第3話 離宮の暮らし

「わぁ……素敵っ」


 リラにお仕着せを試着させてもらって、思わず吐息を漏らしてしまう。

 お仕着せ……支給される制服だから、地味で味気ない服かと思っていた。でも、離宮の青いタイルに似た、澄んだ青い色のドレスに銀糸で刺繍がされている美しいデザインなのだから、びっくりだ。

 アランが言っていた書記官の位の高さを、こんなところで実感してしまう。

 鏡の中の、ちょっと大人っぽい自分に笑みが溢れる。


「少し胸は緩めて、ウエストは詰めておきますね」


 女子としては、誇るべきお直しだろう。白いストッキングと手袋、皮のショートブーツまでがお仕着せ。下着やガーターは見えない部分だから、お好みで良いらしい。

 サイズを合わせて、すぐに試着するから、下着にガウンを羽織ったままソファで待ってる。

 与えられた部屋も、官舎とは思えないくらいに広い。昨日まで暮らしていた自分の部屋より広いくらいだ。

 天蓋付きのベッドにドレッサー、クローゼット、机にテーブル等々。ちゃんとランプはあるけど、油の使用量はまだ不明。……実費なら、可能は限り注ぎ込むよ。

 カーテンなどの彩りは、この離宮らしく青系統で統一されている。

 居室の他にバス、トイレ。リラが住む侍女の部屋まで着いてる。とても狭いけど、個室に喜んでいたのは善き。

 トランク四つ分程度の荷物は、すぐに片付いてしまった。

 お休みの日とか、外出できる頻度とか、買い物の仕方とか、これからの暮らしを確かめながら、必要なものを買い揃えていけば良いだろう。……まずは働かないと、お金ももらえない。

 うん、お直しの結果は良い具合。

 働き者のリラは、すぐに着替えの分のお直しを始めた。

 その小さな背中を眺めながら、いろいろ話を聞いてみる。私はまだ、この娘のことを何も知らない。


「神殿の孤児院で育てられました。生まれて間もない頃に、孤児院の前に捨てられていた……良くある話です。だから、両親の顔も名前も知りません。この肌の色を見れば、知らなくて幸せなのかも知れませんけど」

「ごめんなさい。言いたくないことを言わせてしまったみたい」

「構いません。知って置いていただいた方が楽です」


 背中を向けたままのなので、表情は見えない。

 でも、指先は休みなく動いて、糸と針を操っている。


「孤児院に募集が来て、洗濯室で働いていたのですよ。繕い物とかも出来るということで、マール様の侍女に選ばれました」


 簡単に言うけれど、それはとんでもなく凄いことではなかろうか?

 私の実家の使用人は人数が少ないから、職務分担はなく、手の空いた人にやってもらう。でも、この離宮くらいに人が多ければ、専業になっての役割分担は当たり前。それも、汚れ物を扱うし、技術もあまりいらない洗濯室のメイドは、使用人の中でも最下層扱いのはず。

 そこから一気に侍女にまで抜擢されるって、仕える相手が私程度だと差し引いても大出世だろう。

 ひと目見て解る異国人との混血というだけでも、大きなハンデだろうに。

 外国に開かれている港街のポルトレですら、混血児に偏見は強い。


「夕食は、いかが致しましょう? こちらで召し上がることも、食堂で召し上がることも可能ですが?」

「食堂って?」

「ソラージュ様は書記官ですので、上級官食堂を利用することになります。大テーブルを共有する形で……主に職員同士の情報交換の場として使われているようです」


 うーん。顔を見合わせてしまう。

 まだ、誰も知り合いがいない上に、交換する情報も無い。


「……夕食は、こちらに致しますね」


 それが妥当、かな。

 時間になったら、キッチン・メイドが銀色の配膳ワゴンを運んで来てくれた。

 実際の給仕は初めてだと、リラは緊張気味。

 味は美味しいのだけれど……量が多いっ。我が家の食事量って少なかったのかな?

 いつもの二倍くらいの量がある!

 父が若い時に苦労してきたせいか、食事は粗末にするなと言われて育ってきた。……頑張って食べる!

 完食……したけど、そのままベッドに倒れ込む。

 緊張していた疲れもあったのか、そのままふっと意識が途切れてしまった。


     ☆★☆


 リラはとっても偉いと思う。

 眠っている私を着替えさせただけじゃなく、お風呂代わりに身体まで拭いてくれていたらしい。

 その後も時間ギリギリまで寝かせてくれていて、寝起きでポヤポヤしている私の髪まできちんと仕上げて、着替えもさせてくれた。

 マジ有能すぎる。……駄目な主でごめんね。

 お腹がまだ重くて、朝食なんて食べられない。

 疲れた顔をしているリラが後ろから小声で指示してくれたおかげで、何とか指定時間ちょっと前に書記官室にたどり着けた。

 このドアから先には、リラは入れない。見送られて部屋に入ると、カーテンの向こうに案内された。


「ここから先は、お着替えが必要になります」


 などと言われ、前後をカーテンに遮られた小部屋で、せっかく着付けてもらったお仕着せを三人がかりで脱がされる。お仕着せばかりか、ビスチェやパンツまで、全部……。夕べの食べ過ぎで、まだお腹がぷっくりしてるのが恥ずかしい。

