7月12日 山田心結は遭遇する

心結みゆちゃんは、お人形さんみたいにかわいいね」

 お母さんが事あるごとに言うので。

心結みゆはママに似てよかったなぁ。」

 お父さんが事あるごとに言うので。

 そんなわけでつい最近まで、わたしは自分がすごくかわいいと勘違いしていた。魔法にかかっていた。

「ブスって、山田さんみたいな?」

 その言葉に教室に入る足を止めたのは二年前のこと。

「ちょっとー、失礼だよ」

「でもあんなに目が小さいとかわいそうだよね。メガネかけるようになってますます小さくなったよね。見えないよーってぐらい」

「キャハハハハ」

「暗いしねー、陰キャ」

「エラやばいよね。髪の毛で必死に隠してるけど。お気の毒ぅ」

 わたしはこいつら何言ってんだ?と思った。

 わたしがブスなわけなくない?

 でも、それからは呪いのように、鏡を見るたびに、私の脳内で声がするようになった。

 目……たしかに小さいかもな。

 エラ……そんな概念があったのか。

 髪の毛もすぐボサボサ広がるし。

 手もゴツゴツしていて男みたいかも。

 肌もきれいじゃない。ニキビが出てきた。

 暗い……それはもともと。

 わたしは余計に、本や漫画の世界に入り込んで、現実逃避するようになった。

 あの日笑っていた、私にかかっていた魔法をあの一瞬で解いた、女子たちの半数とは、五年になる時にクラスが分かれた。

 残り半数は同じクラスだけど――丸山さんとか飯島さんとか小島さんとか――なるべく近づかないように、目をつけられないようにしようと思っている。

 まあ、容姿に関しては、今もそんなに悪くはないんじゃないかと思ってますけど。物心つく前から親にかけられた魔法は強力なのだ。大学生くらいになって化粧したら、化けるんだから、きっと。


 ――もう一人いたな、わたしをかわいいと言ってくれた子。

心結みゆちゃんって名前、かわいいよねー」

 去年席が前後になった時に、よく言われた。

「そうかな、キラキラネームだし……名前負けしてるよ。わたしは田中さんの名前の方が好きだけど」

 わたしは目の前に座る彼女――田中さくらさんに言った。

「いやいやいや、ひらがなでさ、く、ら、なんて、つまんないよー」

 田中さんはよく笑う子だった。その時もそう言って笑っていた。

「いやいや、さくらなんて日本の代表の花じゃん、嫌いな人いないよ」

「だから古い感じがして、あんま好きじゃないなんだよー」

「そういう名前の方が最近は人気があるって聞くよ?」

「えー?しわしわネームってやつ?」

「しわしわ……ってほどじゃないでしょ全然」

 わたしも笑ってしまう。

「わたしたち、ないものねだりなのかもね」

 わたしが言うと、

「じゃあ、名前、取り替えっこしたいよね!」

 田中さんが言った。

「そうだね、田中さんなら、心結みゆって名前も似合いそう。かわいいし」

 わたしが本心から言うと

心結みゆちゃんだってかわいいじゃん!」

 なんのてらいもなく、田中さんは言った。

「わたしはブスだよ、目だってちっちゃいし」

「あたしだってちっちゃいし!つぶらなひとみっていうんだよ」

 ――ちがうと思うけどな。

「それにエラも張ってるし……」

「ええ?どこが??全然だよ」

 ――そうかな?そうなのかな。

「髪もボサボサで、すぐ広がっちゃうし……」

「パーマかけてるみたいでかわいいじゃん」

 ――パーマなんてあかぬけた感、わたしには似合わないと思うんだけど。

「ニキビも多いし……」

「あたしもだよ、でも、今だけだって!」

 笑う田中さんのおでこにたしかにニキビが三つ。「色も白いし、手足も長いし、かわいいよ」

 彼女の笑顔がまぶしかった。

 こんな陰キャにもよく話しかけてくれてうれしかった。

 おすすめのマンガを聞かれて貸したら喜んでくれた。田村莉子りこさんにも勧めてくれて、莉子りこさんは小説も読む人だったので、莉子りこさんともときどき話すようになった。

