八 映画スタア、八重垣千歌の語れる

 まったく木津こづ監督ったら。人を日の出前にポスター撮りに呼びつけて。何が「マジックアワーの空を背景に、八重垣くんの美を写したい」よ。こちとら朝日を浴びたら即オダブツだというのに。

 さいわい日が昇る前に超特急でメインポスターの撮影を済ませ、その後はスタジオへ移動して他の宣材用の撮影もすませた。朝からもう、クタクタ。いつもだったらまだベッドで寝入りばなという頃なのに。

 そのまま自宅代わりにしているホテルへ直行してもよかったけど、ちょっとした気まぐれを起こして、帰路にある久遠の屋敷へ寄ってみた。

 目当ては久遠ではなく、このかわいらしい若奥さまだ。

 汗を流して紺がすりの着物に着替えてきた明日子は、どこか警戒した目でわたくしを見ている。人になつこうとしない、もらわれたての子猫みたい。

 顔見知りの女中(この子もまた、かわいらしい。いつか血を味見してみたい)が運んできたレモネードを、客用円卓テーブルを挟んで女主人と向きあって座り、いただく。

「ああ、おいしいこと」

 笑いかけても明日子は笑い返さない。悲しいこと。藤澤伯のパーティで初めて出会ったときは、目をきらきらさせて、わたくしを仰ぎ見ていたのに。

 それにしても――なんていい匂いなのだろう。あの久遠が執着するのも、うなずける。自制をはたらかせてはいるけれど、つい、喉が鳴る。と、ほっそりと白い首すじに、二つの赤い点がある。久遠ったら。

 わたくしはくすりと笑う。

「なにか?」

 怪訝な顔をする明日子に、

「いいえ。昨夜はさぞ、おつらかったでしょう。同情いたしますわ」

 わたくしの視線の先に気づいた彼女は、赤面して首を押さえる。なんて初々しい反応。

「久遠はああ見えて、しつこいところがあるから。あんまりおつらいようでしたら、わたくしに仰ってね。加減するようにと、久遠に注意しますわよ」

「おそれいります。ですが、これは私ども夫婦の間のことですので、放っておいてくださいませ」

 子猫が毛を逆立てる。わたくしはレモネードをもうひと口飲んで、明日子を見やる。

 久遠が何を考えてこの娘を妻にしたのか、正直いって分かりかねた。たしかに、いい血をしている。手元において自分専用の“血液袋”にしたいというのも分かる。しかし、だからといって結婚までするなんて正気の沙汰とは思えない。あの冷静沈着で計算高い久遠らしくもない。

「夫婦ねえ」

 自然と言葉が洩れる。

「血魅にとっての結婚はね、紙切れ一枚で成立する人間同士の結婚とは重みがちがうのよ。ご存じかしら」

「え」

 明日子は小さく口を開ける。ご存じではないようだ。ならば教えてさしあげよう。

「わたくしたち血魅にはね、いんというものがあるの。婚姻の儀で久遠の印を見たでしょう」

 明日子は、おずおず、うなずく。

 なぜ印があるのかは分からない。そういうものだと受けとめるしかない。生まれながらの血魅には生まれつき、わたくしのように人間から血魅となった“人間あがり”は血魅となった瞬間、魂に印が刻まれる。

 血魅における婚姻とは、互いの印を分かちあい、明け渡すことを意味する。

 それは魂を明け渡すのと同じこと。魂に印がひとつしかないように、わたくしたちは婚姻もまた一生に一度しかできない。相手が嫌になったからといって解消するなんて――すなわち離婚はもちろん、再婚もできない。ギャンブルよりもギャンブルだ。 

 だからほとんどの血魅は結婚なんてしやしない。気に入った相手がいたら、ただくっつく。それだけだ。くっついたり別れたりを繰り返すカップルもいれば、次々に相手をとっかえひっかえしている者。三角、四角、五角関係と、放埓な恋愛遊戯を展開している界隈もある。

 なにしろ寿命が長いのだ。色恋でもして暇をつぶさないことには、生きることに倦んでしまう。実際、長すぎる生を持て余して精神を病む者や、自ら命を絶つ者も、稀にいる。まあ、その気持ちも分からなくはないけどね。

「あなたは人間で印がないから、久遠が自分の印だけ明け渡したかたちになるわね。そうまでしてあなたを娶りたかったということなのでしょう」

 わたくしが話すのを、明日子は神妙な顔をして聞いている。

「血魅の結婚は……魂を明け渡すこと」

「そう。久遠は伊達や酔狂で、あなたと結婚したわけじゃない」

 あら、いつの間にか久遠を擁護しているみたいになっちゃった。べつに、そんなつもりはないのに。氷が溶けて薄くなったレモネードを飲み干すと、さっと立ち上がる。

「ずいぶん長居してしまいましたわね。お邪魔さまでした」

「あ、あの……なんのおかまいも、しませんで」

 明日子はさっきより、ちょっぴり殊勝な態度で玄関先まで出てきてわたくしを見送った。「日光に気をつけて」と。


 帰りの車の中で思う。

 久遠から「ちょっと頼みたいことがある」と言われたのは、二か月と少し前。わたくしの僕の伯爵が定期的に開催している“宴”に、ある娘を招待してほしいとのことだった。久遠が頼みごとをしてくるなんて珍しく、また、その招きたいという娘にわたくしも興味が惹かれ、二つ返事で承諾した。

 あの娘が血魅たちを殺戮するさまを、螺旋階段から見下ろす久遠の横顔ときたら――。長年探し続けた宝ものでも見つけたような顔だった。あの男があんな表情をするなんて、長い付き合いのなかで初めて見た。

 あの娘は、血魅を討つ家系である森村の家の者。そして極上の血を持つ者。

 久遠が彼女を娶った理由は、ほんとうにそれだけなのかしら。それ以外の、もっと大事な理由も、あるのではないかしら。

 なんとなく、そんな勘がはたらく。ともあれ、なつかない子猫みたいな、あの新妻をいじるのは楽しかった。印について、いろいろ喋っちゃったけど、あとで久遠に叱られちゃうかしら。まあ大丈夫でしょう。肝心なことはちゃんと黙っていたのだし。

 血魅が婚姻を避ける最も大きな理由――それは、印を分かちあう者同士は、命をも分かちあうということにある。

 どちらか一方が怪我をすれば、もう一方も痛みを感じる。そしてどちらかが死ねば、もう一方も死ぬ。死が二人を分かつまで、どころではない。生きるも死ぬも一緒なのだ。そんなギャンブル、誰が好き好んでするものか。

 なのに、まさか久遠がそんな真似をするなんて……それも、我らよりはるかに寿命の短い人間と。いったい何を考えているのだろう。尤もいずれはあの娘も血魅にするつもりだとは思うけど。もしそうなったら“人間あがり”のお仲間が増える。楽しみだわ。

 ふわぁ、と後部座席にもたれて、大きなあくびをひとつ、する。

 さて、ホテルへ帰って赤ワインでも呑んで、ひと眠りしよう。あの娘のかぐわしい匂いとよく似た、うんと上等なやつを。

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