第30話 臆病者の覚悟と、戦闘狂の盾と、反撃の狼煙と

 死が降ってくる。


 霧幻の狩人ファントム・ストーカーの赤い双眸が、フィンの恐怖に見開かれた瞳に死の宣告のように映り込んでいた。

 リアムの絶叫もアッシュの焦りの声も、全てがスローモーションのように遠ざかっていく。


(……ああ、僕はここで……)


 フィンは死を覚悟した。今まで何度も夢想してきた、無力で惨めな自分らしい最期。

 だが。

 その死の爪がフィンの背中に届く寸前、彼の目の前に血の匂いをまとった深紅の影が割り込んだ。


「――させるかよ」


 クロエ・バーンズだった。

 ガキンと肉を裂くよりも硬質な音が響く。

 クロエは二本の短剣を交差させ、狩人の必殺の爪を正面から受け止めていた。

 肩から血を流し息も絶え絶えのはずの彼女が、信じられないほどの速度でフィンの元へと駆けつけ、その小さな身体を庇うように盾となって立ちはだかったのだ。

 獣の感――とでも言えばいいのだろうか。

 リアムやアッシュですら予想し得なかった敵の動きに彼女だけが反応していた。


「ぐっ……」


 凄まじい衝撃に彼女の足が地面にめり込み、口から苦悶の呻きが漏れる。


「お、重てえ……」


 だが彼女は倒れない。

 その両足はまるで大地に根を張ったかのように、決して後ろへは下がらなかった。


「!」


 狩人の赤い双眸が初めて驚愕の色に揺らめいた。

 第二騎士隊の連中はただ恐怖に駆られ、我先にと逃げ惑い、そして一人ずつ狩られていった。

 逃げ惑い恐怖に怯えていたあの連中の中には仲間を庇う者などいなかった。

 故にクロエの動きは狩人の計算には存在しなかった。

 そしてその計算外の行動が生み出したほんの一瞬の硬直。

 その千載一遇の好機を、この部隊の指揮官が見逃すはずがなかった。


「――今だ! フィン!」


 リアムの声が雷鳴のように響いた。

 それは命令ではなかった。信頼だった。

 お前ならやれるはずだ、と。


 フィンはハッとした。

 目の前で自分を庇い、血を流しながらも仁王立ちになっているクロエの背中。

 遠くで自分を信じ、全てを託してくれた隊長の声。

 フィンを助けるために神速を飛ばしてこちらへ向かってくるアッシュ。

 そうだ。僕はもう一人じゃない。


(みんなの期待に応えなきゃ!)


 フィンの瞳から恐怖の色が消え失せた。

 代わりに宿ったのは覚悟の光だった。

 彼は杖を握りしめる。

 詠唱は既に終えてある。

 みんなが作ってくれたこの一瞬のために。

 彼の身体から、今まで溜め込んでいた膨大な魔力が奔流となって溢れ出した。


「喰らえぇぇ」


 フィンの叫びと共に彼の杖先から極大の雷の槍が、霧幻の狩人ファントム・ストーカーの身体にゼロ距離で放たれた。

 それはもはや魔法とは言えない純粋な破壊の意志そのものだった。


 狩人は至近距離からの魔力放出に回避が間に合わない。

 雷の槍は狩人の霧でできた身体を、内側からまばゆい光と共に焼き尽くした。


 キシャァァァァァァァ。


 今まで聞いたこともない甲高い断末魔が森に響き渡る。

 そしてその断末魔を最後に霧幻の狩人ファントム・ストーカーの身体は雷光に焼かれ、その輪郭を保てずに黒い霧となって霧散していったのだった。


 ◇     ◇     ◇


 後に残されたのは完全な静寂と肩で息をする四人の騎士だけだった。

 クロエは肩の傷を押さえながら、その場にへたり込んだ。

 フィンもまた魔力を使い果たし岩の上に座り込んでいる。

 その二人にアッシュとリアムが警戒を解かずに歩み寄った。


「……やったのか?」


 アッシュが信じられないといった様子で呟く。


「ああ……」


 リアムが掠れた声で答えた。


「俺たちの勝ちだ」


 その言葉が彼らの勝利を確かなものにした。


「……おい弱虫くん。やるじゃねえか」

「ひゃ、はい。……あ、ありがとうございます、クロエさん」


 フィンは泣きながらも、最高の笑顔で答えた。

 リアムはそんな仲間たちの姿を静かに見つめてから俺がいるであろう後方に向かって、小さくな声で呟いた。


「……マスター。助言、ありがとうございました」


 見事だ。実に見事な戦いだった。

 だが、俺のゲームの知識は、まだこの戦いが終わっていないことを知っている。


 ゲームにおいて霧幻の狩人ファントム・ストーカーは、一度倒されても完全に消滅するわけではない。霧がある限り奴は何度でも再生するのだ。

 俺が彼らに警告を発しようとした、その瞬間だった。

 霧散したはずの黒い霧が再び渦を巻き、先ほどよりもさらに濃密な邪悪な気配と共に、複数の赤い光がその霧の中からゆっくりと姿を現し始めていた。


「嘘……だろ」


 リアムの顔から血の気が引いた。


「……一匹じゃなかったのかよ」


 アッシュが悪態をつくように呟き、絶望が再び彼らの心を支配しようとしていた。

 本当の悪夢はまだ始まったばかりだった。

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