第五話:新宿の巨人たち

2017年11月25日

警察官・佐藤 浩二

東京・新宿歌舞伎町


雑踏の音、けたたましい広告の音、クラクションの響き。

佐藤 浩二さとう こうじは、制服姿で、新宿歌舞伎町のスクランブル交差点に立ち、人の流れを誘導していた。三十代も半ばに差し掛かり、この街の喧騒は彼の日常の一部となっていた。その表情には、ルーティンワークをこなす人間の、わずかな疲れが見える。


彼のスマートフォンがポケットの中で震えた。取り出して見ると、ニュース速-報の通知が表示されている。「太平洋上にて、未確認巨大生物の戦闘続く」との見出し。


「遠い海の話だ…」


彼はため息をつき、スマートフォンをポケットに戻した。彼の頭の中は、今夜の夕食は生姜焼きにしようか、といったごく個人的なことで満たされていた。


その時だった。

ゴオオオオオ…。

空から、地鳴りのような不気味な音が響き渡る。人々が、何事かと一斉に空を見上げた。浩二もつられて空を見る。


空が、急速に暗くなっていく。巨大な黒いモヤが渦を巻きながら、新宿上空に集結している。街の大型ビジョンが一斉に緊急速報に切り替わり、耳をつんざくようなサイレンが鳴り響いた。

ビジョンに映し出されたアナウンサーが叫んでいる。


「緊急速報! 新宿上空に、正体不明の巨大エネルギー反応!」


街は、一瞬で大パニックに陥った。悲鳴、怒号が渦を巻く。


黒いモヤは、見る見るうちに具体的な形を成していく。天を覆うほどの、複数の頭を持つ巨大な蛇。日本の神話に登場する、ヤマタノオロチだった。


オロチの巨体がビルに接触し、ガラスや外壁が雨のように降り注ぐ。


「うわああああっ!」

「逃げろーっ!」


人々が我先にと逃げ惑う。浩二は目の前の光景に愕然とした。


「嘘だろ…」


その時、オロチと対峙するように、まばゆい白い光が空に現れる。光の中から、甲冑を纏った英雄、ヤマトタケルが出現した。


浩二は、非現実的な光景に呆然としながらも、体に染みついた警察官としての使命感が彼を突き動かした。彼は拡声器を手に取り、絶叫する。


「皆さん、落ち着いてください! 避難してください! ビルから離れて!」


彼は、パニックになった人々を地下街の入り口へと必死に誘導しようと奔走した。


ヤマトタケルとヤマタノオロチの戦いが本格化する。

ドゴオオオン!

ヤマトタケルが振るった剣の衝撃波が、オロチをかすめ、背後の高層ビルを直撃した。ビルは、まるで豆腐のように崩れ落ちていく。アスファルトがめくれ上がり、地下から水道管が破裂して水が噴き出す。街は、文字通り地獄絵図と化した。


浩二は、粉塵と煙の中、人々を誘導し続ける。その時、彼の耳に、か細い泣き声が届いた。


「ママ…どこ…?」


浩二が声の方向を見ると、崩れかかったアーケードの柱の陰で、小さな女の子が一人、座り込んで泣いている。周囲には、もう誰もいなかった。


「危ない!」


彼は、一瞬の躊躇もなく、崩落の危険が迫る子供の元へと駆け寄った。彼には特別な力などない。ただ、人を守るという、警察官としての強い意志だけが彼を動かしていた。


浩二は、泣きじゃくる子供を抱きかかえる。


「大丈夫だ、おじさんが助けてやるからな」


彼が、子供を抱えて安全な場所へと走り出そうとした、その瞬間。

ゴオオオオオッ!

ヤマタノオロチが吐き出した漆黒のブレスが、彼らのすぐ近くのビルを直撃した。ビルは轟音と共に崩壊し、巨大なコンクリートの塊が、彼らの頭上からスローモーションのように降り注いでくる。


浩二は、とっさに子供を庇うように、その小さな体を自分の体で覆いかぶさった。

全てが無音になった。

全身を打ち砕く激しい衝撃。骨が砕ける感覚。激痛と共に、浩二の意識は急速に遠のいていった。

最後に彼の脳裏に浮かんだのは、守るべき市民たちの顔、そして、彼が助けた子供の、怯えた瞳だった。


後日、この戦いの様子は、奇跡的に生き残った報道ヘリによって世界中に中継されていた。子供を救うために命を落とした一人の警察官の存在は、正義の殉職者として大きく報じられることになる。


神々の戦いが街を破壊する中、一人の人間が、ただ一つの命を守るために自らを犠牲にした。この日、佐藤 浩二という名は、新たな時代の英雄として人々の記憶に刻まれた。彼の死は無駄ではなかった。その尊い行いは、やがて魂の価値を測る天秤に、重い一石を投じることになる。

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