第16話 授業参観の朝

 ざわざわざわざわ


 その日、綾瀬川ダンジョン学園は騒がしい朝を迎えていた。


 キキイッ


 何台もの高級車が学園の駐車場に入って来たかと思うと、学園長を始めとした学園の幹部が出迎えに走る。学生たちは教室での待機を命じられたようで、教室の窓から興味深げにこちらを覗いている。


「だ、大臣レベルの出迎えじゃねえか」


 私立綾瀬川ダンジョン学園は全国に設立されたダンジョン学園の中でもトップクラスの名門校。時の政権のダンジョン担当大臣や、重鎮議員が視察に来ることもしばしばで、陛下の行幸を賜ったこともある。


 ザザッ


 ひときわ大きな黒塗りのリムジンが止まると、十人以上のSPが周囲に列を作る。


「綾瀬川グループはAランク以上のダンジョン生成者だけでも百人以上が所属。日本のダンジョン素材の過半数を握り、政権にも多大な献金をしていますからね。むしろ今回の授業参観は急遽決まりましたから、これでも控え目かと思われます」

「マジですか……」


 俺の21年の人生で、まったく縁のなかった世界である。ともに加恋の背後に立つ美崎さんの服装は、いつにも増してきっちりしておりまるで映画の登場人物のようだ。


「そろそろお父様、お母様が降りていらっしゃいます。準備を」

「お、おう」


 加恋の横顔はこわばっており、いつもの余裕が感じられない。


(無理もないか)


 結局、この10日間で加恋のダンジョン生成者能力は……発現しなかった。


「お館様への挨拶が終わったら、例の件の準備をお願いします」

「りょ、了解です」


 どうやってこの難局を乗り切るか……偽装工作は美崎さんが考えてくれているらしいが、不安は尽きない。


 カシュッ


 そうこうしているうちに、黒塗りリムジンの扉が上方に開いた。超高級スポーツカーのようなアレである。


 ざっ


 張り詰めた緊張感を感じながら、俺は加恋の後ろで膝をつく。

 今日の加恋は制服の上に儀礼用だろうか? 紺色のマントを羽織っており、魅力的なデカケツを拝む事は出来ない。


「…………」


 まず現れたのは、白スーツを着た大柄な中年男性。

 白髪の混じった頭髪をオールバックにしており、腹はでっぷりと膨らんでいる。

 不機嫌そうに葉巻を咥えたその姿は、見事な悪人面であり、先日俺がレストランで応対した男に間違いない。


「ふん、出迎えが少ないな。それに学園長。なんだその安物の腕時計は。我を出迎える気があるのか?」

「め、滅相もございません! これはスイス製の……」


 げしっ


 姿を現すなり、学園長に因縁をつけ蹴りを入れている。

 相変わらず傍若無人。反社にしか見えない。


「おい、もう出てきていいぞ」


 かつんっ


 ヒールの音を響かせ降りてきたのは、くすんだ赤毛の中年女性。

 彼女も先日のVIPレストランで見た顔だ。

 その時は派手目のスーツを着ていたが、今日はシックなダークスーツを身に着け、白いカクテルハットを被っている。


 だが、彼女の視線はせわしなく周囲に向けられ、何か余裕のない印象を受ける。


「早くしろ、ウスノロが!」


 ばしっ


 もたもたしている女性に苛立ちを覚えたのか、加えていた葉巻を女性の足元に叩きつける加恋の父親である驕司氏。


「も、申し訳ございません」


 慌てて地面に落ちた葉巻を拾い、バッグに収める女性。


(え、ええぇ?)


 いきなりギスギスした夫婦喧嘩(?)を見せられるとは思わなかった。

 うちのオヤジなんて風来坊だがオフクロに対してはラブラブで、その結果俺は8人兄弟姉妹の長男となったワケだが。


「まったく、我が時間を割いたのだぞ! きちんと準備しておけ!」


 ぺっ


「……それで、お前。こいつが?」


 加恋の母親であるラヴェンナさんの目前に唾を吐いた中年男性が、加恋の前に立つ。娘を名前で呼びすらしない。


「はい。わたくしの覇道の礎とするため、使用人として雇ったオミチ・トラでございます」


 マントの裾を掴むと、恭しく一礼する加恋。

 ……だからタイガだって。


「トラ、こちらがわたくしの父である綾瀬川 驕司(あやせがわ きょうじ)と綾瀬川 ラヴェンナ(あやせがわ ラヴェンナ)です」

「お目にかかれて光栄にございます。加恋お嬢様の使用人を拝命しましたオミチ・トラと申します」


 事前に加恋と打ち合わせした通り、地面に額がつきそうなほど深々と礼をする。さすがにこの状況で俺の名前を間違ってますよと指摘する勇気はない。


「……ふん、何だコレは。ただのドブネズミではないか。どうせ卑しき出自なのだろう」

「本当ですわ。それに酷い匂い……ネズミも狩れない汚れた虎という事ですか」

(!?!?)


 どうやら二人は俺がVIPレストランで給仕をした男とは気づいていないようだ。

 それどころか見事な夫婦コンビネーションで、失礼……というレベルじゃない罵声が飛んで来た。


 臭いのはアンタがポイ捨てした葉巻がラヴェンナさんのバッグに入っているからで、そもそもついさっきまでアンタらケンカしていただろう?


「い、いえっ! トラはこんなでもお弁当に入っているセロハンの草くらいには役に立つ存在なのです!」


 そして加恋、フォローしてくれるのは嬉しいけど君もたいがい失礼だな。まあ、加恋の畜生発言はまだ可愛げがあるからいいけど。


「まあいい。一向にダンジョン生成能力を発現しないお前に呆れかえっていたところだ。少々面白い素材を送って来たから視察してやるが、我を失望させるなよ? お前の為に商談を一つキャンセルしたのだ」

「…………はい」


 うつむきながら、父親の後に続く加恋。

 加恋の大きな目には、うっすらと涙が滲んでいる。


(コイツ……!)


 密室であるVIPレストランではなく、周囲の目がある公共の場でも娘に対する態度を改めるつもりはない。

 驕司氏に目にモノを見せてやる。俺はそう心に決めるのだった。

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