お納め下さい、おキツネ様!

ノヒト

第1話:おキツネ様の言うとおり



――僕の部屋には神様が住んでいる。



――――――――――


 高校二年生。

 若く、希望に溢れ、正にアオハル真っ只中。

 なんて。思われてるんだろうな。

 恋に夢に奔走するようなキラキラした学校生活。

 私生活もそれこそ充実していて……、


 溜息を一つ。無い物ねだりはやめよう。


 キラキラと輝く妄想から現実に戻ってきたが、目の前には憂鬱の原因であるプリントが一枚。

 それから逃げるように視線を動かした先には、鏡に写った僕の顔があった。

 黒髪、黒目、ぼんやりとした印象を与える髪型。至って普通な十七歳の男子学生が其処に居る。

 ただ、その表情は重く心労に疲弊してるようにも見えた。


「進路かぁ……」


 溜息をまた一つ。

『具体的でなくて良い。せめて進学か就職か決めて提出しろよー?』

 と、面倒くさそうに投げ掛けていた担任の顔と声が思い浮かび、思わず肩を竦めた。


「そんなの、この紙切れ一枚で決められないって……」


 両親ともに平凡な会社員、自営業でも農家でもない。

 継ぐべき物があるとしたなら、父が無理して購入した夢のマイホーム死ぬまで続くローンってやつくらいだろう。

 僕が辟易としていると、不意にピンポーンとチャイムが鳴り響いた。


「宅配か? 何か頼んでたっけか……」


 そっとモニターに近寄り、玄関先の映像を映し出す、が、誰もいない。


「ん? イタズラ、か?」


 眉をひそめ、勉強机に戻りかけたその時、再度インターホンのチャイムが鳴った。

 モニターを見るも…、しかし、そこには誰も映っていない。が、


 ピピピピピピピンピピピンピンポーン。


「連打されてるっ!? おいおいおい、心霊現象……?」


 ゾワゾワっと肌が粟立ち、ソロソロと、ドアに近づく。足音を忍ばせて一歩、一歩。

 その時、コンコン、とドアがノックされた。


「ヒッ……」


 悲鳴にも似た声を無理やり飲み込んで、ドアについたレンズを覗いた。


 やはり誰もいなーー、

 ドンドンドン!!


「……ッ!!」


 殴りつけるような激しいノック音。

 早まる心拍と荒ぶる呼吸と脂汗を感じながら、ゆっくりドアノブに手を掛ける。

 バーロックがかかっていることを確認して、ほんの少しだけドアを開けた。


「やっと開けおったか! 遅いぞ!!」


「…………?」


 声がしたのは、足元だった。


「来てやったぞ! 感謝するのじゃ! この下僕が!」


 可愛らしい顔立ちに、クリクリとした大きな金色の瞳。

 同じく金の長い髪は緩やかに光の輪を抱きながら弧を描いている。

 神社の巫女さんが着ているような白衣に緋袴という格好、だったが…それ以上に頭の狐耳と、尾骶骨のあたりから生えているふさふさの尻尾らしき物の主張が激しすぎる。


 一見、コスプレをしている少……いや幼女?

 というより、情報が多すぎて処理しきれない。


「悪質な宗教勧誘はお断りしてまーす」


 バタン。と。

 僕は現実から目を背けた。

 三十六計、逃げるに如かず。とはこの事だ。


「待つのじゃ! 下僕とか言ってごめんて!! 入れておくれよぉぉぉぉ!!」


 途端、ドンドンドンと再度ドアを叩く音と共に半泣きの声が廊下中に響き渡る。


「あの、家、間違ってません? ハロウィンって時期でもないし」


「はろいん? が何か知らんが、家は合っとる! お主で間違いないんじゃってばぁぁっ!!」


 渋々ドアを開けると、先ほどと同じ場所に半泣きのそれが立っていた。

 見間違いじゃなかった。さっき見たとおりだった。


 しかし……。


 可愛らしい見た目の狐耳巫女装束コスプレ幼女? が半泣き……。なんだこの罪悪感は……。

 ともすればその罪悪感によって全てを受け入れてしまいそうになる自分の思考に鞭打って、無理矢理に言葉を紡ぐ。


「いや、僕、キミのこと知りませんし…帰ってもらっていいですか?」


「ほう……? このまま『ごめんなさい、入れて下さい』とワシが泣き叫んでいたら困るのはどっちかの? それとも『お父さん』もつけようかの?」


 態度を一変、イタズラじみた表情でニヤリと微笑む彼女。

 背筋に冷たいものが走った。


「……なん…ですって…」


 それはヤバい。

 冷静に考えたら高校二年生に六歳程度の子供がいる訳が無いのだが、ここに住んでないはずの僕の父親の世間体は一瞬でLPをゼロにされた上に死体蹴りされてもおかしくない状況になってしまう。