 彼女は本当に、だれにでも優しい人だった。


 田中さくらはもういない。

 田村莉子りこも、もういない。


 昨日、先生が言っていた。

 使用禁止になっていた保健室で、田中さんが亡くなっていたと。

 田村さんの時のように、首がなかったらしい――という情報を、ネットニュースで見た。どうしても想像してしまって、その日はなかなか眠れなかった。

 

 田村さんが亡くなってから、ほとんど教室に来てなかったしな。

 今ごろ、田村さんと天国で会えてるかな。そうだといい。天国を信じてるわけでもないのにわたしは思う。

 彼女のいなくなった教室は、なんだかとても静かだ。

 

「ある意味かわいそうなんだよあいつらは」

 去年から図書委員で一緒の森村りょうくんは、そう言っていた。

 わたしのことをブスだと言った女子たちのことだ。

 彼女たちは森村くんのことを、しょっちゅう、キモいとか汚いとか言っていた。

 森村くんは、肌が荒れていて、ほっぺや口のまわり、くちびる、指先、手首など、体中がガサガサしている。よくかきむしっては血がにじんでいる。くちびるの皮もよくむく。顔はカッコいいとは言えないし、背も小さい方。運動も苦手な方だし、勉強も普通レベル、プログラミングの授業だけイキイキしているゲームおたく。

 まあ、その程度だ。

 うちも森村くんほどじゃないけどアトピー家系だし、簡単によくならないことも知ってるし、どんなにガサガサしてようが、たかが人の皮だし、掻いてしまうのをやめられない気持ちはよくわかるし、わたしは別に汚いとは思わない。わたしはアニメ・マンガおたくで畑ちがいなんだけど、

「それ、エタファンのコミカライズ?」

 去年わたしが持っていたマンガに彼が反応して話しかけてきたのがきっかけで、わたしたちはよく話すようになった。

「アイボス島での戦い、泣けた〜」

「あれは苦戦したわー、演出もアツいんだよなー」

「アレックス、おま、まさか……って〜」

「惜しいやつを亡くした……」

 わたしたちの会話は微妙に噛み合ってはいない。仲間だったアレックスというキャラに関してはわたしはキャラ萌えの観点で話しており彼は戦力という観点で話している。それでも、マイナーなゲームのコミカライズに関して語れる相手がいるだけでありがたい。きっと彼もそうだろう。

 それに、多少わたしがキモい発言をしても、スルーしてくれるのは助かる。だからわたしも、彼が語りに熱中しすぎてゲームシステムとかオンラインとかよくわからない話に夢中になっていても、聞くだけ聞いてあげることにしている。

 もう一人の図書委員の戸田結香ゆいかさんもニコニコしてだまっていてくれる。わたしたちの話は楽しくはないだろうから、時々ちょっと申し訳なく思うけれど。


「これはなんの絵だろうな?お姫様、的な?」

 戸田さんに描いてきてもらった絵を図書だよりの空いてるスペースに貼りながら、森村くんがつぶやく。戸田さんは習い事があるので今日はもう帰ったのだ。

「プリキュアですよ」

 わたしは間髪入れず答える。

「おおー、さっすが。この絵でわかるん?似てるん?」

「似ては……どうかな」答えにくいことを聞くなよ。戸田さんの絵はなんていうか、ザ・子どもの絵って感じなのだ。一周回ってかわいいとも言える。わたしは嫌いじゃない。「でもこの髪型とリボンはまちがいない」

「さすがっすね」

 オタクをなめんなよ。

「こっちはわかるぞ、ピカチュウだな」森村くんがそう言って別の絵を貼る。

「プリキュアやピカチュウって」手伝ってくれてる須田あおくんが言う。「読書に関係あるの?」

「えっ?」

 わたしは戸惑う。

「そういう本、図書室にあるの?」

「ポケモンは絵本があるけど……」わたしは少し考えて言う。「まぁ、関係なくてもいいんじゃない。プリキュアの絵本くらいは、戸田さんの家にはあるのかもしれないし」

「あ、関係なくてもいいんだ」須田くんは納得したようだ。

「細かいことにこだわっちゃいかん」森村くんはうなずく。「オレは毎回、ゲームや映画の原作とか、ノベライズされたゲームやアニメをおすすめの本コーナーに書いてるぞ」

「森村くん図書だよりにゲームコーナー作ってるもんね」

 そう考えると、わたしはわりとまともだ。児童文学、ライトノベル、ミステリーなど、おすすめの本コーナーに書く。今日は四年の時の教科書にあった作家のシリーズ物が最近アニメ映画化されたので、その作家特集にした。

