三文作家と恋文①

「ダメだ、書けない……」


 アリーは今日も、新作の展開に悩んで、くすんだ金の頭をかき乱す。

 今から二年前のあの一瞬、物語をするすると綴れたあの時期が、今となっては『奇跡』のように思えて、切実に『奇跡』の再来をこいねがった。


「……まあ、今はもう、あの頃みたいな協力者もいないし、あんなふうに都合のいいことは二度と起こらないんだけどね」


 現実は分かったうえで現実逃避をしただけだけだと、弁解する言葉に相槌を打つ者はいない。

 今の生活に不満があるわけではないけれど、話しかければ応答のある生活は楽しかったと、らしくもない感傷に浸って、アリーは二年前の『彼』がよく座っていた場所に目を向けた。


 二年前、この国の王太子だったエリックは『急病』によって王太子位を退き、第二王子にその座を譲った。

 折しもその頃、王太子のスキャンダルの噂が出るわ出るわと広まっていたこともあって、『王太子の急病は方便だ。醜聞を知られて合わす顔がなくなったのだ』と疑う者もいれば、『いやいやあまりにも責められすぎて本当に病気になってしまったのだ』と訳知り顔で語る者もいた。

 広まったスキャンダルは宮廷事情や王太子の私生活に詳しい者でなければ語れない内容のものだったから、王太子にしてみれば『自分に近しい者が裏切って悪評を流している』というショックもあったのかもしれない。

 ともあれ、おそらくリックが思い描いていた『第二王子が王太子を追い落とす』クーデターよりも数段平穏な『政務を執れなくなった王太子が第二王子に引き継ぐ』という形で、彼の目的は達成された。

 アリーも、微力ながらその企みの手伝いをした、というわけである。


「あの黒服の人とばかり連絡していたから、リックとは会うどころか、手紙を交わす機会もなかったけれどね」


 リックと縁を切るように言ってきたしかめ面の男は、何度会ってもいつまで経っても『嫌なやつ』な態度を崩さないままだったが、彼もまた第二王子派閥の人間ではあったらしい。

 気は合わないながらも王太子を追い落とす計画には賛同してくれて、せっせと『ネタ』を提供してくれたり版元を紹介してくれたりと、取引相手としては仕事をしやすい人間だった。

 そして、無事に第二王子が王太子位に就いたのを見届けて、黒服の男がそこそこのお金の入った袋を届けにきたのを最後に、アリーと彼らとの接点は無くなった。


「あーあ。がいてくれたときは、楽だったのになあ……」


 貴族社会に戻るすべもないアリーには、『新作のネタ』を仕入れる機会がない。

 手持ちのネタ――令嬢だった頃に見知った他家のスキャンダル――はぼちぼち使い切るところだし、新たな取材ルートを開拓したいところだ、と思いながら、アリーは新聞を手に取った。

 やはり、今、人々の関心事となっているのは、新聞の一面を飾る『新国王の即位』だろうか。


「えーっと、なになに、『セドリック国王は、王都大聖堂で即位式を執り行った。国王陛下の下で要職に就く閣僚諸君は以下の通り……』」


 二年前、王太子位に就いた第二王子は、優秀で人当たりも良い好青年だと評判は上々だった。それは、彼のが悪名高かったこととの比較で実物以上によく見えているという要因もあるだろうし、彼が若くて美形らしいから、それだけで人気が出ているのもあるだろう。

 このたび即位した彼は、改革にも熱心であるらしく、彼が任命した者たちとして、第二王子派閥の若き貴公子たちの名前が記事に並んでいる。その中にある『内務卿リチャード・シェリンガム』の名前を指でなぞり、アリーは『うまくやっているようでよかった』と呟いた。


「願わくは、私たち、このまま一生関わらないままで済めばいいわね」


 リックが、ゴシップ作家のネタにされることなく、人々の悪意と好奇の目を向けられて苦しまなくても済むような、幸せな人生を送ってくれればいいと思う。

 もっと平和な話題――例えば『麗しの貴公子がついに結婚!?』というようなネタで取り扱われるならまだいいが、そんな話題を聞けば、アリーの心の方が落ち着いていられなくなる。だからやっぱり、二人はこのまま関わらない方がいいのだ。