 都内の安いボロアパートとはいえ、ご近所さんというものは存在する……。噂話の全身にヒレがつきまくってしまうのは自明の理。……ならば。


 面倒な事になる前に、一度保護してから隙を見て警察に連絡しよう。そうしよう。自分のために……。


 僕は溜息を吐き、バーロックを外して渋々「どうぞ」と彼女を迎え入れた。

 それを見て身を滑り込ませるように玄関に入り込む幼女。

 そしてまじまじとそこから見える範囲をぐるりと眺め――、


「うむ、よし、ここをワシの分祀とする!」


 形の良い小さな手を出し、顔の前で合掌したと思いきや、


「『はらえ』」


 パァンと澄んだ柏手の音が部屋中に響き渡り、よくはわからないがモヤついた空気や感情までもが澄み渡るような、そんな気がした。


「今……何を」


「祓ったのじゃよ。色々悪いモノの気もあったのでな」


 一瞬だけだが狐耳巫女装束コスプレ幼女の輪郭を覆うように白く清浄な光が取り囲んでいるようにも見えた。


「あれ、キミ髪が……」


「あぁ、久方ぶりに大きく力を使ってしもうたからなぁ」


 先程までの煌びやかな金の髪が、わずかにくすんでしまっているように見えた。


「ま、些末な事じゃ。ほれ、分祀の神にお茶くらい出さぬか。酒でも良いがな?」


「……神?」


「あれ? 言うとらんかったかの? ワシは見ての通り狐神、古よりの神の一柱じゃ!!」


――――――――――


「しかもそのまま僕の事を脅して居座りましたからね……」


「ははっ! そんな事もあったのう。あれから一週間くらいかの? だいぶ神の使いの仕事も板についてきたようじゃなぁ」


 やや鋭い犬歯を覗かせつつケラケラと笑いながら言う狐神に、苦虫を噛み潰したような表情を返す。


「しかし、脅すなんて神聞きが悪いのう。この部屋の邪気を神自らの神気で祓ってやったと言うに」


「いや、訪問の仕方がホラーだっつってんですよ。何ですかあのインターホン連打とドア殴ってくる感じ」


 二礼二拍手の後、狐神の前に置かれたポップな色合いの折り畳みの踏み台の上に焼き魚と白米、お茶を載せ、再度一礼。

 それを受けた狐神は「うむ」と嬉しそうに微笑んでから、小さな口でもきゅもきゅと魚と白米を交互に楽しんでいる。


「そもそもですよ。『神と人は同空間に存在するにも関わらず、異相状態にあるから触れられない』って自分で言ってたじゃないですか。インターホンとかドアとか、物理的に触れられないのに触れてるし、今なんか飯食ってる訳ですよね?」


「お、よく覚えとったな、偉い偉い」


 正直、見た目が狐耳巫女装束コスプレ幼女から偉い偉いと褒められている高校生ってどうなんだろう。


「インターホンとドアは神力を使って物理干渉したんじゃよ。食事に関してはこうやってお主に『奉納』してもらえたから異相を超えて干渉することが可能になっておる」


「折り畳み踏み台を奉納台の代わりにするなんてなぁ……」


「なぁに、奉納する物が乗ればいいんじゃよ」


 そこまで言われて、はたと気が付く。


「貴女の本当の目的って実は聞いてませんでしたよね。……ご飯が食べたいだけって訳じゃないでしょう?」


 それにあの時彼女は『分祀』という言葉を使っていた。

 これは神社や、そこに住まう神の魂を分けて、神社そのものを分社すると言うような意味合いがあったはずだ。

 そこから導き出せる仮説は幾つかあるのだが……。


「いんや、旨い飯が食いとうなっただけじゃよ」


 ずずず、とお茶を飲み、ほふぅ。と幸せそうに息をつく。


「ヌシの先祖たちからひどい目にあわされた腹いせ、と前に話したじゃろう? それに、こんな可愛い神様が来てやったのだ、ヌシも嬉しくて仕方あるまい?」


 ニタァっと微笑んで言う狐神に思わず半眼になる。

 このおイナリがこういう顔をしている時はこちらをおちょくって居る事が多いということはこの一週間でだいぶ分かって来ていた。


 よろしい。ならばこちらも交渉のカードを一つ切らせてもらおうじゃないか。


「へぇぇ、そんな事言ってもいいんですか?」


「ぬ?」


「老舗寿司店の月影さんのおいなりさんが手に入ったんですけどねぇ……」


「なっ!? なんじゃと!? それはこの前『てれび』とやらで紹介されていたあの旨そうなやつかっ!?」


 ジュルリ、と思わず口元に溢れる液体をこらえる狐神。


「あぁ、今神様はお食事なされたばかりでしたね、失敬失敬。ではこれは僕が責任をもって処分しておきますので――」


「は、早うそれを神棚に奉納するのじゃ! 奉納せねばワシ触れんじゃろが!!」


 明らかに狼狽する狐神に内心ほくそえみつつ――


「あ、大丈夫ですよ? 僕はまだ朝食、食べてないので」


「このっ! 使いの分際でっ! かくなる上は狐火で焼き払ってヌシの命ごと食ろうてやろうか!!」


 明らかに焦りが見える。

 強い言葉を使っているようだが、見た目が子供なのも相まってぜんっぜん怖くない。それどころか可愛らしささえ感じてしまう。


「そんな事したら、おいなりさんは食べられなくなっちゃいますよねぇ?」


「あ、あうぅ……、せめて一口。一口で良いからおくれぇ……」


 大きな瞳に涙すら浮かべつつ嘆願する神……。神様でいいのか……?

 見た目だけで言うなら子供をいじめているみたいで途轍もない罪悪感すら覚えるのだが……。


「ここに来た目的とか理由とか何で僕なのかとか、全部話してくれますよね?」


「ぐぬぬ……。いや、それは、まだヌシに話しても理解できる訳が、いやしかし」


「おやつにチョコパイもつけようと思ってたんですけどねぇ」


「話すっ!!♪」


 ちょろい。


――――――――――



――これは、幸せそうにご飯を食べる狐神と僕の、もう戻らない過去のお話。



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