「ゲームも漫画もアニメも、小説と同じくらい大切な娯楽だよ」

「最近漫画読めない子もいるって聞くしね」

「それは不便そうだな……」

 図書だよりに書いてきた記事を貼り、編集後記を一言書いて、わたしは頭を上げる。

 放課後の教室。あっちのすみでは広報委員の四人がわいわいと話しながら学級新聞を作っている。真ん中少し後ろよりの席では栗原陽奈はるなさんが宿題をしている。木下はなさんが後ろの壁に貼ってある学級新聞を読んでいる。

「木下さん、どう?先月の学級新聞?」

 佐々木あおいさんが席を立ってとっとっとっと木下さんに歩み寄る。「いつもよく読んでくれてるよね。感想聞きたいな」

「うん」木下さんは新聞に目を向けたままうなずく。「みんな字がきれい」

「そこかーい」佐々木さんは快活に笑う。「でもありがとね!」

 まあそこだけじゃないんだろうけど。木下さんはたしかにいつも、よく学級新聞を読んでいる。図書だよりもよく読んでいる。図書館でもよく一人で、本や図鑑などを読んでいる。なんか国語辞典もよく読んでいる。話しかけてもあまり多くを語らないけれど、何かを読むのが好きなんだろう。

 わたしは手元の、作りかけの図書だよりを見る。お世辞にもあまりきれいとは言えない自分の字。たしかに字のきれいさは大事だ。

「木下さんも、なんか言ってあげればいいのに」広報委員の輪に戻る佐々木さんを見ながら須田くんが小さな声で呟く。「おせじでもいいから」

「そうかな……」わたしは考える。中身のないお世辞ほど、反応に困るものはない。佐々木さんもキャラ的に、お世辞は求めてないような気がする。いや、他人の考えてることなんてわからないけれど。

「美化委員でもああいう感じで、まあマイペースというか」須田くんはため息をつく。

「あー、須田も苦労してるわけか」森村くんがたいして心のこもってなさそうな相槌をうつ。

「ぼくはいいんだけど、福田くんがよくつっかかるんだよね」須田くんはまたため息をつく。

「福田蓮音れおんさん?」わたしは少し意外に思う。いつも機嫌良くはしゃいでいる福田くんの顔を思い浮かべる。「あまり他人を責めそうにない人だと思ってたけど」

「責めてるわけじゃないんだろうけど、時々イライラするみたい。木下さん本当に仕事遅いし」

「福田くんは早く仕事を終わらせて遊びたいんだろ、陽キャだから」森村くんが言う。わたしは陽キャだからサボるってわけでは全然ないだろ、と心の中でつっこむ。陽キャ、隠キャという雑なくくり方、わたしはあまり好きではないんだけど、まあでも福田くんは絵に描いたような陽キャだとわたしも思う。

「それはまあ。福田くんは福田くんでよくサボるんだよね。まあでも」須田くんは遠慮がちな声色になる。「友だちが何人もその……亡くなったり休んだりしてるから、その、ピリピリしてるのかも」

 福田くんがよく一緒にはしゃいでいた及川くん、瀬尾くん、小林くん。飯島さん、丸山さん。瀬尾くん以外はもう、この世にいない。わたしをブスだと言った二人ももういない。

「あーそれに関しては何も言えないわ……」森村くんも呟く。

 ガラリと教室の扉が開く。山中泰誠たいせいくんが入ってきた。そういえば今日、生活委員は臨時の招集がかかっていたな、と、お昼時の放送を思い出す。生活委員は秋本かえでさんと丸山みどりさんが亡くなり、今は山中くん一人きりだ。

 山中くんは自分の席に行ってカバンを手に取り、帰ろうとして――足を止める。

 わたしは見るでもなく山中くんの視線の先を見る。

 原柚花ゆずかさんの席を撫でている栗原陽奈はるなさんがいた。

 ああ……なんだか切ない気持ちになる。

「……さびしいね」

 山中くんが話しかける。栗原さんは顔を上げる。ややあって、静かにうなずく。

「柚花ちゃんと最近、よく話すようになったの」栗原さんは言う。窓から夕日が差し込む。「意外と色々話す子なんだってわかって。もっと前から話していればよかった」

「……わかるよ」

 山中くんが呟くように返す。山中くんも一人になってしまった。秋本くんと、丸山さんと、生活委員でどんなことを話したのだろう。

 と、そのとき。

 

