刃渡り4センチのカワイイ

 友人の背中に紐が垂れていた。


 おもちゃによくある紐。引っ張れば録音された音声が流れるそれによく似た紐。何気ない会話を続けていた時に見つけてしまったもんで、紐ばかり気になって会話に集中出来ない。


「あれ? 前髪切った? いい感じじゃん」


 誰かがそう言い始めた。そして周りにいた人の背中にあった紐がグンっと伸びる。次の瞬間、伸びきった紐はゆっくりと引き戻されていく。


「カワイイー」


 一斉にその声が重なった。その後も誰かが何かを話す度に壊れたおもちゃのように「カワイイ」と言い続けていた。


 そこに感情はない。だって、ただ紐を引っ張って録音された音声を流しているだけなのだから。


「ねぇ、これ可愛くない? あんたにピッタリだと思うんだけど」


 愛想笑いだけでは乗り切れない話題がやってきた。友人が見せて来たのは、ただ流行に乗っただけの被り物のファッションだった。都会では流行っているみたいだ。昔は首無しが流行ったみたいだけど……これもこれでどうなのだろうか。猫や犬の被り物の何がいいのだろうか。


「うーん、私は好きじゃないかなぁ」


「……あっそ」


 背中を突き刺された。四方八方から視線が刺さる。見下される、冷たい、呼吸もままならない程の圧迫感。そんな時間は一瞬だったはずだが、私は永遠にも感じられた。

 気づいた時にはもう遅く、私は居ないものとして友人から扱われ、途端に見えない壁で塞がれた。


 冷や汗が止まらない、焦点が定まらない、自分の鼓動と人の声が反響して聞こえてくる。まるでトンネルの中で叫ばれているような気分だ。


 その場に居られず、トイレへと駆け込んだ。鏡に映った自分は蒼白となっていて、とても人に見せられるような顔はしていなかった。背中を見るも紐なんて私にはついていなかった。グループの輪から外されるのだと思うと、心臓が小さくなる。


 存在があやふやになるかのように、足元がグラグラとし始めて消えていかないように、倒れていかないように、しゃがみこんで自分を抱えた。


「首無しを流行らせた店主……あなたの悩みを解決……」


 スマホに映った胡散臭い広告画面を見た。誘蛾灯に誘われるが如く、画面に触れてメッセージを送っていた。ただ一言、助けて欲しいと。するとすぐにビデオ通話となり、慌ててカメラをオフにして通話に出た。


「はーい、どうも。俺のことは店主でも店長とでも呼んでね。首取り屋は昔の事だから。で、何をどう助けて欲しいのかな?」


 画面に映ったのは黒髪のいかにも根暗そうな男だった。酷い隈が目立つ店主に震え声で答えた。話したところで変わるわけも無い、不安を打ちあけたところで変わらないのは分かっているが、皆と同じにならないといけない……!


「わ、私、紐が……紐が欲しいんです。仲間外れってどう見えます? ダメですよね? もっと皆に合わせないと、みんながカワイイと思うなら、私もカワイイと言えるように、そういうおもちゃみたいにならないと……!!」


「あーはいはい。まったく、そういう人間に限って自分を特別な人間だと思っている節がある。能ある鷹がなぜ爪を隠すか知っているか?」


「えと、狩るためですよね?」


「悦に浸るためだ。能のない奴らに混ざって平均的なフリをしている自分が大好きなんだ。どこかで見下したい、そういう気持ちがあるんだ。だが、そんなイキリ人間のほとんどは鷹ではなく、そこら辺の鳩と何ら変わりはない」


 どういう意味かさっぱり分からず、黙っていると深いため息が聞こた。


「はぁ、ネガティブな奴や周りに合わせようとする奴こそ自分を過大評価しているんだよ。自分に甘い。そして手段を選ばない」


「ちょっと! そんなことはどうでもいいんですよ! 私は紐が​───────」


「……紐? あぁ、残念だけど、紐は店にはないよ。自分が調達してもらわないと、俺もカワイイというものは分からないからな。紐を手に入れたら店……いや、俺がそっちに行こう。とりあえず、手に入れ次第連絡してくれ」


