第10話:旅立ちの法人登記
孤児院での穏やかな日々が、さらに二年という月日を重ねた。私も14歳になり、モンスーンは15歳。私たちはもはや、森を彷徨っていた無力な子供ではなかった。
モンスーンの成長は、目を見張るものがあった。毎日のように森で魔物を狩り、チャードラルの指導で剣の腕を磨き続けた結果、彼の強さは今や、街のギルドに所属する並の冒険者を遥かに凌駕していた。その立ち居振る舞いは洗練され、一撃の重さは大地を揺るがすほど。もはや、彼が腰に差した錆びついた剣は、その実力に全く見合っておらず、私から見れば「初期装備縛り」でもしているのではないかと錯覚するほどだった。
そして、私もまた、私自身の戦場で確かな成長を遂げていた。
夜、皆が寝静まった屋根裏部屋で、私は自作の帳簿を前に口元を緩ませていた。あの日、シスターから貰った銅貨10枚と、モンスーンからの杖。
あの二つの原資から始まった私の資産は、銅貨から銀貨から金貨に、今や金貨にして360枚相当にまで膨れ上がっていた。
スキルの維持に必要な魔力は、もはや拷問の域に達していたが、不思議なことに、あの魂を削るような激痛は薄れていた。代わりに、常に脳を酷使しているかのような、慢性的な疲労感が体にまとわりついている。
どうやら、絶え間ない負荷が私の魔力回路そのものを無理やり成長させ、許容量を増大させたらしい。
「ふふ……見て、リスク管理。この指数関数的な伸び。金貨にスキルを使うようになってから急激に傾きが上がってる。なんて美しいグラフかしら」
私は誰に言うでもなく、帳簿の数字を指でなぞりながら恍惚と呟いた。
《ええ、ええ! 実に素晴らしいです、お客様!銅貨100枚を銀貨1枚に両替し、さらに銀貨100枚を金貨1枚に両替。そして、1枚の金貨に魔力を集中運用。金貨は軽くて価値がありますから、お客様の能力と相性がいいですね! 現在の資産増加率は日利2%のペースを維持しており、このままいけば5年後にはエルドラド王国の国家予算に匹敵する規模となりますね!》
脳内で響く声に、私は満足げに頷く。
「国家予算? いいえ、まだまだ。私の目的は、この世界の経済そのものを掌握することよ」
「……ナツキさん?」
背後からかけられた声に、私ははっとして振り返った。夜食のミルクを持ってきてくれたのだろう、シスターの一人が、入口で固まっていた。彼女は、私がクレヨンの絵が描かれた壁に向かって一人で笑い、話しているのを見てしまったのだ。その目は、何か得体の知れないものを見るように、怯えと困惑に満ちていた。
「あ、いえ……その……」
私がしどろもどろになっていると、シスターは「ご、ごめんなさい!」とだけ言って、慌てて部屋から出て行ってしまった。
翌日から、彼女が私と話す時に、ほんの少しだけ距離を置くようになったのは言うまでもない。
その噂が耳に入ったのか、数日後、チャードラルが私を教会の一室に呼んだ。彼は心配そうな、それでいて全てを見透かすような優しい目で、私に問いかけた。
「ナツキ。最近、君は少し変わったと聞きました。何か、悩んでいることでもありますか? それに……少し、羽振りが良すぎるようにも見えます。この前も、弟や妹たちに高価な本を買ってあげていたそうですね。一体、どうやってそのお金を?」
穏やかな口調だが、その問いは核心を突いていた。下手に誤魔化せば、かえって疑念を深めるだけだ。私は内心で瞬時に損益計算を行い、最もリスクの低い回答を選択する。
私は、困ったように、しかし堂々と微笑んでみせた。
「……チャードラル様には、隠し事はできませんね」
そう前置きして、私は用意していたストーリーを語り始めた。
「実は、モンスーンが、とても強くなったでしょう? 彼が毎日森で狩ってくる魔物の素材……ゴブリンの耳とか、オークの牙とか、そういうものを私が代わりにギルドへ売りに行っているんです。彼はそういうことに関心がないので、私がお金の管理を」
私はそこで言葉を切り、彼の反応を窺う。チャードラルは、私の言葉を聞くと、驚いたように目を丸くし、それから納得したように深く頷いた。彼の視線が、中庭で年下の子供に剣の振りを教えているモンスーンに向けられる。その強さは、チャードラル自身が一番よく知っているはずだ。私の話は、彼の知る事実と矛盾しない。
「……なるほど。そうでしたか。君たちが二人で力を合わせ、助け合っているのですね。素晴らしいことです」
彼は、心底安心したように、父のような優しい笑顔を浮かべた。
「ですが、あまり無理はしないように。何か困ったことがあれば、いつでも私を頼りなさい」
「はい。ありがとうございます」
私は完璧な笑み(私目線)を浮かべて、深く頭を下げた。
取引は、成功だ。
これで、私の事業拡大に向けた最大の懸念事項、**チャードラルの介入リスク**は、当面の間、解消された。
私は新たなステージへ進む準備が、ついに整ったのだ。
——孤児院の屋根裏部屋。それが、3年間にわたって私とモンスーンの生活拠点であり、そして私の秘密の帝国、その司令部だった。壁はモンスーンの落書きで覆われ、あちこちに切り傷が散乱している。ふと、ベットの裏をめくると、私が三年前に書いていた「金貨の風呂に入るナツキ様」が未だにそこにはいた。それを見て、半年ぶりにインデックスファンドの株価を見たような、そんな気持ちになった。 しかし、その歴史も今日で終わる。