「私……たぶん、少しだけ、あなたのことが、好きだったのよ?」


 純粋で、まっすぐで、嘘やごまかしを潔癖に嫌う彼のことが鬱陶しかった。それと同時に眩しく見えた。

 だって、アリーは、彼みたいにはなれないから。彼を見ると我が身の薄汚さを思い知らされるようで居心地が悪くて、それでも光に惹かれる虫のように、彼に惹きつけられずにはいられなかった。

 その彼がアリーのことを『天才』と讃えてくれたことが、令嬢としてのアリーの過去を憐れんで、無情な元婚約者や家族を非難してくれたことが、どれだけ嬉しかっただろう。彼に認められたように思えた、彼に『君は間違っていない』と言われたような気がした。


 ――だが、あれは所詮、一時の夢に過ぎなかったのだ。

 夢は醒めて、彼は元通り、彼の世界に戻っていった。生きる世界が異なる二人は、もう二度と出会うこともないだろう。元から、出会うはずがなかったのだから。

 これは、ただ、それだけの話だ。


「一庶民の私は、ありがたく、ゴシップを飯のタネにさせていただきますよーっと。……ん?」


 ふと、アリーは紙面の一画に目を留めた。

 新聞の『尋ね人』の欄である。

 そこには普段、訃報や落とし物のお知らせなどがずらりと並んでいる。離れて暮らす者、疎遠な者に対しても伝えることができるように、重要な連絡に限って、端的な文章が載せられている。多くの連絡が一二文の短さなのは、掲載する文字数ごとに料金が設定されているからだ。

 ところが、アリーの手にした新聞のそこは、黒々とインクに埋め尽くされていた。


『ある平凡な男が遭遇した災厄の話をしよう。災厄はひどく美しい女の姿をしていて、彼女の突き刺すような眼差しは僕をその場に張りつけ、凍てつく声は僕の耳を傷めつけた。僕の運命の女ファム・ファタール――彼女のことを、僕は『アリー』と呼んでいた』


「……え?」


 思わず、声が漏れた。これは――『小説』なのだろうか。

 慌ててそのページだけを引き出して、まじまじと眺めると、そこには、『彼』と『アリー』との間の出来事が綴られていた。

  

『アリーに出会ったのは、とある平凡な昼下がりだった。下町の、小さな下宿の、散らかった部屋の中で、彼女だけは女王のような風格を纏っていた』


『彼女は呆れ笑いを浮かべて言った。『お互いを大して知らないうちから恋に落ちたなんて、顔か身体しか見ていないじゃない。それのどこが純愛なの?』と。小馬鹿にするような言い方に腹が立って、僕は、彼女のことを『嫌なやつだ』と思った。でも、きっと、僕が嫌な気分になったのは、彼女の言葉に一理あると思ってしまったから。それと、彼女に初めて会ったときから惹かれていた僕の心まで、『不純なものだ』と決めつけられた気がしたからだろう。……実際、僕の心は、純粋なばかりではなかったから、もう全面的に負けを認めるしかないのだけれど』


『アリーの方こそ純粋な心を持った人間なのだ、と知ったのはいつだっただろう。彼女は金に細かかったけれど、黙っておけばそれだけでような取引には、けっして応じなかった。露悪的に、僕が望まないものを、僕に見せてくれようとしていた。僕の機嫌を損ねることよりも、僕が『もの知らず』のままでいることを、彼女は憂いたのだ。なんと誇り高く、情に篤いひとだろう』


 ――どうして、ここに、アリーとリックとの思い出が綴られているのだろう。


 賛美されている『アリー』は女王のように気位が高く、けれどその態度がよく似合うむくらいには賢くて公正な人物で、世間知らずで愚かな主人公のことを連れまわし、彼に気づきを与え、良き方に導こうとする女神のような女性だ。

 現実のアリーは、もっと下衆で、世間知らずのお坊ちゃんに現実を思い知らせて傷つけてやろうと画策するどうしようもない女なのに――それでも、このやりとりには既視感がある。確かに、アリーが発した言葉が、そこには記されていた。


『はっきり言おう。僕は、アリーに恋をしていた』


 ――だが、恋心それは知らない。


 リックは、ここに書かれたような恋心なんて、抱いてはいなかった。

 彼にとってアリーは、彼の祖父母を侮辱する性悪女で、できれば近づかない方がいい人間で、最大限によく言うとして、悪い遊びを教えた悪友、というところだろう。

 これは、偶然の一致だろうか? 

