第22話 水の恩寵
「ん?普通にですよ。
人形を造った?龍石の記憶を読み取る?どれも私にはさっぱり分かりません
ジュナ様は淡々と、しかし確かな手応えを感じているかのように言い切られました。
龍造人形に、そんな芸当が本当にできるのでしょうか。
……やはり、噂どおりジュナ様の技量は桁外れなのかもしれません。
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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア
22 -水の恩寵
♡
「私にはどれも荒唐無稽なものに思えてなりません。さすがジュナ様です」
私の心からの言葉に、ジュナ様はほのかな含み笑いを口元に浮かべて軽く肩をすくめます。
「ありがとう、フリージアさん。普段あまり褒められることはないから素直に嬉しいよ。でもそんなに持ち上げなくても大丈夫ですよ」
どうやらお世辞と受け取られてしまったようです。
自分の声、ジュナ様には少しおべっかめいて聞こえたのかもしれません。
おべっかではないのですが……つい本心に近い感情が漏れてしまった気がして、少し心がざわつきました。
ジュナ様は私の心など意に介さず、軽やかな口調のまま左手を水面へと差し出しました。
「龍造人形に興味があるなら、誰にでもできることです。これは才能ではなく、知識の問題なんですよ。ほら、こうして——」
すると……
朱鯉池の水がふわりと浮かび上がり、私たちが腰掛けている場所でたゆたっています。その中には朱色の鯉が数匹、まるで小さな鉢に閉じ込められたかのように宙でゆらりと泳いでいました
「龍の力を行使するには、行使したい対象との親和性をどれだけ自分の世界に引き込めるかが大切なんです」
ジュナ様の声は次第に熱を帯び、瞳が楽しげな光を増していきます。
「たとえば、レモンを齧ってなくても、そこにあるだけで口の中が酸っぱくなって唾が出てきたりしますよね。本を読んで涙がこぼれるのも、実際に体験していないはずなのに読者がその世界に引き込まれているからです。
龍の力も同じだと僕は思っています。
知識と感覚が結びつけば、誰にでも行使できる。能力の差なんてなくて、理解して経験として自分に取り込めているかどうかの違いだけなんです」
なぜでしょう?
ジュナ様の声色にはどこか安心なさっているような響きがありました。
私にもジュナ様のおっしゃるエッセンスだけなら理解できます。レモンを前にしたときの甘酸っぱさも、本に感動して涙を流すのも、この世ではない違う世界に強く惹かれているからです。
ですが、実際に「水を浮遊させましょう」と言われても、どうやって違う世界に集中すればいいのか私にはわかりません。龍の力はこれこれの知識を、これこれのような感覚で行使すれば動かせるようになる――と説明されても、頭では理解できても、心体がついていかずまだピンときていないのです。
(私もジュナ様のように、龍の力を自由に使いこなせたら……)
宙に浮かぶ小さな水鉢のなかで尾びれを軽くひらめかせ気ままに泳ぐその姿は、空そのものを遊泳しているかのように見えました。
「いや素晴らしい!ジュナくんは水の恩寵を完全に制御できているようですね」
突然後ろから声がかかり、私たちは思わず振り返りました。
そのせいで意識が途切れたのでしょう。恩寵が解け、宙に漂っていた水の塊が重力に引かれるように落下していきます。
私はただ見つめ、受け止めるしかありません。
水しぶきが飛び、衣服にまでじんわりと染みていきます。
「あっ……!」
ジュナ様が慌てて手を伸ばしますが、もはや後の祭りです。どうしようもありません。
「す、すまない、フリージアさん!大丈夫か!」
真剣な顔をなさりながら、子供のように手をもじもじさせ視線を泳がせるその様子に、思わず頬がゆるみそうになります。
龍の力を自在に操る龍の子でありながら、時折こうして年相応の表情を見せる落差に、つい心が和みました。
「大丈夫です。衣服が少し濡れただけですし、しばらく置いておけばすぐに乾きます」
自分でも子供を諭すようなちょっと意地悪な口調になっている自覚はありました。
ジュナ様が差し出してくださった上着は、やんわりと辞退します。
すると、背後から申し訳なさそうな声がかかりました。
「すみません、驚かせてしまったみたいだね、フリージアくん」
「いいえ、ご心配には及びません」
突然の声に驚いたのは事実ですが、よりによって一番聞かれたくない調査対象のカリオン先生が現れたことの方が、心臓をひっくり返したような衝撃でした。
今、私、平静な顔を保てているでしょうか。
