第11話 この〝契約結婚〟生活の行方は――?

(っ……ランさまのお顔が、見られませんっ……!)


 いつものように夕餉を共にしながらも、ゆきは恐ろしくて、顔を上げることさえ出来なかった。

 おみつとは、雪も何度か面識がある。この家の食材や雑器の調達などは、彼女に頼ることも多い。乱が信頼する者ということで、その気さくな性格から、雪も仲良くしていた。


 だが、雪の秘密を知られれば、乱の耳に伝わるのも当然――それほど信頼関係の厚い主従なのだ、もはや逃げ場はない。


 雪の本当の性別が知られれば、〝契約結婚〟は当然に成り立たず、この生活も終わる。

 今や雪は、白洲しらすの場(※裁判所のようなもの)で、裁きを待つような心境に陥っていた。


 ふと、黙って箸を動かしていたらんが、俯く雪へ言葉を向ける。


「ユキ」


「!? ひゃ、ひゃいっ……」


「先ほどはおみつが、湯浴みを覗いてしまったようですまん。驚かせただろうが、悪気はなかったのだ。許してくれるか」


「そ、それは、もちろん! いえ、こちらこそ、その……お見苦しき、かと、思って。その……お、おみつさんは、何か仰っていません……でしたか?」


「ああ、言っていた」


「!! ………っ」


〝ああ、もうおしまいだ〟と、雪は自身の胸元を左手で掴んだ。音が響くのではないかというほどに心の臓が跳ね、頭の中では暗く沈んだ感情が渦を巻く。


(もう……この生活も、……なのですね。いいえ、こんな秘密を抱えているのです、いつかは、と覚悟はしていました。ですが、どうしてでしょう……ランさまと、お別れしてしまうことが……せつは、拙は……ッ)


「おみつはな……ユキ、オレに教えてくれたよ」


(ランさまと、離れたくないっ……離れるくらいなら、いっそ……!)


 ぎゅっ、と瞑った目、その眦に涙が滲む雪へと――乱は、とうとう告げた。


おみつでさえ、羨むほど……天女の如くに美しかった、と」


「どうか拙を、お斬りくださいっ………今なんと?」


「ゆ、ユキ、いくら湯浴みを見られたことが恥ずかしいからと、命まで断とうとするのは思いつめすぎだぞ? おみつには、次から気をつけるよう言ってあるから、そう深く悩まずともだな?」


「いえ、あのう。……ほ、他に、何か仰っては? こう、見てはいけないものを見た、とか……」


「ああ、言っていたぞ。本当に見て良かったのか、もしやすると禁忌に触れているのではないか、極楽浄土を垣間見てしまったのではないか……と、自身の生命をすら危惧してしまったほどの美しさだった、とか。それは大げさすぎるかもしれんが、まあ最終的には〝いやあ眼福でしたわワハハ〟と言っていたし――」


(……あれ、これは、露見ばれて……いません、ね? いえその、それはそれで、拙の本来の性別の尊厳とか、何だかなあ……という気持ちもありますが。ですが、あれ? では、拙は……この生活を、続けられる? ランさまと……まだ一緒に、いても良いのですか? ………)


 秘密に気付いた様子もなく語り続ける乱に、すう、と肩の力が抜けた雪は――目の前の膳に突っ伏しそうな勢いで、前のめりになってしまう。


「!? ゆ、ユキ、どうした!? どこか、体の調子でも……」


「………よ」


「よ?」


 首を傾げる、乱に向けて。

 長い白髪はくはつを乱しつつ、ゆっくり面を上げた雪が、囁くように呟いた。


「よ……よかったぁ……♡」

「―――――」


 自身の安堵感が、一体何に起因するのか、雪自身にも分かっていない。心中を巡る不思議な感覚に、ただ自然と、恍惚の声が漏れ出たのだ。


 ただ、乱が目の当たりにした、雪の顔といえば――赤みがかった目が溜まった涙で滲み、蛍火ほたるびの如く幻想的に揺らめく光景。白雪のような頬にはほんのりと赤みが差し、おみつの言う魔性すら遥かに超えた、傾国の誘引力をすら覚えさせる。


 完全に惚けてしまっている乱に、雪はそんな顔色のまま、微笑みまで浮かべて詰め寄った。


「で、ではっ、拙はまだ、ランさまと共に……え、ええと、そう……ランさまに、嫌われているとか、そういうわけではないのですよねっ!?」


「! あ、ああ、そんなこと、ろんずるまでもい! 即ち勿論もちろんだ! 大体、なぜオレがユキを嫌うはずがある? お、己は、その、ユキを……好ましく思っているのだ……ぞ? ……うむ、それはまことに」


「っ。そ、そんな、ランさまが、拙なんかのこと、そんな。……~~っ。

 そ、それが本当なら、拙……う、嬉しいです……♪」


(おっふ。こっ、好ましくっ、このっ、おっ……しゅき!! はわわわ)


「ら、ランさま? 何だか、焦っておられるような……も、もしかして、拙を気遣って、無理をしているのでは……(うるうる)」


「ものぐるほしけれ!!」(意訳:狂いそう!!)


「ひゃーっ!? らら、ランさま!? なぜ急にもんどり打って!? 大丈夫ですかご乱心ですか、ランさまぁーっ!?」


 乱心流道場の主が見せた突然の体捌きに、雪は大いに困惑するが――それはそれとして、この奇妙な〝契約結婚〟の関係性は、めでたく続いていくことになりそうだ。

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