第23話 虚構の玉座

 城下町は史上最大の式典準備に包まれていた。

 夜明け前から、男爵邸前の大通りには数万の群衆が詰めかけている。各地から参集した東部十五領の貴族たち、商人ギルド連合の幹部、そして中央からも多数の参列者が集まっていた。今日という日を一目見ようと、遠路はるばる駆けつけた人々の熱気が、街全体を包んでいる。


 男爵邸の中では、ザルエスが最後の準備を整えていた。


「ついに、この日が来たか」


 皇帝衣装に身を包みながら、彼は窓の外を見つめた。かつて一介の男爵として暮らしていた同じ建物から、帝国皇帝として新時代を宣言する。その重みが、帝冠と共に肩にのしかかってくる。


 十七か国──十六邦国と、ザルエスが王として直接治める王国で、技術立国として理想的な国を作る。ジョルジュの『誰でも魔法を』の遺志を継ぎ、真の技術国家を実現する使命が、胸の奥で燃えていた。


 正午が近づくにつれ、群衆の熱気は最高潮に達していた。


「皇帝陛下のお出ましだ!」


 誰かが叫ぶと、バルコニーに向けられた無数の視線が、期待に満ちて輝いた。

 ザルエスがバルコニーに現れた瞬間、大通りを埋め尽くした群衆から、雷のような歓声が上がった。


「皇帝陛下万歳!」

「陛下!」

「新しい時代の始まりだ!」


 声援の嵐が石造りの建物に反響し、まるで街全体が歌っているかのようだった。

 ザルエスは深く息を吸い、歴史的な宣言を開始した。


「民よ、諸侯よ、そして大陸全土の友邦諸国よ!」


 彼の声は、魔法で増幅され、大通りの隅々まで響き渡った。


「ここに、十六邦国とドレイヴ王国からなる帝国の建国を宣言する!」


 群衆の歓声が一段と高まる。ザルエスは続けた。


「我が帝国は、技術の力で民衆を豊かにする国である!」


「誰もが魔法の恩恵を受けられる世界を実現し、各国の特色を活かした繁栄を築く!」


 技術立国としての理想を高らかに宣言する声に、民衆は熱狂した。


「技術で豊かになれる!」

「魔法が使えるようになる!」

「俺たちの皇帝陛下だ!」


 バルコニー下の特設壇では、まず、十五邦国の貴族たちが順次忠誠を宣言した。それぞれの家門の旗が翻り、各邦国軍の制服が陽光を受けて輝く。華やかで荘厳な光景だった。


 最後に宰相が登場した。宰相は、建国を機に、伯爵から公爵になっていた。


「公爵として、そして帝国宰相として、陛下をお支えいたします!」


 宰相の宣言に、群衆は一層大きな歓声を上げた。東部の名門中の名門が、皇帝を支えるという事実に、人々は深い感動を覚えていた。


 続いて魔導兵士部隊の行進が始まった。故郷の人々が宝珠を手に規律正しく行進する姿に、群衆は誇らしげな表情を浮かべた。


「我らが精鋭だ!」

「あの人たち、魔法を使えるようになったんだよな!」

「技術の力って、本当に凄い!」


 午後には、各国からの使節による建国承認が行われた。通商協定が次々と調印され、帝国の国際的地位が確立されていく。


 夕刻、城下町全体が祝祭ムードに包まれる中、ザルエスは深い満足感に浸っていた。

 建国宣言の成功、民衆の熱狂的支持、国際的承認。全てが理想通りに進んでいる。技術立国の皇帝として、ジョルジュの理想を実現する使命を果たせる地位を手に入れたのだ。



 建国宣言から三日後。男爵邸改め皇宮で、第一回帝国参議院会議が開催された。

 重厚な会議室には、十九名の参加者が居並んでいた。皇帝であるザルエス、帝国宰相、そして十七か国の参議たち。


「第一回帝国参議院会議を開催する」


 ザルエスが議長として会議を開始した。十七名の参議と共に、帝国運営の具体的体制を決定する歴史的な会議である。


「まず、帝国の制度について、宰相より説明を」


 宰相が立ち上がった。


「承知いたしました。帝国の立法制度についてご説明いたします」


 彼は落ち着いた声で、二院制度の詳細を説明し始めた。


「帝国は二院制を採用いたします。帝国議会は各国の規模に応じた数の議員で構成され、総計四十五議席となります。議員は各国で選出していただきます」


 ザルエスは頷きながら聞いていたが、次の説明で眉をひそめた。


「参議院は、こちらにおられる十七か国の代表で構成され、帝国議会で可決された法案に対する拒否権を有します」


「拒否権?」


 ザルエスが質問した。そのような詳細は、事前に聞いていなかった。


「はい。参議院は帝国議会で可決された法案を、十七名の過半数により拒否することができます。これにより、各国の利益が適切に保護されます」


 王国以外の参議たちは当然のように頷いている。既に承知済みの様子だった。


「また、行政についてですが、各国の行政組織においては独自の裁量権が認められます。そのため、帝国省庁は大臣を置かず、帝国宰相が唯一の大臣として全省庁を統括いたします。法案提出権も宰相が担当し、各国の独立性を担保しながら効率的な運営を実現いたします」