ジュナ様はその……取り乱していらっしゃるように見えます。手をもじもじさせ、視線はあちこちに泳ぎ、肩を小さく揺らしながら声を発しておられます。けれど、その原因が私の衣服を濡らした罪悪感なのか、カリオン先生への驚きなのかは判然としません。
感情を別の感情で覆い隠す――ジュナ様は、意図的にそうなさっているのでしょうか?あそこまで龍の力を自在に操れるのです。感情さえも、巧みに操れるのではないでしょうか。
私に足りないのはそれかもしれません。なるほど、大変参考になります。
「いやいやフリージアくん、そのままは風邪をひいてしまう。受け取ってくれ、これは蔵の鍵だ。蔵の中には非常時に備えて礼拝者用の衣類が置いてあって……いやいや勘違いしないでくれ、龍の子の君にそんな粗末のモノを着させるつもりはないよ。タオルも一緒にあるから、それで濡れた箇所を拭いてきなさい」
忘れてました。
今は落ち着いた顔を保たなければなりません。
ジュナ様に目で合図を送り、これ以上ぼろが出ないように素直に鍵を受け取ってその場で一礼して、私はジュナ様を置いてその場を離れました。
蔵は橋のこちら側からでもよく見えます。
見失わないよう注意しながら木橋を渡って池の縁をたどっていると、私たちを悩ませている元凶がほとりの木にもたれながら幸せそうに目を閉じているではありませんか。
私は唇を噛み、ジュナ様のように感情を制御しようと試みました。
「セピア、あなたがどうしてここに?」
「はえ?って、おわっ!フリージア!?
なんだよ。ったく、びっくりさせるなよ。こっちはせっかく気持ちよくうたた寝を決め込んでたってのに」
セピアは一瞬慌てたように自分の顔に触れたかと思えば、次にはなぜかほっとしたかのように表情を緩ませました。もっとも、セピアの態度などどうでも良いことです。しかし——
「もう一度伺います。教室にいなかったあなたが、なぜ
「ああ?そんなことかよ。訓練場に出る前から、お前らの後をつけてたさ」
セピアはつまらなそうに腕を振り、いつもの軽薄は笑みを浮かべます。
……やはりこの男は信用できません。
私は努めて冷静に装い、震えそうになる声を押さえます。
「嘘ですね。……私の癖、いえ習慣とでも言えばいいでしょうか。やろうと思えば、足音だけで誰かを判別できます。
ですが――あなたの足音は、朱鯉池に着くまで一度も聞こえませんでした」
セピアは目を丸くして、私の様子を窺っているようでした。
私が冗談を言っていないことに気づいたのでしょう。灰色の髪をかき上げながら、めんどくさそうな調子を隠そうともしません。
「ずいぶん自分の耳に自信があるようだが、こればかりは事実だからな。フリージアさん、あんたにもミスがあるってだけじゃないのか?」
私はそれを聞き、怒りよりもむしろ安堵を覚えました。
セピアが嫌いなカリオン先生を貶めるために仕組んだ虚構――その線が、一段と確かなものになったのですから。
「ここまで言っても嘘をおっしゃるのですね。なるほど。これでセピア、あなたの信頼は地の底まで落ちました。正直言って、カリオン先生の調査も打ち切りたいところですが、たとえ1%の可能性でも残っているのなら、一応は調査を続けなければいけません」
「おい、待て」
セピアが私の一歩前に体を押し寄せてきたので、思わず一歩後退します。
「お前たちだけでやってんのか?
目に力が入り、圧迫感が増します。
「伝えるわけありません。一度は自分の行いを振り返ってみてはどうです?信用できる情報か確かめるのは、当然のことではありませんか」
セピアの態度が急に緊迫したものになって困惑しつつも、その圧に押されてつい弁解めいた口調になってしまいました。
「おーい!君たち!そうだ、今振り返った3人組の君たちだ!」
カリオン先生の大きな声が、私たちの会話を断ち切りました。振り返ると、まだ先生はジュナ様と一緒に橋に立っていましたが、どうやら朱鯉池の端で遊ぶ男子たちに向けて声を張り上げているようです。
「すぐにそこから離れてください!そこは台地の縁で、崖がすぐ近くです。転げ落ちたら命はありませんよ」
その警告に、思わず崖の方に視線が吸い寄せられていました。
はっとしてセピアに振り返ったときには、もう姿がありません。
私もこれ以上話すつもりはなかったので、蔵へ向かい、さっきより少し速めに小走りで進みます。
どうしてさっき、セピアの圧に押されて弁解がましいことを言ってしまったのでしょう。胸の内の苛立ちを抑えるため、できるだけ体を動かすよう努めました。
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