第12話 稲荷神社の、あのキツネ

 こうして来宮くんと一緒に過ごしているうちに、陽はすっかり西にかたむき、頭上には夕暮れ色の空が広がっていた。


「ちょっと休む?」


「うん……っ」


 来宮くんの優しい声にうながされ、中庭に置かれたベンチにふたり並んで腰を下ろす。

 遠すぎず近すぎず、ほどよくへだてられたふたりの距離が、今はかえってもどかしい。

 手を伸ばせばすぐに触れられそうだけど、そんなことをしたら、いったいどんな反応が返ってくるだろう?

 近くにいるはずなのに、距離を感じてしまうのは、お互いまだ十分に知り合えていないからなのかな?


「そう言えば、来宮くんのお家って、神社なんだよね。どこの神社なの?」


「ここから10分くらい離れたところの、山の中腹にある稲荷神社」


「あっ! そこなら、こばとも遊びに行ったことがあるよ。たしか、『縁結び』の神様がまつられているんだっけ?」


「うん。ただ、世間では『縁切り神社』としての印象のほうが強いんじゃないかな」


「縁切り神社?」


「まずは悪い縁を断ち切って、それから良い縁を結びましょうってこと。たとえば、インターネット上でもつながりたくない人とつながってしまったり、学校でも嫌な人との関係で悩んだりすることって、あるだろう? 大人になっても、恋人と別れたいとか、嫌いな上司と離れたいとか、望まない縁に苦しむ人は多いんだ。病気もそうだね。そういった悪い縁を断ち切って、幸せへと導いていきましょうっていうのが、うちの神社の一番の特長なんだ」


「そうだったんだ。こばと、何も知らずにただお参りしていたよ」


 でも、分かる気がするな。

 教室のなかにはたくさんの生徒がいて、こばともできれば多くの人と友達になりたいけど、どうしても合わない人とか、相性の悪い人っていたりするもん。

 意地悪する子とは友達にはなれないし、あまり関わりたくないなって人も学校にはいたりする。いじめなんて、まさにそうじゃないかな。悪い人たちとのつながりを断つことで、救われる人って実はすごく多そうだ。


 来宮くんの話に耳を傾けながら、赤い夕陽を浴びた山々を遠くに眺める。

 すると、遠い昔の、稲荷神社での思い出がふと頭によみがえってきた。


「そう言えば、こばとね、幼いころ、あの神社の近くで傷ついていた一匹のキツネを見つけて、手当てをしてあげたんだ。おかげですっごく懐いてくれて、嬉しかったなー。……でも、どうしてかな? どうやってお別れしたのか、ちっとも覚えていないんだよね。こばとが山に返したのか、それともキツネが勝手に逃げていったのか。すごく大事なことのはずなのに、少しも思い出せないんだ」


 いくら幼かったとはいえ、お別れの場面くらい、ちゃんと覚えておきたかったな。あんなに仲良しだったキツネなのにね。


「……あの時は、助けてくれてありがとう。ボクがこうしていられるのも、こばとのおかげだよ」


「うん?」


「いや、こっちの話」


 来宮くんにお礼を言われ、きょとんとして首をかしげる。

 今の話のどこに、来宮くんからお礼を言われる理由があったんだろ?


「そのキツネは、きっと今でもこばとに感謝しているんじゃないかな。当時はそのキツネもまだ幼くて、たったひとりのか弱い女の子も上手く守ってあげられなかったかもしれないけど。あれから成長して、今ではきっとこばとを守ってあげられるくらい、きっと強くなっていると思う」


「そうかな。だとしたら嬉しいな」


 きっと来宮くんの言う通りだよね。

 あれから長い年月が経ったんだもの。あのキツネが今なお元気にたくましく山で暮らしてくれていたら、それ以上望むものは何もないよ。


 それにしても――。

 今日のデート、来宮くんはどう思っているんだろう? 

 こばとと一緒で楽しかったのかな? もっとも、デートと呼べるような内容だったかは分からないけど。クレープも食べてないし。

 のどに渇きを感じながら、勇気を出して、聞いてみる。


「ねえ、来宮くん。今日一日こばとと過ごしてみて、楽しかった?」


「うん。すごく幸せだった」


「……そう。なら、いいんだ」


 はあーっ、『幸せ』かあ。

 今のこばとにもぴったりな言葉だよ。ありがとう、来宮くん。

 心が満たされたら、かえってちょっぴり欲が出てきて、重ねて来宮くんにたずねてみた。


「あのさ、以前『こばとと友達になってみない?』って聞いたことがあったと思うんだけど、どうかな? 改めて、こばとと友達になってくれませんか?」


「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、でも、やっぱり遠慮しておくよ。ボクのことなんか忘れてもらったほうが、こばとにとっても都合がいいかもしれないし」


「だから、こばとは来宮くんのことを忘れたりしないって」


 たはは……。こばとって、そんなに信用ないかな? それとも、来宮くんって意外と頑固?


