! モンスーンさんが不利です! このままでは我が社の貴重な人的資本が減損してしまいます!》
(わかっているわよ、そんなこと!)
《リスク管理》は、慌てて咳払いをすると、いつもの調子を取り戻して提案した。
《ここは、我々も市場介入すべきです! お客様の強力な魔法で、モンスーンさんを援護しましょう!》
「だから、私にはスライムを痺れさせる程度の魔法しか……!」
思わず声が漏れる。だが、それを聞いたマングルは、ちらりと私に視線をよこしただけですぐにモンスーンとの攻防に戻った。どうやら、私に何かできるとは、微塵も思っていないらしい。その侮りが、逆に好機を生むかもしれない。
私は、マングルの背後に転がっている、あるものに目をつけた。
この廃屋に打ち捨てられていた、錆びてボロボロになった農具の数々。鋤(すき)や鍬(くわ)。鉄の塊だ。
私のスキルは、剣を歪な鉄塊に変えてしまった。ならば、その逆は?
いや、今はそんなことを試している場合じゃない。もっと単純な方法で、介入する。
(リスク管理、計算して)
《はい! なんでしょう!》
(あの男、マングルの足元にある鉄クズ。あれに《投資信託》のスキルを行使する。目的は単純な質量の増加。彼の足場を、物理的に不安定にできる確率は?)
私の突拍子もない提案に、《リスク管理》は一瞬だけ黙り込んだ。だが、すぐに凄まじい速度で計算を始めたようだった。
《……出ました! 成功確率は0.87%! 低いですが、ゼロではありません! やりますか!?》
(やるしかないでしょう!)
私はありったけの精神を集中させ、マングルの足元、その一点に狙いを定めた。
今、この戦いの趨勢は、市場価値ゼロの鉄クズに賭けられた。
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