 再び着せられた下着は、私が離宮に持参した私物。そこに袖の膨らんだ水色のシンプルなドレスを着せられた。更に肘の上まである、絹の白い長手袋も。

 これは、筆記作業用の服だそうな。長手袋は、インクで袖を汚さぬ為の物。


「物の持ち込み、持ち出しが無いように、出入室の際は着替える決まりとなっております」

「厳重なのですね……」


 苦笑して、頷くことしか出来ない。

 カーテンの向こう。ドアを開かれた書記官室は、眩しいくらいに光に満ちていた。

 南に向けて、大きなガラス窓が備えられているだけでなく、大きな天窓もガラスが張られている。初秋とはいえ、目映いポルトレの街の陽射しを、残らず取り入れた部屋だ。

 眼を細めて見る部屋の中。毛足の長い青い絨毯を敷き詰められた部屋には、磨き抜かれたオーク材の大きな机が二つづつ、少し間を置いて二列に並べられている。机の上には斜めに傾いた書写台。

 本棚が無いのは、陽光が入り過ぎるからかな? 光は本には毒だけど、手元は明るそうで、本当に文字を書く為の部屋みたいだ。


「あら? あなたが新人さんね」


 後列の左の机から、ゆったりと先輩が立ち上がる。

 とろりとした蜂蜜色の髪が、肩口から流れるように溢れた。同じシンプルなドレスを着ると、素材の差がはっきりと出ちゃう。

 ボリュームたっぷりの柔らかそうな曲線が、我が儘過ぎるくらいドレスの中から主張してくる女性だ。下の姉と同じくらいの、多分私より三つか四つ上の年齢。


「ようこそ、書記官室へ。私はキャサリン・ブルックラディ、キャスって呼んで下さいな」

「マール・ソラージュです。よろしくお願いします」


 仕草がいちいち大人の女性で、羨ましくなってしまう。

 キャサリンがそっと身を寄せると、露草の香りがした。


「官舎の暮らしはどう? お食事は口に合ったかしら?」

「食事はとても美味しかったです。ただ、量がもの凄くて……皆さん健啖家なのですね」


 私が答えると、悪戯な子猫のようにキャサリンが面白そうに笑う。

 な、何か失敗したのかな……私。


「やっぱり、習慣の違いなのね。……ここは離宮だから、いろいろな作法が貴族のやり方になっているの。あなたは夕食を自室で摂ったでしょう?」

「はい。まだ知り合いもいなかったので」

「自室で食事を摂る際には、侍女の分も込みになっているのよ。主人の食べ残した分が、下げ渡しとして侍女の食事になるの」

「えぅ、そんな……食べ残しが食事だなんて」


 なんだか酷いと感じてしまう。

 一人で食事する方がつまらないから、給仕するより、向かいの食卓に座って欲しいとさえ思うのに。


「名前が特徴的だから、ソラージュ商会のお嬢さんね。比較的自由な町家と違って、貴族式が罷り通る離宮だもの。そのやり方に慣れていただくしかないのよ。あなたの部屋だけ町家式だと、侍女が余所で使い物にならなくなります」

「あ……気をつけます。でも、私はまだ貴族式というのを良く知らなくて……」

「不思議に思うことは、侍女にお聞きなさい。ちゃんと学んでいるはずだから」


 食事量の多さなんて、気づかなきゃいけなかった。

 昔のようにコルセットでぎゅうぎゅう締め付けたりはしないけど、ビスチェも決して緩くは作らない。

 うら若き乙女の食事量じゃ無いと思ったら、確認しておかなかったのは、私の失敗。食欲も少しは抑えなさい、マール!

 反省しきりの私を見て、キャサリンは花のように笑った。


「本当に知らなかったみたいで、安心したわ。メイ……私の侍女が、あなたに侍女が虐められているのじゃないかって心配してたのよ。夕食抜きで、辛そうにしてたと」

「あ……どうしよう。私はお腹が重くて、朝食を摂らなかったから……リラはお昼まで食事抜きになっちゃう?」

「安心なさい。夕べはマフィン一つしか渡せなかったけど、朝食を摂らなかったなら、そのまま下げ渡しになっているもの」

「良かった……でも、マフィン、ありがとうございました」

「メイが心配してたから。同じ孤児院の出で仲が良いし、リラは……いろいろ、虐められがちだから」


 私に虐められて、夕食抜きにされたと思っていたのかな?

 それなのに、ちゃんと私を着替えさせて、身体まで拭いてくれて……本当に申し訳ない。

 後でちゃんと謝っておこう。

 いつの間にか、もう一人の女性も入室しており、最後にアランも入ってきた。


 今日から、書記官としての暮らしが始まる。

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