 だって、リックは、アリーのことを好きだというそぶりなんて、ちっとも見せたことはなかった。でも、これほど一致する『他人の話』があるものだろうか。


『今だからこそ、アリーの目の前でないからこそ、言える。僕は、アリーに恋をしていたんだ。……アリーと目が合うと恥ずかしくて、口も思うように動かなくなって、ろくに伝えられなかったけれど』


「……僕は、アリーに、恋をしていた」


 もしも、これが本当にリックの書いたものならば。彼が、ここに書かれているのと同じ感情をアリーに抱いてくれたとしたら――想像するだけで、歓喜と焦りに似た感情が、アリーの中に湧き上がってくる。


「彼だったら、いいのに」


 ――期待したくない。期待を裏切られたくない。けれど、期待せずにはいられない。


 その文章の最後は、『二人の思い出の橋に来てほしい。そこで話そう。リックより』と締めくくられていた。


「待ち合わせは、今日の日付の……あと二時間後!」


 思わず時計を確認して、アリーは飛び上がった。

 アリーが今日この新聞を手に取ったことだって、ただの偶然だ。

 もし、アリーがこれを見ていなければ、呼び出したリックは、ずっと待ちぼうけするつもりだったのだろうか。


(そんなことになったら気の毒だわ。まあ、勝手に約束を押しつけてきたのが悪いのだけれど。偶然だけど、私もこれを見たのだから、結果オーライなのかしら。……いや! これを書いたのがリックと決まったわけではないけれど!)


『偶然約束の日に目にするなんて運命的だ』なんて、浮かれた頭は、単なる偶然を都合のいい結論に結びつけたがる。これが『運命』などであるはずはないのに。

 だが、何度『期待はしない』と自分に言い聞かせても、アリーは『もしかしたら』を捨てられなかった。


 いいではないか。今日だけ、一度だけだ。時間ぎりぎりに短時間だけ、確かめに出かけることくらいはいいだろう。

 いっそ、それで会えなかった方がきっぱりと諦めがついて良いかもしれない。確かめて、やっぱり違ったと分かったら、もう二度と期待などしないから。

 逸る気持ちを抑えつけて、アリーは外出着を手に取った。


「……世の中には、暇なひとって結構いるのね」


 心当たりの橋――彼と『指切りげんまん』をした橋の手前で馬車から降りたアリーは、目の前の人混みを呆然と見つめた。

 この場所が分かるのは、彼との思い出があるアリーだけだと思ったのに。新聞にも周りの風景は描写されていたから、読めば『もしかしてあそこのことじゃないか』と思い当たる者たちもいたのだろう。それはいいとして、野次馬しようとわざわざ出かける暇人がこんなに多くいるなんて。


(こんなに人がいると、もしもリックが来ても、見つけられないかも……)


 せっかくここまで来たのに、会えないかもしれない。

 じわりと熱いものがこみ上げるのを堪えつつ、アリーは人で賑わっている橋の上へと急いだ。


「アリー?」

「りっ……!」


 そのとき、不意に自分の名前を呼ばれて、振り返ると、そこにはリックとは似ても似つかない男たちが立っていた。


「なあ、あんたがアリーだろ!? 新聞に載ってた!」

「人違いで……」

「嘘つくなよっ! ほら、金髪できつそうな顔の美少女だって、書いてあったまんまじゃないか!」

「っ、離して!」

「なあ、あの広告を出してた『リック』って何者なんだよ。枠を買い占めるなんて、よほどのお坊ちゃんなんだろうなって」


 彼らはアリーの弁解を聞く気もないらしい。

 話が通じない恐怖に慄いて凍りついていると、輪の外側からよく通る声がかけられた。


「――すまない、人違いだ。彼女は私と先約がある」


 洗練された装いの男が、人の間をするりと割って入った。

 彼の言う『先約』にも心当たりは無いけれど、彼の黒髪には見覚えがある。

 助けを求めて縋る眼差しを向けるアリーを、彼はしっかりと抱き留めた。


「っ、あなた……」

「早く行こう。風に当たって、身体が冷えただろう?」


 僕も結構待ったからね、と囁いたリックは、腰に回した腕に力を込めた。

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