傾慕譚
翠雪
一
わたしには一つ歳上の従姉妹がいる。垂れがちな目元と、勝ち気な眉を取り合わせた芙蓉という女性は、長らく続く無二の親友でもあった。
生まれた縁は、わたしが本家で、芙蓉が分家。血も歳も近いわたしたちは、物心がつく前からお互いの顔を見慣れていた。彼女の子ども部屋で九九を覚え、思春期の後を追いかけて、文理選択の長短を語らった。
ことあるごとに両親から与えられ、つける身体が足りなくなったアクセサリーを箱ごと譲ったこともある。わたしの好みからは少しく逸れた、鮮やかなルビーのイヤリング。左右それぞれに三カラットを越す貴石たちは、黒を基調とするシンプルな洋服を好む彼女にこそ似合うと思った。生徒指導に目をつけられているらしい耳朶の空洞に飾れるよう、金具をピアスに付け替えて。ぜひコーディネートして見せてほしいとねだっても、意外と恥ずかしがり屋な友人は「大事に仕舞っているの」と苦笑するのが常である。
「ねえ、わたしにも何かちょうだい。芙蓉ちゃんのプレゼントなら、どんなものでも大切にするわ」
「はいはい、いつかね。ワガママなお嬢様」
「やった! 約束よ! 絶対、ぜーったい、だからね。いつまででも、わたし、待っているから」
甘やかされてきたわたしとさっぱりとした彼女の仲は、大学でも続いた。C判定から逆転合格した権利でもって、親友と同じキャンパスを歩くことができた胸の高鳴りは、恋による早鐘にも似ていた。
一年間の芙蓉の浪人生活により、ずっと憧れていた彼女との同級生の称号を得られたのも、わたしにとっては喜ばしいことだった。先を歩かれるばかりだった幼馴染と、初めて全く同じ景色を見ることができる。大学の敷地内に降りしきる桜の雨が巻いた毛先に絡みつく。薄桃色の幸運を摘み、芙蓉にも見せてあげようと顔を上げる。横へ並んでいたはずの彼女は、いつの間にか数歩も先に行ってしまっていた。わたしは、その背を慌てて追いかける。
「一緒に居ようよ、芙蓉ちゃん」
高揚とときめきの近さを理解したのは、入学式から半年ほど日が経った演習形式の講義だった。三人組のグループを作るように指示されたので、わたしは入学式の日と同じ言葉で真っ先に芙蓉を捕まえた。そして、芙蓉が声をかけた三人目のメンバーが、後にわたしの夫となる彼だった。
何か用事があったのだろう、少し遅れて講義室に入ってきた青年に、わたしの目は釘付けになる。
長い脚に、遠目にも分かるほどの端正な顔立ち。軽く後ろへ流された黒髪は、真夜中の海を思わせる。ヘーゼルカラーの眼もまた満月のように凪いでいた。芸能人の系統に例えるなら、アイドルよりも役者に近い。それもとびきり二枚目で、劇場のスクリーンにも映えそうな。
「言継! こっち、空いてるよ」
入学式の後にあった一年生向けの懇親会は、門限に引っかかって行けなかった。芙蓉は偶々その席で彼と知り合っていたことを、呼び寄せている間に聞いた。
「主席サマが遅刻とはね。今、グループワーク用の三人組を作れって言われてるんだけど、アタシたちと組まない?」
「ああ、学生課で少し。あらかた固まっているようだし、混ぜてくれると助かるよ」
挨拶を交わし終えた二人の会話が途切れる。待っていればあっただろう、自己紹介の順番が回されるまで待ちきれずに、ずずいと身を乗り出した。
「あっ、菖蒲です! 芙蓉ちゃんの従姉妹で、ええと、瞳の色が紫がかってるからアヤメになったらしいので、覚えやすいと思います! 入学式で壇上にいた人ですよね、近くで見たらこんなにかっこいいなんてわたしびっくりしちゃ、って……」
何事も、慌ててこなそうとした先に待っているものは、後の祭りであるわけで。独りよがりに駆け抜けた果て、段々と尻すぼみになっていった蛇足は、三人の間に天使を通らせた。
然るべき節度をもって知人に接する芙蓉と、一足飛びに己を主張したわたしの浅慮に気が付いてしまえば、たちまち頬が熱をもつ。こんな風だから、十八の今に至るまで彼氏の一人もできないのだ。家族に指摘されることもあるほどに、時々は致命的に抜けてしまうわたしは、一目惚れとの相性が最悪なのだと痛感する。
失態を誤魔化すなら、可愛げのある笑みの一つも遣ればいいものを。わたしはぎこちなく口角を強張らせたまま、自分の手元へ目を落とす。サロンで整えたばかりの爪は、ピンクと白のグラデーションが可愛かった。
「菖蒲さん」
ふわりと鼻腔をくすぐる緑の香りは、彼の香水が端を発したものらしい。高い背丈の彼が、ぐずる子どもの様子を窺うように、身体を傾けてくれたことがうっすら分かる。おそるおそる顔を上げてみれば、間近に迫った微笑みがわたしの心臓を跳ねさせた。
「コトツグといいます。言葉を継ぐと書く、と言ったら、君に覚えてもらえるのかな」
跳ねた心臓を、キューピットとロビンフッドが総力戦で射抜いていった。ハリネズミのようになった心臓を哀れんでか、なんと彼は、散々だったはじめましての半年後、わたしに交際を申し込んでくれた。一も二もなく頷いて、卒業と同時に籍を入れ、部屋を余らせた夫の家で暮らすことまでするする決まる。義両親は、わたしと言継が出会う以前にどちらも亡くなっているらしい。
池泉庭園つきの豪邸は、政界を含む方々の権威に顔が利く忽那家にふさわしい広さを有していた。間もなく授かった第一子と家の中でかくれんぼをするのが、どれだけ待ち遠しかったことか知れない。きっと芙蓉も我が子を可愛がってくれるだろうと、能天気な算段を立てながら膨らむ腹を撫でていた。
そう、幸せの絶頂だった。
「お辛いかとは思いますが、どうぞ、ご自分を責めすぎないようにしてください」
出産予定日まで一ヶ月を切った検診で、胎内の小さな心臓が止まっていることを知るまでは。
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