 でも、今日のところはここまででも十分かな。

 来宮くんと夕暮れ時の中庭のベンチに座り、こうして同じ時を過ごしている。

 ただそれだけで幸せで、この時間がなによりも尊くて、ふたりの関係を『友達』と呼ぶかどうかなんて、正直どうだっていい。

 まして『恋人』だなんて……そんなの、求めすぎだよ。


「それにしても、とうとう、あやかしには出会えなかったね」


 ぎゅっ、とタブレットを胸に抱きしめながら言う。

 『あやかしアプリ』はあんなにもビーッ! と警戒音を鳴らして、こばとのそばにあやかしがいるって、ずっと教えてくれていたのにね。

 これじゃ、来宮くんの調査もぜんぜん進まないし、例のあやかしの少女の件だって何の解決にもならないよ。


「もしかしたら、今日、こばとはすでに出会っていたのかもしれないよ。あやかしに」


「ええっ!? どこ!?」


 バネに弾かれたようにベンチから飛び上がり、あわてて辺りを見わたす。

 けれども、視界に入ってくるのは来宮くんの柔らかい微笑ばかりで、ほかには何も目に映らない。


「もう、脅かさないでよね。来宮くん」


「ごめんごめん。こばとが可愛すぎて、つい」


「あぅ……っ」


 来宮くんが涼やかに笑う。

 だから、そういう恥ずかしいこと急に言うの、反則っ! 来宮くんに『可愛い』なんて言われたら、どうしていいか分からなくなっちゃうよぉ……。


「そろそろ帰ろうか、こばと」


「う、うん! そうだね!」


 こうして、こばとたちは荷物を取りに教室へと戻り、その場で「ばいばい」と言って別れた。



   〇



 すっかり薄暗くなった校舎の廊下を、ひとり昇降口に向かってとぼとぼと進む。

 ああ、終わっちゃったな、デート……。

 はじまる前は、恥じらう気持ちばかりが先行して、逃げ出したくさえなった。

 けれども、終わってしまった今となっては、もっとあんな話をすればよかったな、とか、あの時もっと可愛い反応ができたはずなのに、なんて、後悔ばかりがわいて来る。


 来宮くんと分かれた今、こばとの心を占めているのは、驚くほど『さみしい』という感情で。

 明日になればきっとまた来宮くんに会えるのに、その明日までがすごく遠い。

 さっきまでずっと一緒にいたのに、またすぐに一緒にいたくなってしまう。

 こんな気持ちにさせられたのは、来宮くんが初めてだよ。

 やっぱり、こばとは来宮くんのことが――。


 そんなことばかり考えていたせいか、昇降口に近づくころには辺りがすっかり白いもやに包まれていたことに、こばとはちっとも気がつかなかった。


 そうして、一階の大きな鏡の前を通りかかった、その瞬間。


「フフフ。ねえ、あなた、さみしいのでしょう? 私と友達になりましょうよ。そのほうがきっと楽しいわ」


 ハッとして顔を上げ、声のしたほうへと向き直る。


 大きな鏡に映し出されていたのは、制服姿のこばとの全身と、そして同じ制服を着た見知らぬ少女。


 黒い髪はつややかに長く、肌は淡雪のように白く、全身がすらりとしていて、思わず見入ってしまいそうな美少女だ。


 ……って、見とれている場合じゃない! この子がきっと、以前こばとに声をかけてきた、あやかしの少女だ!


 早く来宮くんに知らせないと!


 しかし、あわてて鏡の前から離れようとしたこばとの腕を、氷のように冷たい手が強くとらえ、逃がさない。


「あら? いったい、どこに行こうというのかしら。あなた、友達になろうとして断られたのでしょう? 嫌われているって、どうして気づかないの?」


 嫌われている……? こばとが、来宮くんに……?


「あなたを助けてくれる友達なんて、どこにもいやしないわ。それより、嫌われ者同士、私と仲良くなりましょうよ。私はあなたを孤独にしない。私があなたを永遠に楽しませてあげるわ。さあ、こっちの世界にいらっしゃい」


「い、いやっ! 離してっ!」


 助けを求めようにも、白いもやが辺りをおおっていて視界がまるで利かない。それに、逆らいたくても、あやかしの力が強すぎて、逃げようとするとかえって掴まれている腕の骨がきしんで激痛が走る。


「助けて、来宮くん――ッ!」


 来宮くんがこばとを嫌っているなんて、うそだよね?

 だって、来宮くんは、あんなにもくり返しこばとに言い続けてくれたんだよ? こばとのことを守るって。


 こばとは信じているよ、来宮くんのこと。

 きっと、助けに来てくれるって。

 来宮くんの言葉が本当だってこと、これから証明してくれるって。


 だから、お願い。

 早くこばとに会いに来て!

 そして、こばとを惑わそうとするこの魔の手から救い出してよ、来宮くんっ!


 こばとはそんな祈りをこめて、涙ながらに来宮くんの名を叫ぶ。


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