 ザルエスは困惑を隠せなかった。


「それでは、皇帝の権限は……?」


「もちろん、陛下は参議院の議長として重要な役割を果たされます。それに、ドレイヴ王国がございますので、参議としての権利もお持ちです」


 宰相の説明は丁寧だったが、ザルエスには違和感があった。事前にこのような詳細な制度設計を聞いた覚えがない。


「皆様、ご質問はございませんか?」


 宰相が参議たちに尋ねると、異議を唱える者は誰もいなかった。むしろ、既に合意済みであるかのような雰囲気だった。唯一、王国の参議が困惑した表情を見せている。


 会議が進むにつれ、ザルエスの違和感は確信に変わった。参議たちは明らかに事前調整を済ませている。自分と王国の参議だけが、この場で初めて詳細を知らされているのだ。


「では、採決に移らせていただきます」


 宰相の提案により、制度案の採決が行われた。


 結果は予想通りだった。賛成十六、棄権一。王国のみが棄権し、他の十六名は全員賛成票を投じた。


「……可決されました」


 宰相が満足そうに宣言した。


 ザルエスは愕然としていた。議長でありながら権限は何もない。自身の王国の参議が持つ一票のみだった。しかも、法案提出権は宰相が独占し、名簿をよく見ると、帝国議会でも参議院でも、宰相派が過半数を占めている。


「陛下、何かご質問はございませんか?」


 伯爵の問いかけに、ザルエスは複雑な表情で首を振った。


「……いや、結構だ」


 会議終了後、参議たちは和やかに歓談していたが、ザルエスの心は重く沈んでいた。

 皇帝と呼ばれているが、実際の決定権は極めて限られていた。


 参議院会議当日の夕刻。ザルエスは建国宣言と同じバルコニーに立っていた。

 昼間の政治的現実とは対照的に、家族の時間は穏やかだった。長男アルフレッドと、その婚約者セリーナが、屈託のない笑顔で彼を見つめている。


「陛下、皇帝になられて本当に誇らしいです!」


 アルフレッドの瞳は、純粋な喜びに輝いていた。


「……家族の時間だ。父でよい……」


 ザルエスの言葉に、二人は照れくさそうに微笑んだ。


「このバルコニーから歴史が始まったんですね。父上は偉大な皇帝陛下です!」


「お義父様の帝国は、きっと素晴らしい国になります」


 息子の無邪気な言葉を聞きながら、ザルエスの心の奥では冷酷な計算が始まっていた。


 セリーナとの間に男子が生まれれば──その皇子は宰相の血を引くことになる。皇子が皇帝になった暁には、宰相は皇帝の外祖父として、帝政の長として、絶大な権力を持つ。帝国は事実上、宰相のものになるのだ。


 一方、アルフレッドの政治的基盤は、自分と同様、王国の一票しかない。いや、宰相のことだ、帝国を完全に掌中に収めるため、アルフレッドの早期排除を目論むかもしれない。

 

 ザルエスの脳裏に、非情な結論が浮かんだ。


(セリーナとの間には、男子が生まれてはならない)


 美しく微笑む義娘を見つめながら、そんな冷酷な計算をしている自分に戦慄した。しかし、息子を守るためなら、あらゆる手段を講じなければならない。


 愛する家族を前にして、純粋な父親から政治的な計算をする権力者へと、彼の人格は変質し始めていた。


「父上?」


 アルフレッドの声で我に返り、ザルエスは作り笑いを浮かべた。

 建国宣言時の高揚感と、現在の政治的無力感。その落差が、胸を重く圧迫していた。皇帝という地位にありながら、参議院では圧倒的な劣勢。拒否権があっても、行使することは不可能だった。


(宰相は最初から、私を無力化する完璧な制度を設計していたのか)


 しかし、もう後戻りはできない。民衆の期待、国際的地位、そして何より、息子の未来。それらを守るために、この虚構の帝位にしがみつくしかなかった。


 城下町では、建国記念の祝賀が続いていた。


「皇帝陛下万歳!」

「帝国万歳!」


 民衆の熱狂的な声援が響く。しかし、その声は今や、ザルエスにとって皮肉でしかなかった。

 栄光の舞台として建国宣言を行ったバルコニーが、今では権力の虚しさを実感する場所となっている。


 夜空に祝賀の花火が打ち上がる中、ザルエスは静かに決意を固めた。


「この地位を……息子の未来を守るために」


 どれほど虚構の権力であっても、帝位だけは守り抜かなければならない──


 理想主義者だった若き領主は、権力維持に執着する政治家へと変貌していた。技術で民衆を豊かにするという崇高な理想は、いつの間にか個人的な権力闘争の道具へと変質しようとしていた。


 新時代の始まりを告げる花火が、静かに夜空に散っていった。

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