「……本当に行くのか、ナツキ」
ベッドに腰掛け、私が荷物をまとめるのを黙って見ていたモンスーンが、ぽつりと呟いた。彼の声には、寂しさと心配が滲んでいる。
「ええ。私たちはもう子供じゃない。チャードラル様やシスターたちに、これ以上甘えるわけにはいかないわ」
私は、ほとんど着ることのなかった(着たのはモンスーンの誕生日だけ)、シスターが仕立ててくれた綺麗なワンピースに着替えながら、きっぱりと答えた。今日は、私の人生における新たな門出。投資家から、起業家へとステージを上げる日だ。みすぼらしい恰好で臨むわけにはいかない。
「でも、外の世界は危ない。それに、金だってそんなに……」
「お金なら、あるわ」
私は懐から、ずしりと重い金貨が詰まった袋を取り出して見せた。それは、私の全資産金貨360枚の一部。当面の運転資金として用意した、金貨50枚だ。 モンスーンは息を呑んだ。彼が必死に魔物を狩って稼いだ金を、私がギルドで換金していると信じ込んでいる彼にとって、それは想像を絶する大金だった。
「さあ、行きましょう。まずはチャードラル様にご挨拶をしないと」
私たちはチャードラルとシスターたちに、「二人で自立したい」という決意を告げた。彼らは驚きながらも、私たちの成長を喜び、寂しそうに、けれど笑顔で送り出してくれた。
「いつでも帰っていらっしゃい。ここは、あなたたちの家なのですから」
「そうですよ。二人が、神のご加護と共に在らんことを.....」
その温かい言葉に、モンスーンは涙ぐんでいたが、私はただ、深々と頭を下げるだけだった。感傷に浸っている暇はない。市場は、待ってくれないのだから。
目的地は、エルドラドの行政を司る市庁舎。冒険者ギルドの隣にそびえ立つ、荘厳な石造りの建物だ。 あたりには剣や杖を携えた冒険者達や、役所の職員が慌ただしく行き交っている。
商会の設立手続きを行う受付窓口で、私は用意してきた書類を提出した。対応してくれたのは、いかにもお役所仕事といった風情の、やる気のなさそうな中年男性職員だった。
彼は書類に一瞥をくれると、鼻で笑った。
「……商会設立? カナリア商会? 嬢ちゃん、ここはままごとをするところじゃないんだ。親御さんを連れてきなさい」
——「ナツキちゃん。保護者の方は...いるかな...?」
私が銀行に通い詰めて4日目のことだった。ダンボールを震える両手で掲げ、両替機に10円玉を流し込んでいた時だった。いつもの職員がやってきた。最初は冷たい人だったが、私が哀れすぎたのか、徐々に話しかけてくるようになった。学校のカウンセラーさんみたい。
「...いません」
私は静かに振り返ると、小さな声でつぶやいた。大きな声で喋ると、すぐに聞かれるから。
銀行には私を見物に来た子供が群がり、列すらできていた。私の後ろを通ると、高確率で10円玉の配当をもらえる。それが噂となって学校中に広まっていた。
「でも...ナツキちゃん...? こんな大金、どうしたのかな? 親御さんの頼み?」
職員は親しげに笑い、顔を覗き込んできる。みんなそうだ。私は、みんなと違うのに。何もおかしくないのに。
「......私の資産です。邪魔しないで」
私は10円玉を握った手で職員を払いのけ、再び両替機と向かい合った。もう、誰も話してはこなかった。
——子供の悪戯だと決めつけ、手をひらひらと振って追い払おうとする。典型的な、前例主義と固定観念に縛られた人間の反応だ。
私は何も言わず、後ろに控えていたモンスーンに目配せをした。彼は私の意図を察し、一歩前に出る。ただそれだけで、空気が変わった。長年の実戦で鍛え上げられた彼の気迫——殺気とは違う、純粋な強者の圧力——が、狭いカウンターを支配する。
「ひっ……」
職員の顔が、わずかに引きつった。
《ナイスです、モンスーンさん! その威圧感、まさに市場における独占企業のプレッシャーそのもの! 交渉を有利に進めるには、まず相手を心理的に圧倒することが重要ですからね!》
脳内で《リスク管理》が興奮気味に解説する。その分析は正しい。だが、まだ足りない。
私はダメ押しとばかりに、懐から金貨50枚が入った袋を取り出し、ドン、とカウンターに叩きつけた。重々しい金属音が、静かなフロアに響き渡る。
「これで、手続きは可能かしら?」
《えっ、お客様!? なぜ叩きつけるんですか!? 普通に置けばいいじゃないですか! 相手を威圧するのと、物理的に威嚇するのは違いますよ! それ、ただのチンピラのやり方ですって!》
《リスク管理》の悲鳴のようなツッコミが脳内に響くが、効果は絶大だった。 職員の目は金貨の袋に釘付けになり、先ほどの気迫と目の前の金の力で、完全に思考が停止している。
彼は数秒間、私とモンスーン、そして金の袋を交互に見た後、慌てふためいて引き出しから申請用紙の束を取り出した。
「か、可能でございます! もちろん、可能でございますとも! カナリア商会様ですね! ただいま、設立手続きを開始させていただきます!」
その日の午後、私の最初の会社、「カナリア商会」は、驚くほどの速さで正式に設立を認められた。 資本主義の女神は、時に暴力的なまでに、その信奉者に微笑むのだ。
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