第17話 初めてのお仕事
自分の仕事を代行していた若き天才、リュド・シュヴェインと対面したレイフォードは、屋敷の二階にある自室に戻り、窓から外を眺めていた。
見えるのは自らが治める領都の街並み。
その街を照らす太陽と青い空と、二つの月。
(町工場の一部署の班長だった俺が、異世界では辺境伯か。今見えてるデカい土地が全部俺のもんなんて、まったく実感がわかねえなあ)
髪を掻き上げ、鼻でため息を吐き出すレイフォード。
そんな彼の耳に、自室の扉がノックされる音が聞こえてくる。
『レイフォード様、リュドでございます』
「来たか。入ってくれ」
『失礼します』
声のあと、レイフォードの自室の扉が開き、鞄を一つ手にしたリュドが姿を現す。
「さて、早速仕事に取り掛かりたいんだが、書類はどうした?」
「こちらに入れております」
自室の執務机に座ったレイフォードの疑問に答えるように、リュドは鞄をレイフォードの眼前に置くと、ロックを解除して口を開けた。
そして手を鞄の口に突っ込むと、中から書類の束を取り出して、その束がレイフォードの眼前に一つ二つと山を作っていく。
「その鞄、容量どうなってるんだ?」
「この鞄は異次元収納の魔法が掛けられております。詳しい容量は正直なところ不明でして」
「そうか。便利な物だな」
(ゲームでいうところのアイテムバッグか。デザインは設定とだいぶん違うが、それもそうか。単一規格なわけもないよな)
「重宝しております。高価ですが、魔道具屋で購入出来ますよ? お取り寄せいたしますか?」
「いや、買うなら自分の目で見て選びたいな。近く、街に行ってみるよ」
リュドの言葉にニコッと笑い「さて、仕事を始めるか」と、書類を手に取るレイフォード。
知らない文字だが、脳内で日本語に変換されて、文字も数字も問題なく読めたのが幸いして、書類に目を通してはサインをしていく。
「リュド。この事業のことなんだが」
「イゼルウッド卿の領地で始めた
「ふむ。この【アルモーラ】を使った農耕事業、うちでも進めよう。イゼルウッド卿に打診して、誰か指導員を派遣するように要請しておいてくれ」
「……かしこまりました」
レイフォードの言葉に返事はしたものの、リュドが何か釈然としない様子なのは、声色と眉が一瞬ハの字になった事で理解出来た。
そんなリュドに、レイフォードは「何か問題があるか?」と、出来るだけ威圧しないように申し訳なさそうな苦笑いを浮かべる。
「問題、というよりは、私の認識の甘さに辟易しておりました。レイフォード様はもっとこう……」
なんと言っても角が立ちそうで、リュドは言葉に詰まってしまう。
「まあ、言いたいことは何となく分かるよ。以前の俺は、あまり下の者たちの意見は聞かず、実績も認めようとしなかった」
「い、いえ。私はそうは……」
「いい、気にするな。自覚はしている。だがそれではいつか行き詰まり、このヴァルメリアは衰退する。人の繁栄は一人の意思、行動で成せるものではない。皆で協力しなければならない。死に掛けて、ようやくそう思えるようになった。まったく、馬鹿は死なねば治らんらしい」
言い終わり、冗談ぽくニヤッと笑みを浮かべたレイフォードに、リュドは気まずそうに冷や汗を浮かべ、愛想笑いを返した。
それからしばらく仕事を進めていると、廊下から何やら声が聞こえてきた。
『奥様。給仕の真似事などおやめください』
『夫にお茶を出すだけです。何か問題がありますか?』
『い、いえ。申し訳ありません』
聞こえてきたのは妻イリステラの声と、メイドの誰かだろうか女性の声。
二人の声のあと、レイフォードの自室の扉がノックされた。
「開いてるよイリステラ」
何かあったのかと、立ち上がったレイフォードの視線の先で扉が開く。
そこには白磁のカップとティーポットを乗せた銀製のトレーを両手で持っているイリステラの姿があった。
「お仕事に戻られると聞いて、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、イリステラ。頂くよ」
冷め切っていた夫婦の関係。
それを解消するために歩み寄ろうとしてくれているのか、イリステラはレイフォードの元を訪れてくれた。
それが嬉しくて、レイフォードは優しい笑顔を浮かべる。
しかし、このレイフォードの笑みに見惚れたイリステラが、長いドレスの裾を踏み、体勢を崩してしまう。
「危ない!」
両手が塞がっている状態で、前方に転倒しそうになるイリステラ。
そんなイリステラを見て、咄嗟にレイフォードは執務机を飛び越え、イリステラを抱きかかえた。
「良かった。間に合った」
(あっぶねえ〜。いやあ、改めてレイフォードの身体能力はすげえなあ、思った通りに体が動いてくれる)
「も、申し訳ありませんレイフォード様」
地面に座った状態で抱えられ、焦るやら嬉しいやら、申し訳ないやらで混乱するイリステラの口から漏れた弱々しい声。
そのか弱い声が愛おしく思えて、レイフォードはギュッとイリステラを抱き寄せる。
そんなレイフォードの頭の上に、イリステラが放ってしまった茶器や、溢れた紅茶が降ってきた。
「奥様、レイフォード様。お怪我はありませんか?」
頭上に迫る茶器を、リュドが魔法で結界を作り出して二人を守る。
「すまんなリュド。助かった」
「少し休憩にいたしましょう。奥様と歩いてこられては?」
「気が利くじゃないか。じゃ、お言葉に甘えて少し歩いてくるよ。イリステラ、いいかな?」
「は、はい」
少し申し訳なさそうに俯きながら、返事をしたイリステラ。
そんなイリステラを抱きかかえたままレイフォードは立ち上がる。
「レ、レイフォード様⁉︎」
「軽いなあ。もっと食べないと」
「お、下ろしてください」
「俺はこのまま歩いてもいいんだが」
とは言うものの、嫌われたくはないので、レイフォードはそっとイリステラを床に立たせ、リュドにその場を任せると、アタフタしていたメイドに「リュドの手伝いを頼む」と、言い残して、二人並んで廊下に出て、庭に向かうために歩き始めた。
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