 それじゃあ、とだけ言って通話は切れてしまった。鏡に映ったのは不細工な私。商品棚にも飾られない埃を被った人形だ。


 その時、頭に浮かんだのは大して可愛くもない、小太りの女だった。




 夕暮れ、教室にそれはいた。紐がある、ちゃんとついてる。


「どうしたの? 部活は今日休みなの?」


 誰にでも媚びを売ってそうな言葉に腹が立った。


「今日はサボり。ねぇ、ロングスカートってよく履いてたよね?」


「そうだけど、それがどうしたの?」


「いやね、私も挑戦したいんだけど中々勇気が出なくて。ちょっと相談いい? この色どう思う? 私はわかんないけど、皆はいい色だって言うんだよ」


 適当に探してきたなんとも言えない色のロングスカート。ベージュには程遠いくすんだ茶色に、丈も微妙であるため、ソレは目を一瞬大きくさせる。しかし、ここでお得意の愛想笑いとどうとでも取れる言葉が再生された。


「私は、カワイイと思うよ」


 あぁ、これだ。伸びきった紐を掴む為にソレと距離を詰めより、肩と紐をグッと握る。微かな震え声が聞こえる距離で出た声は低く、腹の底に響きそうなものであった。


「思ってないだろ」


 ヒュッと嘘がバレた子供のように怯えた声を上げたソレは、冷や汗なのかデブ故の汗なのか知らないが液体がダラダラと流れては目もフラフラと動いて定まっていない。ソレから離れて私は教室をゆっくりと出た。手には紐があった。手のひら程の取っ手の部分と、身長程の白い紐だ。


 喜びで廊下を走りそうになったが、ソレに気づかれぬように校門まで歩いた。ゆっくりと、つま先だけで歩き、踊る胸とほんの少しの狂気に犯された頭で歩いた。




「うわ、ほんとにきた。ほい、じゃあ次はこれに自分の声を録音して」


 校門の外には電話の主らしき人物がいて、渡されたのは古ぼけた兎のぬいぐるみだった。背中には私が持つ紐と同じ物がついていた。布と綿に囲まれたんじゃあ上手く録音出来ないじゃん。


 頭を引きちぎる。綿がボコリと出てくる。背中を裂く、綿が地面に落ちていく。綿の塊から小さな録音機を取り出し、残りの布やら綿やらは全て地面に捨てる。慌てて録音機のスイッチを入れる。


 カチ

 反応は無い。


 カチッ

 反応は無い。


 カチカチ

 反応はない。


 カチカチカチカチ─────

 何度押してもスイッチは入らない。


「なんで、なんでなんで!!」


「君は、話に合わせる度に背中の紐を抜くつもりだったのか?」


 幸薄そうな顔をした彼が尋ねてきた。何を、言っているのだろうか。誰もがそうしているはずだ。大して可愛くもない物を流行でトレンドだからと褒めちぎっている。そこに自分の意思なんて何も無い、空っぽなのに。


「彼女達は"カワイイ"と思ってる。だけど、普段から言いすぎて脊髄反射で答えているだけ。君みたいに人の言葉を信じず、疑い、自分を棚に上げて見下す奴ほど自己評価が高いだよなぁ」


「私は別にそんなこと─────!」


「流行に乗ってるだけ……と、君は思っているのだろうが、実は流行を知らないだけ。知らないという知識不足を認めたくないが故に君は妄想の中に浸った。録音機も紐も、自分を正当化させる為の幻覚。そろそろ認めるときだぜ」


 彼にそう言われ、世界はグルグルと回り始めた。


 手にはカッターが握られており、手は赤い液体が伸びていた。一部の液体はぬいぐるみの綿にも付着しており、カチカチと鳴らしていた録音機はただのボタンを押すだけのおもちゃだった。


「カッター……? なんで、赤く……あ」


 彼がヒラヒラと見せたのは、あの小太りの女から取ってきた紐。ではなく、女が着ていたベストの一部だった。それにも、赤い液体が。


「あぁ、そっか、私……あの子の背中を刺したんだった。だからあんなに慌ててたんだ」


 その瞬間、世界は回るのをやめて暗く映る。フィルターが外れた世界とはこんなにもきたなかったのだろうか、いや、私が絶望しているからだろう。グッと肩を捕まれ、視線をやると彼はニタリ顔でスマホで私とのツーショットを撮ろうとしていた。


「おはよう記念日に、はいチーズ」


 写真には目に光を宿さず、虚ろな顔をした私が映っていた。どうやらライブ配信もしていたらしく、コメントがすごい勢いで流れていく。


「あ、ほら、みんなカワイイーだって」


 彼の顔を把握出来ないほど、視界が歪んだ。ただ、これから先の人生が暗いものだと思ったその瞬間、乾いた笑いが出た。笑う度、コメントではカワイイの文字が散乱しており、まるで嗤われているような気がした。


「ほら、一緒に"カワイイ"」


 彼の後に引きつった顔で答えた。


「"カワイイ"」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る