 べちゃり。


 なにかを引きずるような、濡れた雑巾を落とすような、重い音がした。

 わたしは入り口の方を見る。森村くんも須田くんも見る。ほかの子達もそちらを見るのがわかった。

 なんだろう、なんだか異様な――異質な音だった。そこまで大きな音ではないのだけど。

 そして――異様なにおい。

 ゴミの日に出し忘れてしぶしぶアパートのベランダに置いておいた生ゴミを三日遅れで出しに行く時のような。なんというか、臭い自体が不快なだけじゃなくて、それにまつわる嫌悪感とかそういうの全部ないまぜになってぶつけられたような臭い。

 そして、

「おうい」

 声――大友先生の声。

 けど、本当に――大友先生の声?

「おうい、みんな。まだ残ってたのか。開けてくれぇ」

 なんというか、不自然に抑揚のない感じ。

「あ、先生」

 佐々木さんが迷いなく立ち上がる。わたしが声を上げるより先に、

「待って」

 佐々木さんの服の裾を冨田くんがつかんだ。

 冨田謙信けんしんくん。歴史マニアな大人しい男子。間違っても佐々木さんみたいな気の強そうな女子の服をつかむようなタイプには見えない。けどその彼が佐々木さんの服をつかんだ。そして佐々木さんは一瞬固まるが、おとなしく席に座る。

「……謙信、」

「わかんない、わかんないけど」

 冨田くんはささやくように言う。

「開けないほうがいい気がする。返事もしないで」

「でも――」

 佐々木さんは戸惑ったように入り口の扉と冨田くんを交互に見るが、

「まっ先生なら自分で開ければいいしな普通に」

 沢口煌志こうしくんの言葉に、納得した表情になる。

 教室を緊張が包む。

 みんな、入り口の扉を見つめて、黙っている。

 夏なのに空気がひんやりと冷たい。

 まだ夕方なのに、入り口の扉の向こうは薄暗くて、先生か先生じゃないのか知らないが、そこにいるはずの影が見えない。

 ――やがて、

 べちゃ、べちゃ。

 音が遠ざかり、臭いが薄くなり、――消えた。

 ふう……っと、わたしは息を吐く。

「……なに、いまの」

 須田くんがかすれた声で言う。

「先生……じゃ、ないよな」

 森村くんが呟く。

 ぱっと佐々木さんが立ち上がり、スタスタと扉の方へ歩き出す。誰かが止める間もなく、

 ガラッ。

 教室の扉を勢いよく開けた。

「……だれもいない」

 廊下には誰もいなかった。

 栗原さんがつぶやく。

「……ヨシダ、くん……?」


「なになに?新手のドッキリ?」

 森村くんは心持ちはしゃいで、

「やめなよ、なんかさ、不気味すぎるよ、タイミング」

 須田くんは心底怯えた表情で、二人連れ立って帰って行った。

「なんか、怖い……山田さん一緒に帰ろう」栗原さんは泣きそうな顔をしている。「山田さんは冷静ですごいね」

 んなわけあるかい。今にもチビりそうじゃ。

「……なんだろうな……」

 山中くんはしばらく教室の入り口付近で考えこんでいたが、首を傾げつつカバンを背負い直して玄関の方へ歩いて行った。

 帰り際に教室を見ると、広報委員の四人はまだ、なにかを話し合いながら作業をしていた。


 誰かのイタズラだイタズラだ。

 この時代ならボイスレコーダーとかで大友先生の声を録音するなんてきっと簡単だ。

 だから幽霊なんていない、いるわけない。

 家のソファーで毛布にくるまって、わたしは自分に言い聞かせる。ひたすら言い聞かせる。

 寝て起きたら全てが夢ならいいのに。

 死んだ子も死んでない子も全てなかったことになればいいのに。

 好きな漫画を読んでもアニメを見ても、脳裏から消えてくれない。

 あのべちゃりとした音。鼻をついた臭い。夕暮れの教室。異質な扉。みんなの沈黙。先生の声。動かなかった足、出なかった声。何も、何もできなかった自分。

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