第8話 飛んだ手紙、翔ける箒
(……はっ、いつの間にか寝てた……自分、無防備すぎじゃん……)
おにぎりを食べてお腹が満たされたあと、野原に寝転んで空を眺めていたはずだった。
取られるような物もないし、人の気配もないし──なんて油断していたら、うっかり寝てしまっていたらしい。
上体を起こし、ぐーっと背伸びをする。
そのとき、ふと思い出したようにバッグの中を探った。
(……あった。メモ帳とペン)
街の風景、人のあたたかさ、旅雑誌の言葉──
それらを、この胸の奥からこぼれ落ちないように、書き留めておきたかった。
(……やっぱり、心細い……かも)
小さく呟いて、メモ帳を膝に広げる。
ペンが紙に触れる感触はやけに優しく、けれど目に映る景色は少し滲んでいた。
しばらく空を見上げる。
どこまでも広がる青が、ひたすらに大きくて、自分がちっぽけに思えてくる。
(──この空は、日本にいたときの空と、どこかで繋がってたりするのかな)
自然と手が動く。
旅雑誌の中の地図、司書さんとの会話、アンナの名前を知っていたあの人。
そして、理由もわからずこぼれた涙──。
ぽつぽつと、それらを書き連ねていく。
(……こんなの、誰にも見せられないや)
ふと1ページを破って、風に任せて放る。
ふわりと空へ舞い上がった紙は、風に乗って遠ざかっていった。
(あ〜あ、飛んでっちゃった。でもまぁいいか、紙だし。土に還っておくれ〜)
「よし」とひと息。根が張ったように座っていた腰をゆっくり持ち上げる。
いい場所にいるとつい動けなくなるのは、昔からのクセ。
それがちょっとおかしくて、自然と笑みがこぼれる。
ショルダーバッグをかけて、もう一度歩き出そうとした、そのとき──
「ねえー! おねーさーん!」
(……ん?)
声が聞こえて、反射的にあたりを見回す。だが、見える範囲には自分ひとりだけ。
「そうそう、アンタ! 他に誰がいるっての!」
聞こえたのは、頭上からだった。
不思議に思って空を見上げると──空中に人影。
箒にまたがった若者が、こちらをじっと見下ろしていた。
「……へ?」
「おっそ!やっと気づいた!」
そう言いながら、ふわりと風に乗って降りてきて、目の前にぴたりと着地。
巻き起こる風に、前髪がふわっと揺れた。
「えっと……なにか、ご用ですか?」
「あー、別にたいしたことじゃないけど」
彼はくしゃっと折れた紙を差し出してくる。
「これ、アンタのだろ?」
「……え!? な、なんで、それを……!」
見覚えのあるページ。
慌てて紙を受け取りながら、目を見開く。
「ちょっ、キミ、どこで拾ったの!?」
「拾ったっていうか……箒で飛んでたら、紙がヒラヒラしてたから、つい掴んだだけ。反射神経いいんだよ、オレ」
「で、読んだの?」
「うーん……まぁ、ちょっとだけ?
“あの人に会えたのが嬉しかった──”とか、詩人かよって思ったけど?」
じとっと睨む。
キャメルの外ハネにセットされた髪、チェリーみたいな赤い目。
そして制服姿──ブレザーに気崩したネクタイ。
……学生か! なんて生意気な!
「……キミ、学生?」
「うん。見ての通り。今日は“自主的フィールドワーク”中ってことで」
「つまりサボりってことね」
「まぁそんな感じ。でも面白いもん見れたし、授業よりずっと退屈しなかったよ?」
「はぁ……」
溜息をついて、紙をくしゃっと丸める。
「じゃ、不良さんはさっさとお帰り。箒ってことは魔法学校の生徒でしょ?」
「そ。SFA」
「SFA?」
「え、知らないの? “ステラ・フォルトゥナ・アカデミー”ってとこ」
「……ああ、聞いたことあるかも。名前だけ」
「へぇ。大人なのにホリデー中? うらやましぃ〜」
「ちゃんと働いてます! 今日はお店の休みなだけ」
「お店? ダイナー?」
「カフェ。住み込みで働いてます」
「ふ〜ん。じゃあ──あのポエムは、ホームシック中ってこと?」
「なっ……! ホントあんた、うるさい!! 絶対しっかり読んだでしょ!!」
「あっはは!……じゃ、そろそろ学校戻るわ」
彼は箒にまたがりながら、ふとこちらを振り返る。
「おねーさん、名前は?」
「……ミア。っていうか、名前聞くならまず自分から名乗るのがマナーじゃない?」
「それはそれは、大変失礼いたしました」
ぺこっと頭を下げて、にやっと笑う。
「オレは、レイ・スキャモン」
くるっと背を向け、地面を蹴ってふわりと宙に浮かぶ。
「じゃーね、ミアさん」
鳥のように軽やかに、空へと舞い上がっていった。
(レイくん、ね……。なんて生意気なやつ……!
でも名前、教えちゃったな。ま、もう会うこともないでしょ)
ふう、と小さく息を吐く。
けれど──こっちに来てから、誰かとこんなふうにやり合ったのははじめてだった。
まるで誰かの歩幅に合わせて、一緒に少しだけ歩いたみたいな──
そんな、ちょっとだけ心地いい疲れが、体に残っていた。
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